元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

【⑫県立病院での指示】

県立病院での新しい入院生活が始まりました。週数は20w3d。赤ちゃんの大きさは500グラム弱。繰り返しますが、22w未満で産まれてしまった場合は流産となります。あと最低でも11日は、意地でもお腹にいてもらわなければ。


私はスマホで「22週 生存率」「22週 障がい」などと検索しまくりました。


22週未満 流産

22週 生存率30%〜40%
   後遺症なく育つ確率10%

23週 生存率50%
   後遺症なく育つ確率30%

24週 生存率80%

25週 生存率85%

26週 生存率90%

27週 生存率90%以上

28週 生存率95%以上


28週を過ぎて体重が1000グラムを超えれば、内蔵機能がほぼ完成しているので後遺症の心配はぐっと少なくなる。目と肺の完成が遅く、一番最後に完成するのは肺で、34週頃になれば出生時自発呼吸をして産声をあげられる可能性が高い。逆にそれ未満だと呼吸器系が未熟で、呼吸に関する後遺症が残ったり呼吸器が必要になることが多い。


私は入院時、28週でさえもハイレベルな目標でとにかく22週、命だけでも、と思っていました。でも、やはり障がいが残るかも知れない、というのはとても心配なことでした。


スマホで実際に切迫流産の経験をした方のブログを読み漁りました。とても衝撃的だったブログがあります。


細かくはあまり覚えていないのですが、その方は22週目前で破水してしまったそうです。破水は破水でも高位破水といって、普通の破水のようにバシャ!と出るのではなく、子宮口から遠いところで破水しチョロチョロと少しずつ漏れてくる、というものです。尿もれと勘違いされる方もいます。ただ尿と違って自分の意思とは関係なく漏れ、羊水特有のニオイがするそうです。


早い時期での高位破水の場合、羊水の減少はもちろん、破水による子宮収縮で早産の危険性が高まります。また赤ちゃんを包む卵膜が破れる訳ですから感染症も起こりやすくなります。


羊水は赤ちゃんのおしっこです。赤ちゃんはお腹にいるころから羊水を飲んでおしっことして排出し、呼吸の練習をしているそうです。そして羊水は赤ちゃんを守る役目があります。


その方は破水が収まらず羊水が殆どなくなってしまい、いつ産まれてもおかしくない状態になりました。医師から迫られたのは残酷な選択でした。赤ちゃんはもう長くはお腹の中にはいられない。22週未満なら流産、なんとか22週を超えて産まれても後遺症が残る確率が高い。赤ちゃんを諦めるなら(中絶ができるのは)22週未満まで。明日までに、諦めるか、後遺症が残ることを覚悟して妊娠を継続するか、選択してください。


たった一日でこんな選択をしろと言われても、できるでしょうか。ここまでお腹の中で育ててきた我が子。愛しくてたまらないはずです。でも、後遺症が残ってしまったらその子を一生育てられるだろうか?長くは生きられないかも知れないし、そうじゃないかも知れない。でも自分が歳をとって死んだあとは?


この方は旦那さんと泣きながら一晩悩んだ挙げ句、諦めることを選択したそうです。正しい答えはありません。でも医師や家族からは「賢明な選択」と言われたそうです。「次頑張ればいいよ」と。その言葉にもいろいろな葛藤があると思います。さっきまでお腹の中で元気に動いていたのに、もしかしたら奇跡的に助かって別の未来があったかもしれない、と想像するとその気持ちは耐え難いものでしょう。



私は子宮口こそ開いてきましたが、破水や出血はしませんでした。先生がもう暫くは大丈夫、と判断したからなのか、そのような選択を迫られることはありませんでした。ただ週数を追うごとに生存率が高まり後遺症の可能性も低くなることから、「とにかく安静にして、1日でも長くお腹の中に居させる」ことだけを言われました。赤ちゃんにとってお腹の中の1日が、外の世界の3日以上だと言われました。私はその言葉を守って、「私は赤ちゃんの保育器」と思って入院生活を過ごしました。



転院前のM病院では、食事、洗面はベット上。トイレ禁止で尿道カテーテル。シャワー禁止。清拭のみでした。県立病院でも同じか、さらに厳しくなるのでは‥と危惧していましたがあっさりと尿道カテーテルが外されました。しかもポータブルトイレではなく個室内のトイレへの歩行可。ベットからは10歩位離れています。シャワーは週1回可。洗面も歯磨きも、洗面台に行ってすることが許可されました。


