元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

RSウイルス感染症

世間ではインフルエンザが爆発的に流行していますね。私の息子はRSウイルスにかかってしまいました…


RSウイルスは呼吸器の感染症で、特に乳幼児が発症し重症化すると肺炎や気管支炎になる危険性があります。2歳までにほぼ100%感染すると言われています。


息子のような早産児は特に重症化し易く、生後1ヶ月からシナジスという予防接種を受けていました。このシナジスは普通の予防接種と違って筋肉注射なので、針も太くかなり痛いそうです。


因みに私も切迫早産で入院中、胎児の肺の成長を促す為の筋肉注射をお尻に刺しました。左右に1発ずつを3日間。看護師さんから「これ痛いよ〜」と脅かされましたが、全然痛くありませんでした。うまい人だったのか…採血の方が全然痛いです(TT)



息子は昨日の朝方から咳をしだして熱を図ると38.3度ありました。子供の受診のタイミングが未だに分かりません(+_+)ネットで調べると、38.5以上ある、ぐったりしている、ご飯を食べない、水分を摂らない、呼吸が苦しそう…の場合は早めに受診。でも子供は平気で高熱を出し、40度近くても機嫌がいい、等は結構あります。また、ものを言えないのでどれくらい辛いのか分かりにくい…



やたらに病院に行くと、菌を撒き散らすしてしまったり、逆に悪い菌をもらってしまったり…それに、この寒い季節の受診は子供にも負担がかかります。



熱は高いけど機嫌はいいしご飯は食べるし…でも咳がでてゼロゼロいっている…いろいろ考えているうちに、外来の受付時間が過ぎてしまったので病院に電話して聞いてみました。「機嫌が良くご飯を食べるなら様子を見て明日の受診でもいいかも。インフルエンザを疑うなら、発熱して時間があまりたっていないので検査しても結果が出にくい。症状が悪化するようなら、外来が終わっているので救急で来てください」とのことでした。



以前、生後半年のころ夜に40度の高熱を出し、救急外来を受けたことがあります。病院についたのは夜中の0時。結局、小児科の先生がいないので、解熱剤をもらって翌日再度受診しましまた。


実はこのとき、慌てたのと足元が見えなかったので、入り口に入る前の段差で息子を縦抱きに抱いたまま派手に転んでしまったのです!!旦那は車を停めに行っていたのでいませんでした。転んだ瞬間、なぜか「息子が死んでしまった!!」と咄嗟に思いました(TT)慌てて起き上がると、息子は3回くらい泣いたあとすぐ泣き止みました。頭も特に打ったような跡はありませんでした。わが子を守る本能が働いたのか、息子の頭を守った私の手の甲と手のひら、両膝がかなり出血していました。今でこそ笑って話せる出来事ですが、本当に自分のどん臭さに呆れました。



話は戻りますが、今日の朝受診するとRSにかかっていることが判明(TT)夕食後には40.3度を記録しました。座薬をさしてようやく就寝(-_-)zzzきっとまたグズグズ目を覚ましてしまうのでしょう。早く良くなるといいな。

【⑨転院指示】

20w2dの朝の内診で子宮口が1cm開いていることが分かりました。


「お話がありますのでお部屋に戻っていてください」


部屋に戻って先生を待つ間、先生に言われたことについて考えていました。


子宮口が開き始めたということは、もう赤ちゃんが産まれようとしているのか?それに、覗くと赤ちゃんを包む卵膜が見えると言っていた…入院して1週間、言いつけを守って安静にしていた。しかし確かに張りはおさまらなかった。入院時1.6cmあった子宮頸管は、子宮口が開いた今、0cmになってしまったんだろう。子宮頸管長がなくなってしまったら、産まれてしまうと思っていたのだが…今はまだ20週に入ったばかり。22週はまだまだ先だ。まさか…ここでこの子の命は終わってしまうのか?


