元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

【⑨転院指示】

20w2dの朝の内診で子宮口が1cm開いていることが分かりました。


「お話がありますのでお部屋に戻っていてください」


部屋に戻って先生を待つ間、先生に言われたことについて考えていました。


子宮口が開き始めたということは、もう赤ちゃんが産まれようとしているのか?それに、覗くと赤ちゃんを包む卵膜が見えると言っていた…入院して1週間、言いつけを守って安静にしていた。しかし確かに張りはおさまらなかった。入院時1.6cmあった子宮頸管は、子宮口が開いた今、0cmになってしまったんだろう。子宮頸管長がなくなってしまったら、産まれてしまうと思っていたのだが…今はまだ20週に入ったばかり。22週はまだまだ先だ。まさか…ここでこの子の命は終わってしまうのか?


まだ説明も受けていないのに、とめどなく涙が流れていました。もう何度目の涙か分かりません。



しばらくすると先生がやってきて説明してくれました。



「懸命に治療してきて、○○さんも頑張っていますが、今の病状は良くありません。既に子宮口が開いていてこのまま徐々に開いたり、破水したり、感染症にかかるリスクが高いです。今は20週に入ったばかりですが、このM病院ではNICU(新生児集中治療管理室)がないので37週からの赤ちゃんしか診れません。ここから近い市立の総合病院にはNICUはありますが、28週からしか診れません。ですが県立の総合病院なら、22週で産まれた赤ちゃんも、診れます。市立の総合病院に問い合わせてみましたが、○○さんの病状を考えると県立病院で見てもらった方がいい、と言われました。突然で申し訳ないのですが、明日、県立病院へ転院して頂きます。」



ショックだったのは、市立病院に受け入れ拒否されたこと。それではまるで、現状では、28週までもつ見込みがないということか。さらに、県立病院はかなり遠いのです。自宅からだと、2時間半〜3時間くらい。このM病院や市立病院なら、平日でも仕事終わりに旦那さんがお見舞いに来れたが、県立病院は無理だ。もしかしたら、週末も来れないかもしれない。どこだか分からない所で、旦那さんにも会えず、孤独に戦わなければいけない。



赤ちゃんのことはもちろん、これからの入院生活を思うと、不安で不安でたまりませんでした。そして先生から、さらにとどめの一言。



「これからは、トイレも禁止です。ボーダブルトイレへの移乗も刺激になるかもしれないので。後でおしっこの管を入れます。便は、看護師の介助でベット上でしてもらいます。」



今までポータブルトイレへの移動だけが許された行動範囲だったのに、これで完全にベットから1歩も動けなくなりました。しかもおしっこの管って…



亡くなったおばあちゃんが入院していたとき、この尿道カテーテルをしていました。その時は特に何も言っていませんでしたが、尿道に管を入れるなんて、想像しただけで震えました。





看護師さんがカテーテルを持ってやってきました。ベテランそうな方。どうか、うまくやってくれ…

カチャカチャと準備をして、
「ちょっと、痛いですよー」













…ぢぐっっっっ!!!!!!




「いったい!!!」




思わず叫びました。




「あら、ごめんね(+_+)もっとジェルつければよかったかしら」




(TT)(TT)(TT)(TT)





でも、痛いのはここからでした。




寝返りをうつ度にカテーテルが動いて痛い…(TT)角度によっては、逆流してくるような感覚…空気も逆流してくるようで、膀胱の中がポコポコいう…常におしっこしたい感覚があるのにできない…残尿感…



なるべく寝返りをうたないようにじっと動かずにいました。このまま尿路感染症になってしまう、とまで思っていました。寝返りもまともにできないなんて、いったいいつまでこんな生活なのか…



この日は私の誕生日。こんなに悲しくて不安で、痛い誕生日は26年生きてきて初めてでした。



日曜日だったので旦那さんが来る予定でした。転院については来てから話そうと、旦那さんのラインに「着いたら話がある」とだけ入れました。




痛みに耐え、計り知れない不安に苛まれながら旦那さんを待ちました。