驚きつつもかなり嬉しかったです。もう1週間以上シャワーを浴びていません。M病院ではがんじがらめだったのに、こんなに自由に動いていいのか?拍子抜けでした。


腕にはM病院と同じくウテメリンの点滴が開始されました。流量はお腹の張りを見て徐々に上げていくと。1日2回、朝と夕方にモニターを付けて張りを確かめ、30分に1回以上張るようなら流量を1増やし、またモニターを付けて確認。モニターは大体30分くらいつけるのですが、その間一切身体を動かせないので苦痛です。たまらず寝返りを打つとセンサーがずれてしまったりするので、その度に看護師さんが直しにきます。でも、赤ちゃんの心音を聞くことができ、「今日も赤ちゃんは元気」と確かめられるので楽しみでもありました。



   

お義姉さんとの話

久しぶりに旦那のお兄さんの奥さんから電話が来て話しました。普段は名前で読んでいるのでKさんとします。

Kさん夫婦(長男夫婦ですね)は2歳の男の子が一人いて、私達が住む家からは遠く離れた都会に家族3人で住んでいます。男の子を保育園に預けて、共働きしています。やはり保育園でよく病気をもらってきて、近くに頼れる人がいないのでその度にKさんが仕事を休んで看病しています。


Kさんは今している仕事がとても好きだと言っていました。「天職だと思っている」と。仕事をそこまで言えるなんていいなあ、羨ましいなあと思っていました。子育てとの両立が大変でも、好きだから続けられるんだと。


しかし、今は事情が変わったようです。電話では、「転職する予定だ」と言っていました。理由は、「好きな仕事をしていると、妥協したくない。完璧にこなしたい。でも、子育てしながらそれを実現させるのは難しい。子供が具合悪ければ仕事を休まなければいけない。分かっているけど仕事もしたい。旦那から『母親なんだから』と言われて大喧嘩したこともある。だったらいっそのこと、好きでもなんでもない全然別の仕事をして、『子供が具合悪いので帰ります』ってさらっと言えるような所で働きたい。子供が可愛くて、一緒にいるだけで楽しすぎて、この一瞬を大事にしたい。」


なるほどなあ、と思いました。あえて好きじゃない仕事を選ぶなんて私には全然なかった発想でした。仕事と子育ての両立は本当に大変なんだ。もちろん、仕事もバリバリこなして子育てもしっかりしている方もいるかも知れません。でも考え方は人それぞれ。誰々ができているから、といってそれに必ずしも習う必要はありません。


2人目の話もしました。2人目がなかなかできないそうです。2人目不妊?というようで、私の周りでも結構聞きました。「もう少し後から〜」と考えていると、本当にできなくなってしまう、と。私は一人目が大変だったので、少なくともあと1年は作らない予定でいます。息子がもう少し大きくなってから、もし、私がまた長期入院になっても大丈夫なように。大きくなったら大丈夫なのかは分かりませんが笑


でも、きっとそんな計画通りにはいきませんよね。1人目は奇跡的に無事に産まれたけど、2人目は‥。また同じことになって、今度は流産してしまうかも知れない。そもそも、できないかも知れない。授かりものです。

なんだか考えさせられました。

【⑪ MFICU入院】

県立病院に到着し、分娩台に載せられました。ここで診察をしてから病室に行くようです。


お腹にはモニターが付けられました。NSTノンストレステストと呼ばれる、健康な妊婦さんでも皆後期から行うものです。お腹に円盤状のセンサー?を2つ、ジェルを塗って押しあて、ベルトで固定します。胎児の心拍数、胎動、そしてお腹の張りの3つが、それぞれ折れ線グラフとなって表示されます。


まだ20週だったので赤ちゃんが小さくうごきまわるのでなかなか正確な数値が取れませんでした。看護師さんが苦戦しているうちに、救急車の後を追っていた旦那さんが到着しました。ひとまず一安心。


