元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

子供の病気と仕事

子供を保育園に預け仕事をするようになって半年が経ちました。育児と仕事を両立するにあたって何が一番大変かというとやはり子供の病気です。


小さい子供は保育園でしょっちゅう風邪をもらってくる…これは本当の本当の話です。中には風邪をひきにくい丈夫な子もいるでしょうが、恐らくほんの一部。私の息子はもれなく頻繁に風邪をひきました。


1歳4ヶ月から保育園に通い出した息子。4月は全く風邪もひかず「うちは丈夫な子かも!?」と思っていました。4月の後半には夜保護者たちが集まり園での様子を先生から聞く機会があったのですが、中にはずっと体調が悪くほとんど休んでいる子もいました。


5月。園ではちらほら胃腸炎になる子が出始めました。ある夜、息子の隣で寝ていると、子供がぐずり始めムクっと起きたかと思うと布団に思いっきり嘔吐しました。私と旦那は飛び起きて、私は泣き続ける息子をあやし、旦那はシーツを洗ったり掃除をしました。ついに胃腸炎か!?た思いましたが、翌日以降特に嘔吐や下痢、熱の症状はなく元気。

たまたま体調が悪かったのか…?そしてその翌日に旦那が胃腸炎発症。嘔吐と腹痛で1日寝込みました。旦那が回復して2日後、また同じように子供が夜中に嘔吐。今度は私の服にも思いっきりかかりました。次の日は保育園の親子遠足があり、いちご狩りに行く予定で私も凄く楽しみにしていたのですが大事をとって休みました。相変わらず子供は元気だったのですが念の為小児科を受診。しかし、特に症状がないのでなんとも言えない…と。そりゃそうですよね(T_T)

そしてその翌日、今度は私が胃腸炎発症。夜中に腹痛と吐き気で朝までに7回吐きました。胃液も出切って何も出なくなり…病院で脱水症状と言われ点滴。その後2日寝込みました。



6月、7月もちょくちょく風邪をひき、旦那と私と交代で会社を休んで病院通い、その後の看病に徹しました。風邪をひいていると夜泣きがすごいので私も旦那も看病疲れでクタクタになりました。調子がよくなってくればお義母さんに預けて仕事に行っていました。1回熱を出すと3日は保育園に行けないので本当に助かりました。


そして8月。お盆には家族で1泊の温泉旅行にいく予定でした。でもそんなイベントのときに体調を崩すのが子供あるある。見事に旅行の1週間前に入院しました。保育園でちょくちょく出ていたヘルパンギーナ。息子も見事にかかり40度以上の高熱出て、ひきつけを起こしました。初めて息子のけいれんを目の当たりにし、あたふたしているうちに全身をぐたっとさせ遂には失神してしまった息子。白目をむいて何度呼びかけても応答せず、心なしか唇も紫。呼吸してない!?とにかく気が動転し泣きながら救急車を呼びました。入院中も24時間離れられず本当に大変でしたが幸い3日で退院できました。


そしてつい先日も40度以上の高熱が2日続き、運動会に出られませんでした。


子供が熱を出すのは本当に日常茶飯事ですが、そのたびに会社を休んで病院に連れて行って、食べやすいご飯を作ってなんとか薬を飲ませて、夜泣きのたびに起こされて、お義母さんに預けて会社に行って、休んだお礼を言って…


私の職場は子持ちのお母さんが多く休みやすい所ではあります。でもやっぱり申し訳ないし、有給にも限りはあるし、容易ではありません。これから寒くなる季節、インフルエンザやノロ…恐怖です(¯―¯٥)

保険の窓口♪

保険の窓口をご存知ですか?私は少し前からそこに通い始めました。


きっかけは旦那の生命保険に疑問を抱いたこと。

私と旦那は現在結婚3年目で、結婚する前から旦那は生命保険1本と個人年金を2本かけていました。旦那は保険に疎く、全て旦那のお母さんが将来のために入った保険でした。なので旦那はどんな保証内容なのかは知る気もなくただただ毎月保険料を払っていたのでした。


でもそれは私も同じです。自分が切迫になって保険を使うまで、自分が入っている生命保険の内容なんて興味すらなかったです。因みに私も父親が勝手に入った保険でした。


現在我が家では旦那の生命保険1本、個人年金2本、私の生命保険と個人年金各1本ずつ、子供の学資保険1本で合計すると月6万以上の支払いとなっています。個人年金と学資保険は貯蓄なのでまあいいとしても、月の支出の大きな割合を占めています。


