元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

【⑩涙の転院】

転院指示を受け、途方に暮れながら旦那さんを待ちました。


「面会希望の方がいらっしゃっています。」


カーテンの向こうから、旦那さんが両手に荷物を持って「誕生日おめでとう!」と言いながら現れました。止まった涙が再び溢れ出し、抱きついて思いっきり泣きました。肩越しに私の父も一緒に来ているのが見えました。部屋には入らず、廊下に立ちすくんで、悲しげな、複雑そうな顔をしています。私は構わず泣き続けました。



このとき事情をまだ知らない旦那さんと父は、私があんまりにも泣くので「赤ちゃんは流産してしまったんだ」と思ったそうです。そりゃそうですよね…(*_*)



少し落ち着いてから、「転院することになった」としゃくりあげながら言いました。「赤ちゃんは大丈夫なの?」と聞かれ、頷くと、2人は安堵した様子でした。



少しして先生が現れ、「お誕生日おめでとうございます」とお花のアレンジメントをプレゼントしてくれました。さすが個人の病院だなあと思いました。でも、お花を眺める余裕はその時の私には全くありませんでした。



先生は旦那さんと父にも同様の説明をしました。出発は明日の朝。移動手段は救急車。ヘリも考えたけど、救急車でも大丈夫かなと。時間にして1時間半くらい。明日は月曜なので旦那さんは仕事を休んで救急車の後を車で追いかけることに。救急車に一緒に乗ると帰りの足がないので…



遠い病院に行くのは大変だけど、そこではちゃんと設備も整ってるから安心だね、と話しながらやっといつもの調子に戻りました。旦那さんと父からは、「不安になるからあんまり泣かないで」と言われてしまいました。いやでも無理!感情をコントロールできないほど、不安定でした。




その日の夜。今後の不安と、尿道が痛いのと、固いマットレスに1週間寝続けた身体は悲鳴を上げ、全く眠れず初めて看護師さんに泣きつきました。(また泣いてる…)その日の担当の看護師さんはとても優しい人で、「楽なように使って」と抱きまくらをたくさん持ってきてくれました。苦戦しながら、午前4時くらいにやっと眠れたと思います。




朝になりました。いよいよ転院です。旦那さんが到着し、荷物をまとめました。看護師さんがストレッチャーを持ってきて乗り移りますが、何しろ尿道が痛くてたまりません。早く抜いてほしい!


救急車が来るまでの間、処置室のような所で待たされました。するとその時、赤ちゃんの泣き声が聞こえました。産婦人科なので当たり前です。側にいた旦那さんが泣き声のする方を向いて、「かわいい」と言って笑いました。その時私は、「旦那さんに赤ちゃんを抱かせてあげられないかもしれない」と急にまた不安になり、気付かれないようにそっと泣きました。




救急車が到着し、乗り込みました。「じゃ、また後で!」旦那さんと別れ、看護師さんが同乗しました。先生も見送ってくれ、「お世話になりました」と伝えると、「頑張ってください」と言ってくれました。



救急車には初めて乗ります。何だかいろいろな機器があって、窓がないのでどこを走っているのか分かりません。サイレンを鳴らしながら走りました。


救急車とはいえ、急変したわけではないので車内は和やかムードでした。ただ一度、つわりと車の揺れで私が思いっきり吐きました。すみません…



県立病院へは割と直ぐに着きました。車を降り、緊急搬送口から中に入ります。私は横を向いて寝ていたので病院の中がどんな感じか、どこにいるのか、全く分かりませんでした。




暫くして、通された部屋、乗せられたベットは、明らかに分娩台でした。左右には手すりのようなものがあり、「きっと、赤ちゃんを産むときに掴まってりきむやつだな」と思いました。数々のお母さんが握ってきたからか、ところどころ皮が剥けていて、想像もできない出産の痛みを思って鳥肌が立ちました。




ここで私は、息子の命の恩人であるベテランで癖の強いA先生と出会います。