そして、私の主治医となるA先生が現れました。歳は結構いってる感じ。清潔感はあるが神経質そうな先生。まずは次々と質問が飛びます。


「最終生理日は?」「結婚したのは何歳?」「流産の経験は?」「家族に糖尿病の人は?」


なんだか答えに詰まったら怒られそうな気がして、一問一答で即答しました。



そして診察です。ズボンとショーツを脱ぐのに少しでも身体を動かすと、例のおしっこの管が動いて痛い!思わず「痛い!」と言うと、


A先生「何?どこが痛いの?」

私「おしっこの管が‥」

A先生「そんなもの、抜いちゃいなさい」



ええっ!?抜いてくれるの!?もう、それだけでA先生は恩人です。この痛くて痛くて憎き管が外れるなんて…


看護師さんが「ちょっと痛いですよ」と言って管を一気に引き抜きました。入れるときと同じくらいの痛みを伴って、無事管から開放されました。



そして内診。指を入れて「確かに1cm位開いてるね。」やっぱり、間違いないんだ…。看護師さんがクスコ(内診する器具)を渡すときに、滅菌袋の開け方が悪かったらしく、先生が「だから!バナナの皮を向くように開けてって言ってるだろ!この方は特に感染に気をつけなきゃいけないんだから!何回言ったら分かる!」と冷静にキレてます。どうやらこういうキャラのようです。看護師さんも大変だ…


そしてエコー。「骨盤位だね。」逆子のことです。前の病院で入院中に逆子になってしまいました。でもこの週数ではまだ赤ちゃんは小さく、子宮内で楽楽動き回れるのでまだ心配ない、とネット情報で知っていました。


「骨盤位だなんて聞いてない…」先生は不機嫌そうです。「今、逆子なので、もしすぐ出産となったら帝王切開となります。足から出てきてへその緒が圧迫されたりしたら赤ちゃん危険なので。帝王切開は承諾書が必要で、緊急時輸血が必要だったりするので今書類にサインしてもらいます。」


なんだかいきなり帝王切開の話をされて混乱しましたが、しないわけにはいきません。旦那さんと2人でサインしました。


帝王切開かー。お腹を切るって痛そうだな。でも陣痛とどっちがましかな?と、痛みのことばかり気にしてました。


診察が終わり、車イスに載せられ病室に向かいます。そこは普通の病室ではなく、病棟の奥の、さらに扉一枚隔てたMFICU(周産期母子医療センター)というところでした。ハイリスクな病気をもつ母子の、集中治療室です。2人部屋が2部屋、1人部屋が2部屋の計4部屋でしたが、私は一番広い1人部屋をあてがわれました。改めて、「ああ、私は結構なハイリスク妊婦なんだなあ」と実感しました。

夫婦の時間

最近息子が朝起きるのが早くなり、良いことではあるのですが朝2度寝ができず昼寝もできず眠いです(=_=;)実質的に6時間以上は寝ているはずなので、何故こんなに眠いのか…


今息子の寝かしつけは大体21時半です。もうちょっと早く出来れば良いのですが…方法は未だにおっぱい。もうすぐ1歳3ヶ月。修正1歳1ヶ月です。おっぱいが張ると辛く、職場で絞るのも面倒なので、仕事が始まる前には断乳したいと考えていいました。


しかし今は寝かしつけ前の1回の授乳だけになってもあまり張らなくなり、夜泣きもしなくなったので無理に断乳しなくとも自然に卒乳出来れば一番いいかなあと思っています。昔は乳首に辛子を塗る、とかよく聞きましたよね笑


昼間もたまに授乳していると、ばあば・ひいばばに「もう栄養ないんだよ〜」とか「もう美味しくないでしょ?」とか言われたりしますが、完全スルーします。栄養だってちゃんとあるし、不味かったら飲みません。そもそも栄養がどうとか言うより、精神安定のために与えているつもりです。中には3歳でまだ授乳している方もいますし、仕事の都合等で早い時期から断乳する方もいるし、最初から完ミの方もいるし。タイミングは人それぞれ。


息子はたまにおっぱいだけでは寝付けない時があるので、腕枕をしてトントンしながら昔話をしたり今日あったことを「楽しかったね」と話したりします。「明日もきっと楽しいよ」とか話していると、いつの間にか寝入っています。本当に楽になりました(*^^*)



そうしているうちに、私も一緒に寝てしまいます。今日は夫婦の時間を持ちたいな〜と思っても、眠気に勝てません。旦那がお風呂から上がって2階に上がって来る頃には、私と息子は夢の中です。


旦那さんの帰宅はいつも19時頃。そこからご飯を食べて片付けて、私が息子とお風呂に入って寝かしつける。そのまま寝てしまったら、旦那さんと会話できるのは夕食の時間と朝の数分です。日中ひいばばと過ごす時間の方が何倍も長いです。