現在私も仕事を始めて将来的に子供2人目や車、マイホーム、子供の教育費、老後…などなど本格的に貯蓄を増やそうと考えた時に、一番見直すべきは保険だと思ったんですね。家は同居していて毎月決まった額をお義母さんに渡しているので、家賃や食費、光熱費を自分たちで削ることはできません。私も旦那もタバコは吸わない、お酒もたまにだけ、その他も倹約家な方なので節約するにも限界があります。


そこで、毎月大きい額を払っているのに取っつきにくい保険…これをこの機会にしっかり見直して将来安泰!と言うことで保険の窓口に出向きました。


この保険の窓口、私のイメージでは1時間くらいで我が家の保険内容を教えてくれ、さらにほかに合う保険があれば提案してくれる…という感じかと思ったら、全然違いました!


まず、やたら時間がかかる!最初は「保険とは定期保険と養老保険終身保険の3つに分かれていて…」と保険の仕組みについてじっくり教えてくれます。それだけで2時間。おかげでかなり詳しくなり保険の販売員になれるかもです。1日目はそれで終了。


2回目は将来について具体的に。生命保険は保険料で保証内容を決めるのではなく、もし旦那に万が一のことがあったらどのくらいお金が必要か、そこを算出してから保険を組み合わせるスタイルでした。そうすることで保証が足りなかったり、逆に掛けすぎを防ぐことができます。


その万一の時にどのくらい必要か、を算出するために、旦那が亡くなったらどこに住むのか?実家?アパート?家電の買い換えは?仕事はどうする?どんな車に乗って、旅行にどのくらいのお金をかけて、子供は大学まで行かせるのか?などなど…かなり具体的に想定していきます。現在の旦那と私の手取り収入はもちろん、貯金額まで聞かれます。最初はそんなことまで…と思いましたが、本気で自分にあった保険を見つけるには必要なことのようです。


結局二回目も2時間かけて、旦那が亡くなったら子供が独立するまでいくら必要か…を算出することができました。書きませんが結構な額です。次回はその必要な額から適した保険を選んでいく作業です。まだまだ先は長い…


今までで分かったのは、旦那の入っていた生命保険は少し手厚すぎるということ。もっと保証を減らして保険料を節約できそうです。さらに同じ保証内容でも保険会社によって安い保険料にもできるそう。今まで名の知れた大手の保険会社しか入っていなかったのでここも楽しみです。保険の窓口に訪れたほとんどの方は終身保険はここで、定期保険はここ…といくつかの保険会社を組み合わせているそうです。


何だか何回も行かないといけないし時間も長いし大変ですが、今悩んで決めてしまえば後は楽なので頑張ります( ^ω^ )

イヤイヤ期真っ最中(・ัω・ั)

久しぶりの投稿です!
仕事と育児でバタバタと日々が過ぎ、気づいたら半年が経っていました。過去の投稿を読み返して見ると、ああ、こんな大変な時もあったな、と2年前の話なのに遠い遠い昔のように感じます。


あれだけ大変な思いをして誕生した息子はあれからすくすく育ち今ではイヤイヤ期真っ最中の困った君です。今回の久々の投稿はその事について書きますネ。全然更新してない間もブログを読んでくれてる方が多くてびっくりしました。暇つぶしにどうぞ(*^^*)


現在1歳10ヶ月の息子。修正1歳9ヶ月。首すわり、寝返り、お座り、ハイハイ、つかまり立ち、あんよ。その成長過程のすべてがワンテンポ遅かった息子。初めて歩いたのは入園式の日、1歳4ヶ月頃でした。ただひとつ早かったのは言葉です。1歳前から「ママ」と言い、1歳半の健診時には「パパねんねしたーなー(パパねんねしてるね)」などの2語文を話し始めました。早産のため定期的に通院していましたが、1歳半の時点で歩けていること、2語文を話していることで発達に関する問題はないということで通院は卒業しました。


現在息子はさらにおしゃべりになっています。今朝は「パパの運転で海行ったー」と長文を話しびっくりしました!保育園やばあばに言葉を教えてもらっているのか、いつその言葉覚えた!?みたいに爆発的に言える単語が増えています。お風呂なんて一丁前に「ママと入る!」と言い、パパが入れようとするとギャン泣きです…無理に入れさせたら最初から最後まで「ママ〜!ママ〜!!」と泣いている声が聞こえていました。