まだ説明も受けていないのに、とめどなく涙が流れていました。もう何度目の涙か分かりません。



しばらくすると先生がやってきて説明してくれました。



「懸命に治療してきて、○○さんも頑張っていますが、今の病状は良くありません。既に子宮口が開いていてこのまま徐々に開いたり、破水したり、感染症にかかるリスクが高いです。今は20週に入ったばかりですが、このM病院ではNICU(新生児集中治療管理室)がないので37週からの赤ちゃんしか診れません。ここから近い市立の総合病院にはNICUはありますが、28週からしか診れません。ですが県立の総合病院なら、22週で産まれた赤ちゃんも、診れます。市立の総合病院に問い合わせてみましたが、○○さんの病状を考えると県立病院で見てもらった方がいい、と言われました。突然で申し訳ないのですが、明日、県立病院へ転院して頂きます。」



ショックだったのは、市立病院に受け入れ拒否されたこと。それではまるで、現状では、28週までもつ見込みがないということか。さらに、県立病院はかなり遠いのです。自宅からだと、2時間半〜3時間くらい。このM病院や市立病院なら、平日でも仕事終わりに旦那さんがお見舞いに来れたが、県立病院は無理だ。もしかしたら、週末も来れないかもしれない。どこだか分からない所で、旦那さんにも会えず、孤独に戦わなければいけない。



赤ちゃんのことはもちろん、これからの入院生活を思うと、不安で不安でたまりませんでした。そして先生から、さらにとどめの一言。



「これからは、トイレも禁止です。ボーダブルトイレへの移乗も刺激になるかもしれないので。後でおしっこの管を入れます。便は、看護師の介助でベット上でしてもらいます。」



今までポータブルトイレへの移動だけが許された行動範囲だったのに、これで完全にベットから1歩も動けなくなりました。しかもおしっこの管って…



亡くなったおばあちゃんが入院していたとき、この尿道カテーテルをしていました。その時は特に何も言っていませんでしたが、尿道に管を入れるなんて、想像しただけで震えました。





看護師さんがカテーテルを持ってやってきました。ベテランそうな方。どうか、うまくやってくれ…

カチャカチャと準備をして、
「ちょっと、痛いですよー」













…ぢぐっっっっ!!!!!!




「いったい!!!」




思わず叫びました。




「あら、ごめんね(+_+)もっとジェルつければよかったかしら」




(TT)(TT)(TT)(TT)





でも、痛いのはここからでした。




寝返りをうつ度にカテーテルが動いて痛い…(TT)角度によっては、逆流してくるような感覚…空気も逆流してくるようで、膀胱の中がポコポコいう…常におしっこしたい感覚があるのにできない…残尿感…



なるべく寝返りをうたないようにじっと動かずにいました。このまま尿路感染症になってしまう、とまで思っていました。寝返りもまともにできないなんて、いったいいつまでこんな生活なのか…



この日は私の誕生日。こんなに悲しくて不安で、痛い誕生日は26年生きてきて初めてでした。



日曜日だったので旦那さんが来る予定でした。転院については来てから話そうと、旦那さんのラインに「着いたら話がある」とだけ入れました。




痛みに耐え、計り知れない不安に苛まれながら旦那さんを待ちました。

保育園受かりました

昨日、無事に第一希望の保育園の入園決定通知書が届きました!


といっても、私の住む地域は田舎でもともと子供の数が少ないので落ちることはほぼないだろうと思っていましたが(^-^;きっと、近所のママ友たちの家も、皆受かったでしょう。


4月から、いよいよ息子は保育園に通うようになり、私は働きます。約1年半、子育てに専念させてくれた旦那に感謝です。今は早く働きたいです。同居で、ずっと家にいるのが苦痛なので笑



保育園は自宅から徒歩5分の場所で、私の職場は保育園の隣にあります。なので朝は歩いて息子を送り、そのまま職場に行きます。フルタイムなので、帰りはばあばが迎えに行ってくれます。



