元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

仲直りしました

先日夫婦喧嘩をした話をしましたが、3日くらいで仲直りしました。


当初は「俺は謝んねぇぞ」なんて言うもんだからそっちがその気なら!って完全臨戦体制だったのですが。


翌日もママ友たちに話して、ある提案が。「だったら、毎日牛乳寒天作ってやればいいよ」恥ずかしながら、この夫婦喧嘩の原因は牛乳寒天なんです。私は見るのも食べるのも嫌になった牛乳寒天ですが、なら逆にそんなに好きならたくさん作ってやるよ、と思い立ちました。


私は毎日旦那のお弁当を作るのですが、お弁当の中身をすべて牛乳寒天にしようと思いました。でもさすがにキレられるかな…と思い、デザートにつけました。喧嘩しててもお弁当はちゃんと作る。自分に非はないようにします。


夜ご飯には旦那のお茶碗にご飯の代わりに牛乳寒天を盛り付けました。次の日のお弁当にも牛乳寒天を入れました。その日の夜は丼に牛乳寒天を作って出しました。


さすがに戸惑いを見せる旦那を見て、もうなんだかバカバカしくて、くだらなくて、思わず笑っちゃいました。


「牛乳寒天ばっかりでどう思った?」と聞いたら「嬉しい限りだった」と。やっぱりお互い頑固で譲れないところがあるんです。チクショー!と思って結婚指輪を外して生活してたのですが、旦那は気付いてませんでした。等の本人の私も、昨日まで外したことを忘れてました。買った当初は嬉しくてたまらなくて「薬指がくすぐったい」、なんてよく聞きますが、たった2年で日常の一部と化します。なくても気付かないくらいに。


そのくらい、モノなんて大したことないと思っています。欲しくて欲しくてたまらなかったものも、手にしたらただの日常です。だったらどうしても必要なもの以外欲しいと思いません。私が結婚した証は、結婚指輪でも婚約時計でもなく息子だと思ってます。


喧嘩中、余りにも腹が立って息子とお風呂に浸かったまま泣きました。そしたら息子がびっくりしたように大きな目をさらにまんまるにして立ち尽くし、手を右往左往しながら「どうしたんだろう、どうしよう」と戸惑っているようでした。もう可愛くて可愛くて、本当に「息子がいればなにもいらない!」状態でした笑


最近第一次反抗期に差し掛かっているのか、私が怒ると反抗してきますが、なんかそれも可愛いです。そんな小さな身体で文句言ってる姿が笑

現在1歳3ヶ月。修正1歳1ヶ月。まだ歩きませんが、ものすごくおしゃべりしてます。もちろん、何を言っているかは分かりません。でも一生懸命指差しして何かを伝えようとしていて、その成長を日々感じています。

入院して90万円得した話

今回は保険の話です。私は切迫流産、切迫早産のために92日間入院して入院費を差し引いても90万円得しました。


入院した当初は長期入院と聞いて「一体いくらお金がかかるんだろう…」と金銭面でも心配でした。入院したことがないので、入院費がいくらかかるかなんて想像もつきません。


入院して1週間が経ち、M病院から県立病院へ転院した日。ふと、加入していた生命保険を思い出しました。「入院しているのだから、保険の給付対象だよね?」


この生命保険は、3年前くらいに父が勝手に加入していたものでした。理由は、当時担当していた保険の販売員がシンママで余裕がないのに、新規の契約が取れなくてクビになりそうだ、と言われて入ったと(笑)私は当初なんで勝手に!というのと、その方がかわいそうだから、という理由が納得できませんでした。しかし父から「最初の1年の保険料は俺が払うから」と言われ、まあ何があるか分からないから生命保険も必要か、と思ってしぶしぶ了解しました。結局その方は辞めてしまったみたいですが(ノД`)


この勝手に加入された生命保険、今となっては本当に入ってて良かった!と思ってます。


病室で保険会社に連絡しました。今、入院しているのですが、どうしたらいいですか?切迫流産で入院していると伝えると、「入院の期間はどのくらいですか?」と聞かれました。「ええっと…産まれるまでです。」「出産予定日は?」「1月13日です。」この当時は9月に入ったばかりの頃でした。「1月ですか?来年の?…それは大変ですね」さすがに動揺しているようでした。書類を送りますので、病院の方で記入して貰ってください等と説明を受け、電話を切りました。


