元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

【⑲ 先天性膝関節脱臼】

出産翌日の朝。目を覚ますとまず歩いて部屋の窓際へ行きました。今までベッドとトイレの間以外歩いたことがなかったので、外の景色をまともに見たことがありませんでした。久しぶりの外の景色。入院したばかりの頃は真夏だったのに、この日は霜が降りるほど寒い朝でした。


看護師さんがやって来て、「旦那さん、大丈夫かな?」と声をかけてきました。後から聞くと、車の窓が凍りつくほど寒かったようで、この夜初めて寝袋を使ったそうです。よくここまで車中泊を続けてくれました。


「じゃあ、今日から搾乳を始めるよ」。出産翌日から、朝も夜も関係なく3時間置きに搾乳開始です。未熟で産まれまだ口でおっぱいを飲めない息子の為、自動の搾乳器を使って母乳を絞り、鼻から通したチューブで直接胃に流し込みます。最初のうちはまだ出る量が少ないので看護師さんに絞ってもらいました。痛いのを我慢して、初めて採れたのはたった数滴。試験管のようなものに入れて、「届けてくるね」と言って看護師さんが持っていきました。


旦那も病室に来て、しばらくゆったりしていた時。「新生児科の先生からお話があります」とNICUに来るように呼ばれました。いよいよ、我が子との2回目の対面です。


お股の傷が痛むので、ドーナツクッションを敷いて車いすに座ります。それを看護師さんに押してもらいながら、旦那も一緒にNICUに行きました。


NICU産婦人科病棟と同じ階にありました。まず、廊下にあるロッカーに上着や荷物を置きます。時計や指輪などの装飾品もすべて外して。そしてインターホンを押して名前を告げ、扉を開けてもらいます。扉を通過すると手洗い場があり、手を肘まで念入りに洗い、アルコール消毒します。そしてさらにもう一枚扉をくぐります。そこはGCU。GCUとは、NICUで急性期を乗り越えある程度安定してきた赤ちゃんが保育器を出て家に帰るための準備をするところです。保育器ではなくコットと呼ばれるベッドに寝ています。そのGCUから更に扉一枚挟んでNICUがありました。


初めてNICUに入った時に感じたのは、まず匂い。濃密な、赤ちゃん特有の匂いがしました。「赤ちゃんはおっぱいの匂いがする」と言いますが、そこで嗅いだ匂いはそれとはまた違う、生後数週間の間しかしない匂い。今ではその匂いがすごく恋しいです。


話は戻りますが、初めてNICUに入ろうとした時。看護師さんがやって来て言いました。「今、整形外科の先生が赤ちゃんの脚を見てくれていますからね。ちょっと待っていてください。」私は不安に押しつぶされそうになりながら待ちました。


しばらくすると中に入るように言われました。NICUの中には10台近くの保育器が並んでいて、その中央に、先生や看護師さんが10人くらい集まっている保育器。そこに息子が入っているようでした。整形外科の先生が脚のレントゲンを撮って、検査が一段落した頃。


「お母さん、近くに来て、赤ちゃんに触れてあげてください。」


恐る恐る、保育器に近づいて、車いすから立ち上がり中を覗きました。


保育器の中で寝ている、昨日写真で見たまんまの我が子。鼻にはチューブ、口には呼吸器。胸には心拍を測る機械。左手には点滴。右手には採血をした跡。それらは目に入らず、私は息子の脚しか見ていませんでした。


出産直後に見たときと同じように、言い方は相応しくないかもしれませんが、異様な形をした右脚。息子の右脚のつま先は、顔のすぐ横にありました。私は酷くショックを受け、息子に触れることもできず気付けば声をあげて泣き崩れていました。


あんなふうに変な方向に曲がった脚、絶対に正常じゃない…!!やっぱりどう見てもおかしい。やっとつなぎとめた命なのに。今度は身体的なハンデを負うことに…?なぜ、うちの子ばっかり、こんな酷い目に遭わなければいけないのか…


整形外科の先生が泣き喚く私に近づいてきて、ゆっくり話してくれました。「今から、息子さんの脚の治療をしますからね。」


私は保育器から少し離れ、治療を見守りました。嗚咽が止まらず、人目もはばからず泣き続ける私の背中を、旦那はひたすらさすってくれていました。後から旦那から聞いたのですが、私の車いすを押していた看護師さんも一緒に涙を流してくれていたそうです。


息子の脚が強制的に通常の状態に戻されてギブスが巻かれ始めました。それを見て、痛そうで、より声を大きくして泣く私に「大丈夫、痛いことはしませんから。」と先生が声をかけました。旦那が「ほら、見て。ちゃんと下の方にも曲がるよ。」と声をかけてきて初めて、やっと直視することができました。通常の状態になった脚を見て、少し安心したのを覚えています。


一通りの治療を終え、先生から説明がありました。息子の脚の病名は、先天性膝関節脱臼。奇形ではなく、膝の脱臼でした。息子はお腹の中で何らかの原因により膝を脱臼し、膝が逆に曲がった状態(反張膝)で産まれてきました。治療法としてはギプス固定。これで様子を見て、数週間で治るかもしれないし、手術が必要になるかもしれない。もし、手術が必要なら小さい赤ちゃんの手術ができる病院を探さなければならない。今後のことは、もしかしたら歩くのに支障が出るかもしれないし、今のところは何とも言えない。でも、大丈夫。きっと治りますよ。「妊娠中のお母さんの姿勢が悪かったとか、そんなことは決してないので、ご自分を責めないでくださいね。」と先生ら付け加えてくれました。


説明を聞き終えて、「脱臼」という言葉に希望が見えました。まだ何とも言えない状況ですが、脱臼ならよく聞く言葉だしすぐ治りそうなイメージがあったからです。  


改めて保育器に近づいて、息子をまじまじと見つめました。いろいろな機械に繋がれて、脚にはギプス。目は閉じたままですが、しっかりと呼吸して生きようと頑張っている息子。可愛くて可愛くて仕方ありませんでした。


「赤ちゃんに触れるときはトントン、と触るのではなくて、両手で包んで軽く抑えるようにしてあげてください。子宮の中により近い状態にすると、安心しますよ。」


言われた通りにすると、温かくて柔らかくて、まるでひな鳥を触っているようでした。その頃には涙は完全に止まっていて、旦那と笑いながら息子に触れました。


「やっと、お母さんの笑顔が見れましたね。」と看護師さんが言って、記念撮影してくれました。不安なんて忘れて、幸せいっぱいでした。