息子は、かなり旦那似です。いつも行っている支援センターは保育園の中にあるのですが、そこの保育士さんは昔旦那の担任だった方もいます。なので息子を見ると、「○○(旦那)そっくり!」「○○ジュニア」など言われます。私も子供は旦那に似てほしいです。すごいのろけた話をすると、好きな人に似た人がもう一人増えるわけなので。(あと何十年か経てばそれが憎たらしくなるのでしょうか笑)たまにすごーく寂しくなった時、旦那の面影を息子に探したりします。結局息子も可愛すぎて寂しさは吹っ飛ぶのですが笑


今日は支援センターで工作?です!子供を託児して、ママ達だけで工作に没頭できるように…がコンセプトです。こんな生活もあとわずか。早く働きたい気持ちが大きいですが、一瞬一瞬を大切にしたいですね(*‘ω‘ *)

また傷がひとつ

昨日はやってしまいました…お皿を割ってしまったのです(´・ω・`)お皿自体は良いのです。沢山あるので。問題は床のキズです…


実は1年半前にも皿を割って床にキズが付きました。義両親が建てた新築のお家…さぞ、怒られはしなくとも嫌な雰囲気になることは予想していました。正直に話すと、「他にもキズあるから、いいよ。」と案外あっさり許してくれました。


今回は床下収納の金具にキズが付きました。何だか、こうキズが付くたびに落ち込むのが嫌です…皿を落とした私が言うことではありませんが、普通に生活していてキズがつかない訳がないですよね。形あるものは必ず傷つき、やがて朽ち果てます。家全体を養生して暮らさない限り、キズはつきものです。


こんなとき、私は自分の家が欲しくなります。4LDKくらいの、小さいけど清潔なお家。駐車スペースは3台。カーポートかガレージ。家具は全て誰かのお下がり。新品を買ってキズが付くたびに落ち込むよりは、最初からキズがあって、味があってでも清潔なもの。キズを付けてしまったら、そのキズを見て、「そんな事もあったね」と後で笑い話ができる。子供たちには、普通に遊んでてできたキズは気にせず、思いっきり遊びなさいと行って、羽目を外し過ぎた時はちゃんと叱る。


ムカついて、壁を殴って穴が空くのは、仕方のないことだと思います。特に男の子のいるお家ではよくあると思いますし、私もその経験があります。それも後で笑い話のネタになれば、それでいいです。形あるものは必ず傷みます。


家を買って、未来の子供を入れた家族4人で数少ないお気に入りのものに囲まれて、好きなことをして、仲良く暮らす。それが私の一番の目標であり、夢です。とても贅沢な夢のようで、平凡でつまらない夢のようで。少しでも近づくために、日々考え行動しています。

初めて息子を怒鳴ってしまった

RSウイルス、実に手強いです(TT)日中はそうでもないのですが、夜になると毎晩40度超えの高熱を出し、寝付きがものすごく悪いです。やっと寝ても直ぐに泣いて起きる、の繰り返しで、本当に寝付くのは午前2時ごろです。咳も辛そう。


寝不足と看病疲れ、おまけに生理前でかなりイライラしております。一昨日、やっと息子を寝かしつけて1階に降りると、旦那さんがお風呂上がりに動画を見ていました。


ストローマグも、干しかけの洗濯物も、そのまんま。人間余裕がなくなると、ワガママになります。


「これくらい、洗っておいてくれても」「これくらい、干しておいてくれても」
「なんで、私ばっかり!」


次の日、息子の食欲が減退し、ほとんど食べなくなりました。いろいろ工夫して食べさせても、べーっと吐き出します。しまいには皿をひっくり返して遊び始めました。ついにイライラが頂点に達して、「なんで、食べないの!食べたくないならいい!!」と怒鳴ってしまいました。息子はビクッと身体を震わせてびっくりしてましたが、直ぐにまた遊び始めました。


それでも、怒られていることが少し分かるのか、「あーぷ」とか「ぶー」とか言っています。(普段、イタズラをして怒るときは「アプだよ!」と言うと、上記のような反応をして、逆ギレ?してます)


怒っても仕方ないのですが、病気で辛いのも分かっているつもりなんですが。


私がイライラしてるのを感じ取って旦那さんがケーキを買ってきてくれました。甘いものは疲れにもイライラにもいいですね。やっぱり美味しいものが家庭内平和の一つの秘訣かと笑



息子はティッシュ一枚で夢中になって遊んでいます。小さくて細い指で細かくちょっとずつ千切って、私に渡してきたり、口に持ってきて食べさせようとしてきます。高いおもちゃより、こういう紙くずや糸くずでいつまでも遊んでいられるので本当に不思議です。


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最近、近所の同じ歳の子が、「ほっぺにちゅー」をマスターしているのを目の当たりにしました。息子にもどうしても覚えさせたくて、必死に教えているのですが…ほっぺを指さして「ちゅーして」と言うと、何を履き違えたのか頭突きしてきます。でも、私は絶対に諦めません!