出産予定日まで入院となると、5ヶ月間入院することになります。でも実際は、37週からが正産期といって赤ちゃんも十分成長し外の世界に出でも問題なく生きられるようになります。私にとっての37週は、ちょうどクリスマスあたりでした。先生からも、「37週になればもう頑張る必要はないから、そうなったら点滴外すよ」と言われました。張り止めの点滴を外す=今まで抑えていた張りが反動から一気に強くなり、陣痛へと変わり出産に至る、ということです。

 
ということは最長で4ヶ月の入院となります。4ヶ月ももてば、の話ですが。


大事な給付金ですが、加入していた保険は入院1日につき5000円。ただし女性特定疾病に当てはまれば倍の1万円が給付される、というものでした。切迫はそれに当てはまるのか?これは男性は絶対かからない病気だし…と思って聞いてみたら見事!当てはまりました。これで生命保険からは

入院日数×1万円+入院お見舞金

がおりることとなりました。


次に手に入ったのは入院直前まで勤めていた会社の健康保険からおりたお金です。会社には入院して2週間したくらいにはっきりと退職する旨を伝えました。「退職日はいつにするか」と聞かれ、旦那の扶養に入る手続きがあることからもキリがいい方がいいと思い、9月いっぱいは席をおいてもらうことにしました。


おりたお金はまず傷病手当。病気やケガで連続4日以上休んだ場合、給料の3分の2が支給されます。

次に高額医療費。1ヶ月の医療費が定められた「自己負担限度額」を超えた場合に健康保険から払い戻される。

あともう一つありましたが、なんだったか忘れました(笑)


そして次は支払うお金です。入院費っていくらかかるのか…((((;゚Д゚))))
ここで申請したのが先程も書いた高額医療費です。会社で加入している健康保険に申請します。医療費が高額になりそうな場合は、事前に加入先の健康保険に「限度額適応認定証」の申請をして、認定証をもらっておきます。この認定証を提示しておくと、支払い時に自己負担限度額を超えている場合には、自己負担限度額のみを窓口で払えばいいのです。


この自己負担限度額は所得に応じて違うのですが、平均は97000円ほどだそうです。私もそのくらいでした。


最初に入院していたM病院では手続きをしていなかった為、7日間の入院で9万円払いました。お高め‥(¯―¯٥)

でもその後きちんと申請したので県立病院では1ヶ月で9万ちょっとでした。


内訳はこう。

8月29日〜9月5日…9万強(M病院)
9月5〜9月31日…8万弱(県立病院)
10月1日〜10月30日…9万強(県立病院)
11月1日〜11月31日…42万弱(県立病院)

最後方がちょっと謎なんですが。私は11月24日に息子を出産しました。出産したら他の方と同じように1週間で退院です。なので11月31日に退院しました。妊娠、出産は病気ではないので保険対象外です。なので出産にかかる費用は実費ですよね。病院によって値段は違いますが平均で40万円前後かかります。ただし、加入している健康保険から出産育児一時金が支払われるので、結果としては自己負担はそれほどないようです。私の場合、出産育児一時金で42万円頂き、5000円余りました。


出産と産後の入院だけで40万以上かかるのに、11月の請求は41万5000円でした。それに私は入院してから産後もずーっと個室でした。安すぎない?と思いましたが損している訳ではないので特に聞きませんでした。


こうして、3ヶ月の入院をした結果、かえって懐があたたかくなりました。


ちなみに、息子は出生時未熟児だったのでNICUに入院したのですが、そこで提示された退院までにかかるであろう予定医療費はなんと600万円(✽ ゚д゚ ✽)目を疑いました。でも大丈夫、未熟児の医療費を助成する制度もちゃんとあります。後でまた書きますが、結果的に息子の医療費は1円も払わずに済みました。