私の働く会社は、決して給料は良くありません。でも、息子と私が一番負担が少ないように、と選んだ会社です。


まず、自宅、保育園から近いこと。何かあったら直ぐに駆けつけられます。そしてその職場は殆ど女性ばかりで、子育てしている人が多い。子供の病気や行事でも休みやすい、とのことでした。さらに仕事内容がストレスの少ないこと。まだこれから経験していくことですが、子育てと仕事の両立はかなりキツいものとなるでしょう。仕事から疲れて帰っても、家では休む暇もありません。子供を21時に寝かすために、逆算して行動しなければなりません。世の中の子育て世代のご家族、本当にお疲れ様です…>_<



私は1人目の時、重度の切迫早産でハイリスク妊婦となりました。きっと2人目も同じことになる確率は高いと思います。もしかして子宮頚管無力症なのでは、と思いましたが、先生ははっきりと何が原因かは言いませんでした。次妊娠した時は最初から総合病院に行って子宮頚管を縛る手術も受けたいと思います。



きっと、職場でずっと立ちっぱなしの過酷な労働とストレスも大きな要因になったと思っています。なので2人目を考えている今は、なるべく負担少ないように働きたいのです。



田舎なだけあって、私が職を探していると聞いて「うちの会社に来ないか」と話をしてくる方も何人かいました。子供を抱えている身に、こうやって会社の方から声をかけてくれるなんて有り難いことだと分かっています。でも、上記の理由で私は決めました。子供が小さいうちは、子供第一で考えたいです。



入園が決まったら入園準備ですね!一番お金がかかると思われるお昼寝布団。この前布団を見に行きましたが、まともに揃えると軽く2~3万はしました(ノД`)5年間、昼寝の時に使用するだけ。5年間「しか」、なのか5年間「も」、なのか…2人目が無事産まれて保育園期がかぶればもう1組…(T^T)



入園したらどこのママ友グループに所属するか、も大事ですね。やっぱりどこにでも懐かしのモンスターペアレントはいるようなので…幸いなことに、いつも行っている子育て支援センターで数人のママ友はゲットしているので安心です。ここでつながっていた人は、小学校に入ってもずーっとつながっていけるよ、とセンターのベテラン先生が言っていました。



支援センターでは月4回くらいイベントを企画してくれます。私は6月から行き始めましたが、ベビーマッサージ、スキンケア講座、離乳食講座、給食体験、イチゴ狩り、ブドウ狩り、焼き芋パーティー、プール、すいか割り、等々…息子の「初めて」はほぼここで経験してきました。本当に楽しかったです。3月には入園してセンターに行けなくなるので「お別れ会」もあるそうです。いままでの日常が終わると思うと、泣いてしまうかもしれません…(T^T)

男の子のシンボル

私は赤ちゃんができたら絶対女の子がいい!と思っていました。


何故なら、女の子なら大きくなっても話し相手になってくれるから。一緒にランチに行ったりショッピングをしたりしたいです。男の子はつれなくて、母親をうざがる。そんなイメージでした。


そして、私も旦那も男家系なこと。私は兄弟・従兄弟合わせて7人いますが、女は私だけです。旦那さんも、兄弟・従兄弟4人のうち、3人は男です。お義兄さんの子供も、男。私の兄の子供も、男。ここまで男ばっかりだと、女の子が産まれたらじいじ・ばあばにも特別にかわいがってもらえるんじゃないか、という期待もありました。



胎児の性別は、早ければ20週前後には判りますよね。しかし、私の場合、出産まで判りませんでした。というより、教えてくれませんでした(T^T)


私の主治医は、ハイリスク妊婦だっただけあって、超ベテランの怖いおじいちゃん先生(←失礼)でした。この先生は絶対に性別を教えてくれないよ、と看護師さんから聞きました。以前どうしても性別を知りたかった妊婦さんが何度も「性別教えてください」とすがりついたところ、「うるさい!」と一蹴されたことがあったそうです(;´Д`)



性別の判断は、エコーで股の間に男の子のシンボルがあるかないか、で判断されます。私の主治医はそんな股の間を見るよりも、心臓に異常がないか、胎盤や血流に異常はないか、を丹念に見る先生でした。その入念なエコーのおかげで、先生は私のある病気を見つけ、手遅れになる前に出産に移った、という経緯もあります。(これもまた後で書きます。)つまり先生にとって、上記の異常を発見するのが最優先であって、股の間にシンボルがあるかどうかなんて優先順位で一番下の項目だったのです。