ほぼほぼママっ子の息子ですが、イヤイヤが始まるとほんと手に負えません(;_;)


私が仕事から帰宅するのは17時半すぎ。保育園の迎えはばあばが16時ころにしてくれています。帰宅したらお風呂を洗って洗濯回して必要な時はご飯支度です。大抵はばあばが作ってくれているのですが、足りないときやばあばも忙しくて作れない時があるのでその時は私が作ります。また土日など仕事が休みの日は私がご飯担当。


ばあばは訳あって家で寝泊まりしていないので、私が帰宅したあとの18時すぎには家を出ていきます。その後は私が息子を見ながら家事をするのですが…機嫌がいい時は「ばいば〜い」と言ってばあばを送るのですが、たまに「ばあば〜!!ばあば〜!!」と言ってあと追いします。それをなだめながらキッチンに立つと、私の足元でしがみつきながら「あっこ!あっこ!(抱っこ)」と泣きます。仕方なく抱っこしながら料理をすると、レンジフードのスイッチを押したがったり、炊飯ジャーの蓋を開けて中のご飯を手づかみしたがったり、水道で水遊びがしたいと大騒ぎ。体重12キロを抱っこしながらの料理は限界があるし、おんぶひもも途中で嫌がるし、水遊びなら、とイスを出してシンクで遊ばせます。しばらくは静かに遊んでいるのですが、途中でふと見ると服も床も水でビシャビシャ!着替えさせようと抱っこするとまだ遊びたいと全力拒否!やっとのことで降ろして着替えさせようとするも泣いて暴れて思うようにできず。


やっとのことでご飯を作って息子を椅子に座らせ食べさせるも…食べない!あれイヤこれイヤ!野菜なんて一口食べてベーっと吐き出します。フォークを上手く使えず「出来ない!」と投げつける。今度は箸を使いたい!と要求してくるので渡すとこれももちろん使えず「出来ない!」と泣き叫ぶ。テーブルの上のマヨネーズや醤油をよこせと要求して仕方なく渡すと蓋をあけろ!と泣く。開けたら中身が飛び出すから!と教えても分かるはずもなく暴れ続ける。根負けしてどうにでもなれ!と蓋を開けてやると案の定中身が飛び出て椅子や床が汚れる…ほら!と取り上げようとするとまた泣き叫ぶ…


毎日がこの繰り返しです。「……もうっっ!!!」となります。旦那が帰ってくる19時ころににはもうヘトヘトで疲れ切っています。なんで言うこと聞いてくれないの!と泣いたこともしばしば。仕事をしている時の方が何倍も楽で、家に帰るのが憂鬱になった時もありました。


でもこんな時、母親がとってはいけない言動。

「いい加減にして!ママ怒るよ!!」

「いい子にしないと鬼が来るよ!!」

「もう知らない!勝手にすれば!!」

これ全部私やってました。
子供からしたらいい加減って何か分からないし、ママ怒るよ!!って既に怒ってるし。鬼怖いし。ママに見放されたら僕どすればいいの…と更に泣く可能性大。

イヤイヤは子供の自己主張が強くなり成長した証拠。あれをして遊びたい、これをしてみたい。でもママがダメって言う。フォークや箸を使いたいのに手がまだ上手に動かなくて出来ない。なんで?イライラする!!僕だって自分でやりたいし、できるようになったことだってあるのに…誉めてほしいのに。でもママがいっつも怒ってやらせてくれない…なんで?うわーん!!!


息子はこう思っているのかもしれません。ママ友や保育園の先生に相談して気づきました。それからはできる範囲のことは好きなようにやらせ、できるようになったら良く誉め、でも本当にダメなときは折れずにダメと教える。そうしていくうちに泣いて暴れて手のつけようがない…ということは減り、息子も良く笑うようになったと思います。そりゃあ日によって差はありますが…気づけば私も良く笑うようになったからだと思います。私が怖い顔をして怒っているとき、息子は両手の人差し指を私の頬に当て、「ニコッ( ^ω^ )」っと言ってくることがありました。


もう意思疏通のできない赤ちゃんではなく、自我をもった一人の人間として向き合わなければと当たり前のことに気づきました。

【⑲ 先天性膝関節脱臼】

出産翌日の朝。目を覚ますとまず歩いて部屋の窓際へ行きました。今までベッドとトイレの間以外歩いたことがなかったので、外の景色をまともに見たことがありませんでした。久しぶりの外の景色。入院したばかりの頃は真夏だったのに、この日は霜が降りるほど寒い朝でした。