ちゃんといろいろな制度はありますので絶対使った方がいいですし、保険料も税金も、真面目に払っていればいざというときいいことあるんだなあと実感しました。

夫婦喧嘩

昨日旦那と喧嘩?しました。旦那からすれば「急にムッとして意味わからん」ぐらいの気持ちなんでしょうが。


ネットでもよくそういうのを見かけますね。普通に話していただけなのに、「急に嫁が怒り出した」。それは夫が鈍感なだけで確実に嫁の怒りの地雷を踏んでしまってます。


喧嘩の経緯は書きませんが、「自分の親の家に住んで料理も作らないのにこの気持ちは分からないだろうな〜」っていう感じです。嫁だって大変なんです。毎日ご飯のメニュー考えて。旦那と子供だけならまだしも、同居してるんです。失敗しても、「失敗しちゃった〜」なんてたまにならまだしも頻繁にはやってられないんです。味付けも濃くならないように気をつけてます。でも本当は濃い味が好きなんです。炒め物はにんにくたっぷりがいいんです。ご飯だって本当は固めに炊いたのが好きなんです。菜っぱのおひたしだって、茹ですぎてクタクタより、シャキシャキが好みなんです。美味しいのか不味いのか、反応がほしいんです。食べたくなかったら食べなくていいです。そんでもって、「おふくろの味」とか言われるのが一番腹立つんです。


私は瞬間湯沸かし器タイプではなく火山タイプです。後から態度や言葉を思い起こしてフツフツと怒りが湧いてくるタイプなんです。そして怒ったら不機嫌になってムッとして何に対して怒っているか言いません。旦那は「なんで怒ってるのか分からない」から旦那も不機嫌になり、二人で無口になります。これが私たち夫婦の喧嘩パターン。どちらも悶々として悪いパターンです。


イライラしていたのでママ友たちに愚痴りました。こうこうこうで、こんなことがあった!と話すと皆一斉に「ありえない!」「ここに連れてこい!」と笑。溜まっていたものを吐き出して、共感してもらえるのが一番スッキリします。本当にママ友たちの存在は大きいです(*^_^*)


ママ友の中で瞬間湯沸かし器タイプの人は、「こうでこうでこうだから怒っている」っとイチから十まで説明しないと気が済まない、と言います。やりすぎるといつまでもネチネチ言って旦那が逃げると、「ふーん逃げるんだ。」って追い打ちをかけるみたいです笑


私はそれが羨ましいです。「自分はこういう気持ちなんだ、こういう考えなんだ」と伝えられることが。「なんで怒っているのか言わないと分からない」と旦那によく言われます。私としては「言わなくても分かってよ」という気持ちと、なかなか自分の気持ちを言えない、というのがあって無口になっちゃうんですね。自分でも悪いところだと分かっていて、気をつけようと思ってるんですが…ここに書いてるばっかりじゃなくて、言わなきゃだめですね。


ちょっと今日から改革してみます。ネチネチ言い過ぎるのはあれですが、言いたいことを言うというのは大事なことです。

【⑫県立病院での指示】

県立病院での新しい入院生活が始まりました。週数は20w3d。赤ちゃんの大きさは500グラム弱。繰り返しますが、22w未満で産まれてしまった場合は流産となります。あと最低でも11日は、意地でもお腹にいてもらわなければ。


私はスマホで「22週 生存率」「22週 障がい」などと検索しまくりました。


22週未満 流産

22週 生存率30%〜40%
   後遺症なく育つ確率10%

23週 生存率50%
   後遺症なく育つ確率30%

24週 生存率80%

25週 生存率85%

26週 生存率90%

27週 生存率90%以上

28週 生存率95%以上


28週を過ぎて体重が1000グラムを超えれば、内蔵機能がほぼ完成しているので後遺症の心配はぐっと少なくなる。目と肺の完成が遅く、一番最後に完成するのは肺で、34週頃になれば出生時自発呼吸をして産声をあげられる可能性が高い。逆にそれ未満だと呼吸器系が未熟で、呼吸に関する後遺症が残ったり呼吸器が必要になることが多い。


私は入院時、28週でさえもハイレベルな目標でとにかく22週、命だけでも、と思っていました。でも、やはり障がいが残るかも知れない、というのはとても心配なことでした。