そんな訳で私は出産まで性別は判りませんでした。でもきっと男の子だろうな…という確信がありました。それは男家系だということと、最初に通院していたM病院で行った4Dエコー。


f:id:shunmama:20180123215842j:plain


これは入院する2日前のもの。19週目です。分かりにくいですが、横向きで頭を手で抱えるように丸まっている赤ちゃん。S字にうねっているのが胎盤から伸びるへその緒。右足は曲げ、左足は真上に伸ばしています。 その脚の付け根の間にある突起物は…もしや…!?



当時、どうしても女の子希望だった私はこの現実に目を背けていました。きっと、何かの影に違いない!そもそも、この週数でこんなに立派なわけがない!


でも心のどこかで諦めていた私は、男の子の名前ばかり考えていました。旦那とも、「きっと男の子だろう」と次第に意見は合致していました。





そして、現在。あれだけ女の子を希望あいていた私は、「男の子で良かったー!!」と心の底から叫んでいます。(女の子であっても、「女の子で良かった!」と思うとおもいますが(^-^;)



なんたって、めちゃくちゃかわいい!シンボルもかわいい!私の周りの赤ちゃんは男の子ばかりです。なので、おむつ替えの時に「見せてー♪」とお互いの息子のシンボルを見せ合い、ここがこうだ、あそこがああだ、なんて言い合っていました。19週で立派だった息子のシンボルは今も立派な方です( ´艸`)



おむつ替えもかなり楽です。実際女の子のおむつ替えを見ていると、おしりふきをするとき汚れが付着しないように気を遣いながら丁寧にしなければなりません。ですが男の子はシンボルの下はおしりの穴以外何もありません。少ない枚数で豪快にふいても大丈夫です。ただ、新生児のころはめちゃくちゃおしっこ飛ばされました。1日に10回ほどのおむつ交換うち、8回はおしっこ飛ばされましたね(ノД`)きっと、おむつが外れた爽快感なのでしょう(T^T)




そして、一番驚いたのが0歳児でも××すること。生後10ヵ月ぐらいまでは旦那がお風呂に入れていたのですが、ある時息子のシンボルを洗っていると、「タケノコみたいになった!」と言うのです。嘘だ~と思いながら見ると、本当にタケノコになっとる!赤ちゃんでもちゃんと男なんだなあと何だか寂しい気持ちに。



「シンボルをちゃんと洗ってあげないと中に垢がたまって炎症を起こすことがある」と保育園で聞き、早速洗うことに。でも、どこまでしたらいいのか。私は女なので男の痛みは分かりません。なんとも難しいです。






たまに「次は女の子だったらいいね」と言われますが、そんなことはありません。絶対男の子がいい!という訳でもありませんが、無事に産まれてきてくれれば本当にどっちでもいいです(*^-^*)



でも息子は大きくなったら嫁に取られるんだよなあ…自分だって、人のこと言えない訳ですが(´▽`)小さいうちにいっぱいイチャつきます。

SIDS~乳幼児突然死症候群

SIDSとは、それまで元気で何の問題も無かった赤ちゃんが、睡眠中に突然亡くなってしまうという病気です。しかもこの病気、0歳児の死亡原因の第3位に入っています。



私は息子が退院して自宅に連れてきたとき、このSIDSが一番恐ろしかったです。なんでも、早産児や低出生体重児の赤ちゃんが発症するリスクが高い。


その次に恐ろしかったのは、窒息。初めて抱っこする新生児は本当に弱々しくて、直ぐに 死んでしまうのではないかという不安感が押し寄せます。布を被って窒息、というのは一番に想像できましたが、母乳やミルクを吐き戻し窒息というのは睡眠中に起こったら防ぎようがないんじゃないか、と思いました。