看護師さんがやって来て、「旦那さん、大丈夫かな?」と声をかけてきました。後から聞くと、車の窓が凍りつくほど寒かったようで、この夜初めて寝袋を使ったそうです。よくここまで車中泊を続けてくれました。


「じゃあ、今日から搾乳を始めるよ」。出産翌日から、朝も夜も関係なく3時間置きに搾乳開始です。未熟で産まれまだ口でおっぱいを飲めない息子の為、自動の搾乳器を使って母乳を絞り、鼻から通したチューブで直接胃に流し込みます。最初のうちはまだ出る量が少ないので看護師さんに絞ってもらいました。痛いのを我慢して、初めて採れたのはたった数滴。試験管のようなものに入れて、「届けてくるね」と言って看護師さんが持っていきました。


旦那も病室に来て、しばらくゆったりしていた時。「新生児科の先生からお話があります」とNICUに来るように呼ばれました。いよいよ、我が子との2回目の対面です。


お股の傷が痛むので、ドーナツクッションを敷いて車いすに座ります。それを看護師さんに押してもらいながら、旦那も一緒にNICUに行きました。


NICU産婦人科病棟と同じ階にありました。まず、廊下にあるロッカーに上着や荷物を置きます。時計や指輪などの装飾品もすべて外して。そしてインターホンを押して名前を告げ、扉を開けてもらいます。扉を通過すると手洗い場があり、手を肘まで念入りに洗い、アルコール消毒します。そしてさらにもう一枚扉をくぐります。そこはGCU。GCUとは、NICUで急性期を乗り越えある程度安定してきた赤ちゃんが保育器を出て家に帰るための準備をするところです。保育器ではなくコットと呼ばれるベッドに寝ています。そのGCUから更に扉一枚挟んでNICUがありました。


初めてNICUに入った時に感じたのは、まず匂い。濃密な、赤ちゃん特有の匂いがしました。「赤ちゃんはおっぱいの匂いがする」と言いますが、そこで嗅いだ匂いはそれとはまた違う、生後数週間の間しかしない匂い。今ではその匂いがすごく恋しいです。


話は戻りますが、初めてNICUに入ろうとした時。看護師さんがやって来て言いました。「今、整形外科の先生が赤ちゃんの脚を見てくれていますからね。ちょっと待っていてください。」私は不安に押しつぶされそうになりながら待ちました。


しばらくすると中に入るように言われました。NICUの中には10台近くの保育器が並んでいて、その中央に、先生や看護師さんが10人くらい集まっている保育器。そこに息子が入っているようでした。整形外科の先生が脚のレントゲンを撮って、検査が一段落した頃。


「お母さん、近くに来て、赤ちゃんに触れてあげてください。」


恐る恐る、保育器に近づいて、車いすから立ち上がり中を覗きました。


保育器の中で寝ている、昨日写真で見たまんまの我が子。鼻にはチューブ、口には呼吸器。胸には心拍を測る機械。左手には点滴。右手には採血をした跡。それらは目に入らず、私は息子の脚しか見ていませんでした。


出産直後に見たときと同じように、言い方は相応しくないかもしれませんが、異様な形をした右脚。息子の右脚のつま先は、顔のすぐ横にありました。私は酷くショックを受け、息子に触れることもできず気付けば声をあげて泣き崩れていました。


あんなふうに変な方向に曲がった脚、絶対に正常じゃない…!!やっぱりどう見てもおかしい。やっとつなぎとめた命なのに。今度は身体的なハンデを負うことに…?なぜ、うちの子ばっかり、こんな酷い目に遭わなければいけないのか…


整形外科の先生が泣き喚く私に近づいてきて、ゆっくり話してくれました。「今から、息子さんの脚の治療をしますからね。」


私は保育器から少し離れ、治療を見守りました。嗚咽が止まらず、人目もはばからず泣き続ける私の背中を、旦那はひたすらさすってくれていました。後から旦那から聞いたのですが、私の車いすを押していた看護師さんも一緒に涙を流してくれていたそうです。


息子の脚が強制的に通常の状態に戻されてギブスが巻かれ始めました。それを見て、痛そうで、より声を大きくして泣く私に「大丈夫、痛いことはしませんから。」と先生が声をかけました。旦那が「ほら、見て。ちゃんと下の方にも曲がるよ。」と声をかけてきて初めて、やっと直視することができました。通常の状態になった脚を見て、少し安心したのを覚えています。