スマホで実際に切迫流産の経験をした方のブログを読み漁りました。とても衝撃的だったブログがあります。


細かくはあまり覚えていないのですが、その方は22週目前で破水してしまったそうです。破水は破水でも高位破水といって、普通の破水のようにバシャ!と出るのではなく、子宮口から遠いところで破水しチョロチョロと少しずつ漏れてくる、というものです。尿もれと勘違いされる方もいます。ただ尿と違って自分の意思とは関係なく漏れ、羊水特有のニオイがするそうです。


早い時期での高位破水の場合、羊水の減少はもちろん、破水による子宮収縮で早産の危険性が高まります。また赤ちゃんを包む卵膜が破れる訳ですから感染症も起こりやすくなります。


羊水は赤ちゃんのおしっこです。赤ちゃんはお腹にいるころから羊水を飲んでおしっことして排出し、呼吸の練習をしているそうです。そして羊水は赤ちゃんを守る役目があります。


その方は破水が収まらず羊水が殆どなくなってしまい、いつ産まれてもおかしくない状態になりました。医師から迫られたのは残酷な選択でした。赤ちゃんはもう長くはお腹の中にはいられない。22週未満なら流産、なんとか22週を超えて産まれても後遺症が残る確率が高い。赤ちゃんを諦めるなら(中絶ができるのは)22週未満まで。明日までに、諦めるか、後遺症が残ることを覚悟して妊娠を継続するか、選択してください。


たった一日でこんな選択をしろと言われても、できるでしょうか。ここまでお腹の中で育ててきた我が子。愛しくてたまらないはずです。でも、後遺症が残ってしまったらその子を一生育てられるだろうか?長くは生きられないかも知れないし、そうじゃないかも知れない。でも自分が歳をとって死んだあとは?


この方は旦那さんと泣きながら一晩悩んだ挙げ句、諦めることを選択したそうです。正しい答えはありません。でも医師や家族からは「賢明な選択」と言われたそうです。「次頑張ればいいよ」と。その言葉にもいろいろな葛藤があると思います。さっきまでお腹の中で元気に動いていたのに、もしかしたら奇跡的に助かって別の未来があったかもしれない、と想像するとその気持ちは耐え難いものでしょう。



私は子宮口こそ開いてきましたが、破水や出血はしませんでした。先生がもう暫くは大丈夫、と判断したからなのか、そのような選択を迫られることはありませんでした。ただ週数を追うごとに生存率が高まり後遺症の可能性も低くなることから、「とにかく安静にして、1日でも長くお腹の中に居させる」ことだけを言われました。赤ちゃんにとってお腹の中の1日が、外の世界の3日以上だと言われました。私はその言葉を守って、「私は赤ちゃんの保育器」と思って入院生活を過ごしました。



転院前のM病院では、食事、洗面はベット上。トイレ禁止で尿道カテーテル。シャワー禁止。清拭のみでした。県立病院でも同じか、さらに厳しくなるのでは‥と危惧していましたがあっさりと尿道カテーテルが外されました。しかもポータブルトイレではなく個室内のトイレへの歩行可。ベットからは10歩位離れています。シャワーは週1回可。洗面も歯磨きも、洗面台に行ってすることが許可されました。


驚きつつもかなり嬉しかったです。もう1週間以上シャワーを浴びていません。M病院ではがんじがらめだったのに、こんなに自由に動いていいのか?拍子抜けでした。


腕にはM病院と同じくウテメリンの点滴が開始されました。流量はお腹の張りを見て徐々に上げていくと。1日2回、朝と夕方にモニターを付けて張りを確かめ、30分に1回以上張るようなら流量を1増やし、またモニターを付けて確認。モニターは大体30分くらいつけるのですが、その間一切身体を動かせないので苦痛です。たまらず寝返りを打つとセンサーがずれてしまったりするので、その度に看護師さんが直しにきます。でも、赤ちゃんの心音を聞くことができ、「今日も赤ちゃんは元気」と確かめられるので楽しみでもありました。



   

お義姉さんとの話

久しぶりに旦那のお兄さんの奥さんから電話が来て話しました。普段は名前で読んでいるのでKさんとします。

Kさん夫婦(長男夫婦ですね)は2歳の男の子が一人いて、私達が住む家からは遠く離れた都会に家族3人で住んでいます。男の子を保育園に預けて、共働きしています。やはり保育園でよく病気をもらってきて、近くに頼れる人がいないのでその度にKさんが仕事を休んで看病しています。