うちの息子も一度怖い思いをしたことがあります。まだ新生児の頃。3時間置きの授乳をしていましたが、夜中の授乳はとにかく眠い。しかし添い乳でも窒息の危険性があるので、必ず起きて授乳していました。授乳が終わるとゲップですが、すやすや寝ているのを起こすとまた泣くかも…というのと、自分の睡魔に負けてちゃんとゲップさせずに寝かしてしまうことがありました。




あるとき。夜中に、突然息子の苦しそうな、叫び声ともとれる泣き声で目が覚めました。その異常な声に旦那は飛び起きてつまづいて転びそうになりながらベビーベッドに駆け寄りました。


すぐさま息子を抱き上げると、口や鼻から母乳が溢れた状態で苦しそうに泣いていました。急いで縦抱きにして残りを吐き出させ、呼吸が楽になるようにしました。しばらくすると落ち着きましたが、もし、声をあげられずに窒息していたら、当然私たちは気づけませんでした。


恐ろしくて、息子をベビーベッドではなく私の直ぐ横に寝かせ、寝ずに監視しました。


その日から、どんなに眠くてもしっかりとゲップをさせ、頭を上方に少し傾斜をつけて寝かせるようにしました。でも暫くは怖くて眠れなかったです。




SIDSは窒息とは関係ありません。本当に突然に、予兆なく眠りながら亡くなってしまうのです。原因は判っていないのですが、しないよりはしたほうがいいという予防法が3つ。


①うつ伏せ寝にさせない。
受動喫煙させない。
③母乳で育てる。



家には喫煙者はおらず、完母で育てていたので②③はクリア。問題は①のうつ伏せ寝。息子は新生児のころは絶対にうつ伏せ寝はさせませんでした。中にはあえてうつ伏せ寝にする場合もあります。眠りが深くなったり、吐くのを防ぐこともあります。胃の入り口が背中側を向いているからです。


でも、寝返りが出来るようになると要注意です。息子はしばらく寝返りをしてうつ伏せになっても、さらに寝返って仰向けになることができませんでした。うつ伏せになって苦しくて泣く…の繰り返しです。寝返り防止にクッションをかませたり、横向きにさせたり、固めの敷き布団にしたりと気を遣いました。



そして、1歳現在。息子は寝るとき必ずうつ伏せになります。


f:id:shunmama:20180122223512j:plain


このお尻がなんともキュート(*´▽`*)


同じ年齢のママさん達に聞くと、やっぱりうつ伏せ寝をする子は多かったです。しかしもう当然寝返りも自由にできるので、窒息の心配はなさそうです。SIDSの心配も薄れてきました。



新生児の時はちゃんと呼吸しているかよく確認していました。生後4ヵ月くらいから、夜に1度も起きない時期があったのですが、朝になると飛び起きて生きてるかの確認。ほっぺたを突っついて、モゾモゾ動くと「良かった、生きてる」と安堵する毎日でした。


今となっては私の方が息子に頭突きされたりビンタされたり、髪を引っ張られて起こされる毎日です(;´Д`)

不運が続いています

昨日の日曜日は、私にとって理想的な休日になるはずでした。


特に買いたいモノもないし、外は寒くて遊べないし…冬の休日は、温泉が一番です。今年に入ってから本当に毎週温泉へ行っています。いつもは大人ひとり400円くらいの良心的な日帰り温泉にばかり行っていますが、昨日はちょっとリッチに800円の温泉に行きました。


いつも旦那と息子の3人で行くのですが、まだ息子が歩けず温泉に入るのが難しいため、旦那と交代で入っています。そこの温泉は露天がすごく広くてお気に入りでした。


雪が降っていて贅沢な雪見露天風呂です。水って、不思議ですよね。雪になって人の肌や温泉に着地してすっと水になる。また水蒸気となり大気中に散る。いつか雲となり雨や雪になって再び地上に舞い戻る。ある時は誰かの体内を巡って生命を維持する。今日降っている雪は誰かの命だったかもしれない。


そんなことをぼーっと考えながら温泉に浸かっている時間が、大好きです。


お風呂あがりはマッサージチェアに座りました。しばらくすると旦那が「ちょっと見てて」と息子を私の膝の上に乗せました。好奇心旺盛な息子は、膝の上でじっとしているわけはありません。チェアのリモコンをいじろうとしたり、膝から降りて逃げようとしたり。ふと、私のスマホを持って床にブン投げました。