一通りの治療を終え、先生から説明がありました。息子の脚の病名は、先天性膝関節脱臼。奇形ではなく、膝の脱臼でした。息子はお腹の中で何らかの原因により膝を脱臼し、膝が逆に曲がった状態(反張膝)で産まれてきました。治療法としてはギプス固定。これで様子を見て、数週間で治るかもしれないし、手術が必要になるかもしれない。もし、手術が必要なら小さい赤ちゃんの手術ができる病院を探さなければならない。今後のことは、もしかしたら歩くのに支障が出るかもしれないし、今のところは何とも言えない。でも、大丈夫。きっと治りますよ。「妊娠中のお母さんの姿勢が悪かったとか、そんなことは決してないので、ご自分を責めないでくださいね。」と先生ら付け加えてくれました。


説明を聞き終えて、「脱臼」という言葉に希望が見えました。まだ何とも言えない状況ですが、脱臼ならよく聞く言葉だしすぐ治りそうなイメージがあったからです。  


改めて保育器に近づいて、息子をまじまじと見つめました。いろいろな機械に繋がれて、脚にはギプス。目は閉じたままですが、しっかりと呼吸して生きようと頑張っている息子。可愛くて可愛くて仕方ありませんでした。


「赤ちゃんに触れるときはトントン、と触るのではなくて、両手で包んで軽く抑えるようにしてあげてください。子宮の中により近い状態にすると、安心しますよ。」


言われた通りにすると、温かくて柔らかくて、まるでひな鳥を触っているようでした。その頃には涙は完全に止まっていて、旦那と笑いながら息子に触れました。


「やっと、お母さんの笑顔が見れましたね。」と看護師さんが言って、記念撮影してくれました。不安なんて忘れて、幸せいっぱいでした。

フルタイム勤務と育児

仕事を始めて1週間経ちました。フルタイム勤務と育児、両立を始めて感じたことを書きます(・∀・)


仕事の方ですが、フルタイム正社員で雇ってもらい、朝8時過ぎから夕方17時過ぎまでの勤務。朝6時過ぎに起きて洗面など身支度を済ませて旦那と私のお弁当作り。7時前に息子を起こして着替え、朝ごはん、連絡ノートの記入など保育園の持ち物の準備…7時半に旦那が家を出る。私は7時50分頃にまだ歩けない息子を抱っこして歩いて保育園に送り、そのまま出社。


保育園の迎えは同居のばあばがしてくれるので私は仕事を終えてそのまま帰宅。17時半頃。


夜ご飯はほぼばあばが作ってくれています。私はすぐに保育園から持ち帰った汚れものなどを洗濯して、お風呂掃除。終わったら干していた洗濯物を畳む。洗濯機が止まったらまた干す。旦那が帰宅する19時まで、やんちゃな息子を相手しながら家事をこなします。


息子はだんだんワガママになってきていて、自分のやりたいことができないと床に寝っ転がって思いっきり駄々をこねます。暗くなってきて寒いのに、外に行きたがる。ストーブをいじる。食器棚を開けて皿を出そうとする。炊飯ジャーを開けてご飯を掴む。食洗機のスイッチをいじる。仏壇の線香の灰を掴もうとする。床に落ちているゴミを拾って食べる。「ダメー!」と取り上げるものなら、のけぞって大泣きします。あまりかまってばかりもいられないので放置したり。


夜も今まで一度も起きなかったのに、突然夜中に激しく泣き出すようになりました。抱っこをせがんでくるので抱っこすると今度はのけぞって嫌がる。仕方ないので1階に降りて明るいところで一回目を覚まさせてまた寝かしつける。やっとのことで寝かしつけると今度は私の目が覚めてしまい、眠れない。夜泣きを始めた息子を見て、「慣れない保育園でいろいろ我慢したりストレスを感じてるんだなあ」と私も泣きたくなります。


と、まあまあ大変な毎日ですが、それでも充実しています。私にとって仕事はひとつのストレス発散の場所。慣れない仕事なので体力的にはきついときもありますが、精神的にはストレスフリーな職場です。やっぱりずっと家にいて子供と一緒にいると、いろいろとストレスが溜まります。同居なのでなおさら。息子と離れるのは寂しいけど、夜には必ず私の元へ帰ってきます。子供が小さいうちは人手は多いほうが心強いです。家族みんなで育児をしています。