Kさんは今している仕事がとても好きだと言っていました。「天職だと思っている」と。仕事をそこまで言えるなんていいなあ、羨ましいなあと思っていました。子育てとの両立が大変でも、好きだから続けられるんだと。


しかし、今は事情が変わったようです。電話では、「転職する予定だ」と言っていました。理由は、「好きな仕事をしていると、妥協したくない。完璧にこなしたい。でも、子育てしながらそれを実現させるのは難しい。子供が具合悪ければ仕事を休まなければいけない。分かっているけど仕事もしたい。旦那から『母親なんだから』と言われて大喧嘩したこともある。だったらいっそのこと、好きでもなんでもない全然別の仕事をして、『子供が具合悪いので帰ります』ってさらっと言えるような所で働きたい。子供が可愛くて、一緒にいるだけで楽しすぎて、この一瞬を大事にしたい。」


なるほどなあ、と思いました。あえて好きじゃない仕事を選ぶなんて私には全然なかった発想でした。仕事と子育ての両立は本当に大変なんだ。もちろん、仕事もバリバリこなして子育てもしっかりしている方もいるかも知れません。でも考え方は人それぞれ。誰々ができているから、といってそれに必ずしも習う必要はありません。


2人目の話もしました。2人目がなかなかできないそうです。2人目不妊?というようで、私の周りでも結構聞きました。「もう少し後から〜」と考えていると、本当にできなくなってしまう、と。私は一人目が大変だったので、少なくともあと1年は作らない予定でいます。息子がもう少し大きくなってから、もし、私がまた長期入院になっても大丈夫なように。大きくなったら大丈夫なのかは分かりませんが笑


でも、きっとそんな計画通りにはいきませんよね。1人目は奇跡的に無事に産まれたけど、2人目は‥。また同じことになって、今度は流産してしまうかも知れない。そもそも、できないかも知れない。授かりものです。

なんだか考えさせられました。

【⑪ MFICU入院】

県立病院に到着し、分娩台に載せられました。ここで診察をしてから病室に行くようです。


お腹にはモニターが付けられました。NSTノンストレステストと呼ばれる、健康な妊婦さんでも皆後期から行うものです。お腹に円盤状のセンサー?を2つ、ジェルを塗って押しあて、ベルトで固定します。胎児の心拍数、胎動、そしてお腹の張りの3つが、それぞれ折れ線グラフとなって表示されます。


まだ20週だったので赤ちゃんが小さくうごきまわるのでなかなか正確な数値が取れませんでした。看護師さんが苦戦しているうちに、救急車の後を追っていた旦那さんが到着しました。ひとまず一安心。


そして、私の主治医となるA先生が現れました。歳は結構いってる感じ。清潔感はあるが神経質そうな先生。まずは次々と質問が飛びます。


「最終生理日は?」「結婚したのは何歳?」「流産の経験は?」「家族に糖尿病の人は?」


なんだか答えに詰まったら怒られそうな気がして、一問一答で即答しました。



そして診察です。ズボンとショーツを脱ぐのに少しでも身体を動かすと、例のおしっこの管が動いて痛い!思わず「痛い!」と言うと、


A先生「何?どこが痛いの?」

私「おしっこの管が‥」

A先生「そんなもの、抜いちゃいなさい」



ええっ!?抜いてくれるの!?もう、それだけでA先生は恩人です。この痛くて痛くて憎き管が外れるなんて…


看護師さんが「ちょっと痛いですよ」と言って管を一気に引き抜きました。入れるときと同じくらいの痛みを伴って、無事管から開放されました。



そして内診。指を入れて「確かに1cm位開いてるね。」やっぱり、間違いないんだ…。看護師さんがクスコ(内診する器具)を渡すときに、滅菌袋の開け方が悪かったらしく、先生が「だから!バナナの皮を向くように開けてって言ってるだろ!この方は特に感染に気をつけなきゃいけないんだから!何回言ったら分かる!」と冷静にキレてます。どうやらこういうキャラのようです。看護師さんも大変だ…