「あ…あとで拾わないとな」


旦那がアイスを買って戻ってきました。「全然くつろげないんだけど」といって、また息子を預けました。するとマッサージチェアも止まり、「もう10分経ったのか…」と渋々降りました。


また少し座敷でくつろいで、そろそろ帰ろうと車に乗りました。そこで、「あ!スマホ!」直ぐに気づいて本当に良かったです。家から結構遠い所だったので。


急いでチェアの所に戻るとおばさんが座っていて、「すみません」と謝りながら探しました。無事にスマホを見つけ一安心。



その後帰りにひいばあばを前の家(今の家に住む前の古い家を壊さず残しています)へ迎えに行き、 近所のスーパーに寄って買い物をして帰宅しました。夜ご飯は白菜のミルフィーユ鍋と磯辺餅を作って食べました。


後片付けも終わって一息ついたとき、「あれ、スマホがない…」。


バッグの中も、車の中も、ジーンズのポケットにも、ジャケットのポケットにもどこにもない。電話をかけてみてもどこからも音はしません。


「また無くしたの?」旦那が呆れています。



「もしかしたら、前の家かスーパーに寄ったとき、車から降りるときに落としたのかも…」


もう21時を回っていたのでとりあえず息子を私が寝かしつけ、その間に旦那が探しに行ってくれました。



旦那が戻ってくるも、「無かった」と…


旦那がGoogleアカウントでスマホの在処を探してくれました。そんなことできるんですね…知らなかった(ノД`)



すると、表示されたのは近所のスーパー。

「やっぱり!!」

今は冬季で21時には閉まっています。でも防水じゃない私のスマホ。ましてや車に轢かれてたら…


急いでまた探しに行きました。車のヘッドライトを照らして探してみるも、やっぱりない…(T^T)その日は諦めて帰宅。




翌朝、スーパーに電話して、「赤いスマホの落とし物ありませんでしたか?」と聞くと、


「ありますよ。」と!!!


本当に、良かったー!(T^T)



取りに行って受け取ると…


画面がひび割れとるー!!!(ノД`)(ノД`)



きっと、ガチガチに凍ったアスファルトに落として、誰かが拾って届けてくれたんでしょうね。保護フィルムも傷だらけです。



ただ幸いなことに、蜂の巣状の酷いひび割れではなく、ぴーっと目立たない1本線のひびが入っているのみ。ネットで調べると1本線のひびはそのまま使っても問題なさそう。ただ怖いので、「スマホの絆創膏」という商品で応急処置しておこうと思います。



今使っているスマホはワイモバイルに乗り換えるときにキャンペーンで108円で購入したスマホです。操作性もよくとても気に入っているので、壊れるまで使用するつもりでした。いや、これからも使用するつもりです。



それにしても…1日で2回もスマホを無くし、画面まで割れるなんて…ついてないというより、私が不注意なんですよね。これからは、リュックにしまったら用事がある時以外取り出さないようにします。



スマホ中毒で、どこに行くにも持ち歩いてそのままおいてきちゃうんです。旅行先でトイレに寄って、ペーパーホルダーの上に置き忘れたのも2回あります。後で気づいて急いで戻ると、そのまま置いてあったり、「今届けようとしてました」と親切な女の人がいて、助かりました。よく盗まれなかったと…日本って本当に治安いいですね>_<私も落とし物を拾ったら直ぐに然るべき所に届けるよう、心掛けます。



私はよく「しっかりしてるけど、ちょっと抜けてるところあるよね」とよく言われます。でも、いつも抜けている人はやらかしても「またか」ぐらいしか思われないのに、普段ちゃんとしてる人がやらかすとそれが際立つようでちょっと不公平ですよね。と、言い訳してみます(´▽`)



今日から、気をつけるぞ!