【⑩涙の転院】

転院指示を受け、途方に暮れながら旦那さんを待ちました。


「面会希望の方がいらっしゃっています。」


カーテンの向こうから、旦那さんが両手に荷物を持って「誕生日おめでとう!」と言いながら現れました。止まった涙が再び溢れ出し、抱きついて思いっきり泣きました。肩越しに私の父も一緒に来ているのが見えました。部屋には入らず、廊下に立ちすくんで、悲しげな、複雑そうな顔をしています。私は構わず泣き続けました。



このとき事情をまだ知らない旦那さんと父は、私があんまりにも泣くので「赤ちゃんは流産してしまったんだ」と思ったそうです。そりゃそうですよね…(*_*)



少し落ち着いてから、「転院することになった」としゃくりあげながら言いました。「赤ちゃんは大丈夫なの?」と聞かれ、頷くと、2人は安堵した様子でした。



少しして先生が現れ、「お誕生日おめでとうございます」とお花のアレンジメントをプレゼントしてくれました。さすが個人の病院だなあと思いました。でも、お花を眺める余裕はその時の私には全くありませんでした。



先生は旦那さんと父にも同様の説明をしました。出発は明日の朝。移動手段は救急車。ヘリも考えたけど、救急車でも大丈夫かなと。時間にして1時間半くらい。明日は月曜なので旦那さんは仕事を休んで救急車の後を車で追いかけることに。救急車に一緒に乗ると帰りの足がないので…



遠い病院に行くのは大変だけど、そこではちゃんと設備も整ってるから安心だね、と話しながらやっといつもの調子に戻りました。旦那さんと父からは、「不安になるからあんまり泣かないで」と言われてしまいました。いやでも無理!感情をコントロールできないほど、不安定でした。




その日の夜。今後の不安と、尿道が痛いのと、固いマットレスに1週間寝続けた身体は悲鳴を上げ、全く眠れず初めて看護師さんに泣きつきました。(また泣いてる…)その日の担当の看護師さんはとても優しい人で、「楽なように使って」と抱きまくらをたくさん持ってきてくれました。苦戦しながら、午前4時くらいにやっと眠れたと思います。




朝になりました。いよいよ転院です。旦那さんが到着し、荷物をまとめました。看護師さんがストレッチャーを持ってきて乗り移りますが、何しろ尿道が痛くてたまりません。早く抜いてほしい!


救急車が来るまでの間、処置室のような所で待たされました。するとその時、赤ちゃんの泣き声が聞こえました。産婦人科なので当たり前です。側にいた旦那さんが泣き声のする方を向いて、「かわいい」と言って笑いました。その時私は、「旦那さんに赤ちゃんを抱かせてあげられないかもしれない」と急にまた不安になり、気付かれないようにそっと泣きました。




救急車が到着し、乗り込みました。「じゃ、また後で!」旦那さんと別れ、看護師さんが同乗しました。先生も見送ってくれ、「お世話になりました」と伝えると、「頑張ってください」と言ってくれました。



救急車には初めて乗ります。何だかいろいろな機器があって、窓がないのでどこを走っているのか分かりません。サイレンを鳴らしながら走りました。


救急車とはいえ、急変したわけではないので車内は和やかムードでした。ただ一度、つわりと車の揺れで私が思いっきり吐きました。すみません…



県立病院へは割と直ぐに着きました。車を降り、緊急搬送口から中に入ります。私は横を向いて寝ていたので病院の中がどんな感じか、どこにいるのか、全く分かりませんでした。




暫くして、通された部屋、乗せられたベットは、明らかに分娩台でした。左右には手すりのようなものがあり、「きっと、赤ちゃんを産むときに掴まってりきむやつだな」と思いました。数々のお母さんが握ってきたからか、ところどころ皮が剥けていて、想像もできない出産の痛みを思って鳥肌が立ちました。




ここで私は、息子の命の恩人であるベテランで癖の強いA先生と出会います。