そしてエコー。「骨盤位だね。」逆子のことです。前の病院で入院中に逆子になってしまいました。でもこの週数ではまだ赤ちゃんは小さく、子宮内で楽楽動き回れるのでまだ心配ない、とネット情報で知っていました。


「骨盤位だなんて聞いてない…」先生は不機嫌そうです。「今、逆子なので、もしすぐ出産となったら帝王切開となります。足から出てきてへその緒が圧迫されたりしたら赤ちゃん危険なので。帝王切開は承諾書が必要で、緊急時輸血が必要だったりするので今書類にサインしてもらいます。」


なんだかいきなり帝王切開の話をされて混乱しましたが、しないわけにはいきません。旦那さんと2人でサインしました。


帝王切開かー。お腹を切るって痛そうだな。でも陣痛とどっちがましかな?と、痛みのことばかり気にしてました。


診察が終わり、車イスに載せられ病室に向かいます。そこは普通の病室ではなく、病棟の奥の、さらに扉一枚隔てたMFICU(周産期母子医療センター)というところでした。ハイリスクな病気をもつ母子の、集中治療室です。2人部屋が2部屋、1人部屋が2部屋の計4部屋でしたが、私は一番広い1人部屋をあてがわれました。改めて、「ああ、私は結構なハイリスク妊婦なんだなあ」と実感しました。

夫婦の時間

最近息子が朝起きるのが早くなり、良いことではあるのですが朝2度寝ができず昼寝もできず眠いです(=_=;)実質的に6時間以上は寝ているはずなので、何故こんなに眠いのか…


今息子の寝かしつけは大体21時半です。もうちょっと早く出来れば良いのですが…方法は未だにおっぱい。もうすぐ1歳3ヶ月。修正1歳1ヶ月です。おっぱいが張ると辛く、職場で絞るのも面倒なので、仕事が始まる前には断乳したいと考えていいました。


しかし今は寝かしつけ前の1回の授乳だけになってもあまり張らなくなり、夜泣きもしなくなったので無理に断乳しなくとも自然に卒乳出来れば一番いいかなあと思っています。昔は乳首に辛子を塗る、とかよく聞きましたよね笑


昼間もたまに授乳していると、ばあば・ひいばばに「もう栄養ないんだよ〜」とか「もう美味しくないでしょ?」とか言われたりしますが、完全スルーします。栄養だってちゃんとあるし、不味かったら飲みません。そもそも栄養がどうとか言うより、精神安定のために与えているつもりです。中には3歳でまだ授乳している方もいますし、仕事の都合等で早い時期から断乳する方もいるし、最初から完ミの方もいるし。タイミングは人それぞれ。


息子はたまにおっぱいだけでは寝付けない時があるので、腕枕をしてトントンしながら昔話をしたり今日あったことを「楽しかったね」と話したりします。「明日もきっと楽しいよ」とか話していると、いつの間にか寝入っています。本当に楽になりました(*^^*)



そうしているうちに、私も一緒に寝てしまいます。今日は夫婦の時間を持ちたいな〜と思っても、眠気に勝てません。旦那がお風呂から上がって2階に上がって来る頃には、私と息子は夢の中です。


旦那さんの帰宅はいつも19時頃。そこからご飯を食べて片付けて、私が息子とお風呂に入って寝かしつける。そのまま寝てしまったら、旦那さんと会話できるのは夕食の時間と朝の数分です。日中ひいばばと過ごす時間の方が何倍も長いです。


息子は、かなり旦那似です。いつも行っている支援センターは保育園の中にあるのですが、そこの保育士さんは昔旦那の担任だった方もいます。なので息子を見ると、「○○(旦那)そっくり!」「○○ジュニア」など言われます。私も子供は旦那に似てほしいです。すごいのろけた話をすると、好きな人に似た人がもう一人増えるわけなので。(あと何十年か経てばそれが憎たらしくなるのでしょうか笑)たまにすごーく寂しくなった時、旦那の面影を息子に探したりします。結局息子も可愛すぎて寂しさは吹っ飛ぶのですが笑


今日は支援センターで工作?です!子供を託児して、ママ達だけで工作に没頭できるように…がコンセプトです。こんな生活もあとわずか。早く働きたい気持ちが大きいですが、一瞬一瞬を大切にしたいですね(*‘ω‘ *)