息子が可愛すぎる

我が子ってどうしてこんなに愛おしいのでしょうか。もちろんたまに憎たらしい時もありますが、最後には全て許せる。それが無償の愛なんでしょうね( ´艸`)



息子はもうすぐ1歳2ヵ月です。早産だったので、修正でいえば1歳になったばかりです。まだ歩けません。早産児は普通に産まれた子より成長が遅れます。産まれたばかりの時もそれは承知しておいてください、と先生に言われました。



息子は確かに首すわりが生後5ヵ月と遅く、その後も寝返り、ひとりすわり、ズリ這い、掴まり立ち、ハイハイと修正で見た同じ月齢の子よりも全てがワンテンポ遅かったです。



4ヵ月検診で首すわりの確認のため組になってうつぶせにさせたとき、ほかの子は皆軽々と頭を上げているのに息子はベターと突っ伏したままでした。そのままジタバタして泣き出し、まるで「僕だけ出来なくて悔しいー!!」と言っているようでした。



6ヵ月検診では皆ハイハイ。息子はひとりすわりがやっと。もちろん、遅いのは仕方ないのです。でも、どこか気にしている自分がいました。他のママさん達が「あの子、まだ首もすわってないの?」と思われているような視線。きっとそんなことはないのでしょうが。



確かに動作の遅れはありましたが、体格は普通に産まれた子をいつしか追い越すほどのペースでデカくなってました。


出生体重は1929g。低出生体重児です。


因みに低出生体重児は2500g以下。
1500g未満は極低出生体重児
1000g未満は超低出生体重児といいます。息子が入院していたNICUでは600g代の子だっていました。それでも生きて育っている子も多くて、今の医療は本当にすごいです。




赤ちゃんは1年で出生体重の3倍になればいい、と言われます。息子は1歳で10600gになりました。約5倍です(^-^;今通っている支援センターの同じ月齢の子と比べると身長も体重もデカい方です。


そして息子は産まれるときとても苦しかったようでチアノーゼで全身が紫色でした。後でまた書きますが、産声もあげず外見的にも明らかな異常箇所がありました。新生児科の先生からは、「脳に障がいが出るかも。今後歩くのにも支障があるかもしれない」と言われました。その時は絶望でたくさん泣きました。




しかし、今のところ特におかしなところはありません。先天的な異常も、完治といっていいのか、経過観察の通院も終了しました。支援センターの保育士さんからも、「全然早産だったとは思えない体格だし、発達も問題ないね」と言われました。今は何事もなく育っているのが普通のようですが、1年前のことを考えると本当に奇跡だったんだなあ、と思い知らされます。



そして芸も少しずつ覚え始めました。一番初めに覚えたのは「イテー」です(´▽`)息子があまりにもテーブルに頭をぶつけるので「イテー」といいながら頭をさすってあげてたら、自分で頭を抑えるようになりました。それからは「イテーは?」というとこの動作をします。


f:id:shunmama:20180120222213j:plain


次に覚えたのは、「いっちゃい」。「何才?」と聞くとニコニコ顔で人差し指を立てます。可愛すぎる………!!


ライオンさん、くまさん、トトロも覚えました。「ライオンさんは?」と聞くと指差しします。「ごちそうさま」というと両手を合わせます。食事後に必ずするようにしています(*^-^*)



そして最近また覚えたのが「○○な人!」というと手を挙げること。おやつを見せて「これ欲しい人!」と言ったり、「ママのこと好きな人!」と言うと「あいっ!」と言って手を挙げるのがたまらなく可愛くて毎日しています笑。出来たら頭を撫でて「じょうず~!!」と大袈裟に誉めたりおやつをあげたりして、わんちゃんに芸を教えているような錯覚に陥ります(^-^;




今が一番かわいいと思ってますが、きっと1年後も同じこと思っているのでしょうね。結局は、成長過程のどの場面も1番可愛いのです。この子が歩けるようになったら…しゃべれるようになったら…どんな行動をしてどんな声で話すのか、いつも想像して楽しみで楽しみでたまりません。だから、一日一日を大切に新しい「出来た」に一緒に感動して一緒に笑って、過ごしていきたいです。