保育園の迎えがばあばになり、もし超ばあばっ子になったら、私がいなくても平気になったら、と嫉妬と不安もありました。保育園に行く前は私よりもばあばに抱っこをせがむ、私の抱っこじゃ泣くのにばあばの抱っこならすやすや眠る。そんなことが度々あって、「母親は私なのに」と思うときも。ですが、子供にとってばあばから受ける愛情は貴重なものです。私もばあばっ子でした。息子は私の所有物じゃありません。たくさんの人に愛されている息子は本当に幸せだと思います。それでもやはり嫉妬はありますが、子供にとって母親はばあばとは別次元の特別な存在であることを信じています。


今では私が仕事から帰ってくると満面の笑みで寄ってきてくれます。母子分離の時間ができたからこそ、息子も私をより強く求めるようになり、私も心の余裕ができました。それに、仕事から帰ってきて家事を済ませる間、怪獣と化す息子を見ててくれるばあばを本当にありがたいと思うようになりました。仕事と育児の両立は始まったばかりですが、幸先は良いようです(о´∀`о)

馬油生活4ヶ月経過

馬油スキンケアを初めて4ヶ月経ちました。結論から言うと、すこぶる肌の調子がイイ!!思春期頃から今まで、記憶がある中で一番絶好調な状態かもしれない。


今のスキンケアをおさらいすると、

①純石鹸で泡洗顔

②馬油を塗る

③5分以上経ってから、石鹸で落ちる赤ちゃん用日焼け止めを塗る


①純石鹸で泡洗顔

②馬油を塗る



以上!書いているだけで「シンプルだなあ…」と実感。でも本当これだけで、これだけだからか、肌はイキイキしております。ノーファンデで、工程が少ないので肌に触れる回数も減り、負担が大幅に減少しているのでしょう。


実感している効果としては、

肌が明るくなった

つやが出てきた

ザラザラ、ゴワゴワ感が大分解消した

ニキビが大幅に減った

ですかね。これは本当に驚きました。特に、顔色が明るくなってゴワゴワ感が消えたこと。実際、やることがシンプル過ぎてここ2ヶ月くらい自分の肌をまともに見てすらいなかったのですが、最近やっと変化に気付きました。効果を期待していた毛穴の開きについてはあまり劇的な変化はないかも…また、馬油はシミの予防にも効果があるようで、シミが出来やすそうな頬骨のあたりは馬油をうすーく2度塗りしています。これからの季節に期待!


そんなことで、これからも続けていきます、馬油とノーファンデ。明日は入園式ですが、もちろんノーファンデ、日焼け止めオンリーで行くつもりです!そもそもファンデーション捨てちゃって持っていないので。


最近、仕事で履くためにスニーカーを買い足しました。と言っても、仕事で使うのは今までずっと履いていた履きなれたスニーカー。買い足したのはそれを補う普段履き用。ニューバランスです。これで私の持っている靴は全部で8足となりました。


①黒のニューバランス(普段履き)

②白いアディダスのスニーカー

③黒いプーマのスニーカー(仕事用へ)

④近所用のクロックス

⑤お出かけ用の赤いサンダル

⑥ボグスの防水スノーブーツ

⑦冠婚葬祭用白レースパンプス

⑧冠婚葬祭用プレーン黒パンプス


これで全部です。ミニマリストとして、最低限にしているつもりですが…良いものを、少しだけ、手入れして長く履く。今までは安いものを買って悪くなったらすぐ捨ててまた安いものを買う…という感じだったのですが。最近はエコの観点からもそういうのはやめにしました。ゴミを減らすこと、近頃はそれに情熱を燃やしています。

【⑱初対面時に感じた違和感】

18:55、出産。点滴を抜去してちょうど12時間後のことでした。


「死ぬかと思った」というのはこういうことを言うんだ、と心の底から思いました。普通は陣痛が始まったら少しずつ間隔が狭くなり少しずつ痛くなって出産、だと思うのですが。私の場合突然痛くなって、ものの10分くらいで産まれました。赤ちゃんが産まれた直後、激痛は嘘のように消え、同時に大量の冷や汗と突然の激痛で身体がビックリしたのか、全身がガタガタ震え「寒い、寒い!」と叫びました。


看護師さんが布団を持ってきてかけてくれました。赤ちゃんは…産声は聞こえず、直ぐに新生児科の先生が受け取って処置しているようでした。気道の羊水を吸引しているのか、ジュルジュルと音が聞こえます。私は放心状態で「赤ちゃんは?赤ちゃんは?」と言っていました。


赤ちゃんを産んだあとは、胎盤を引っ張り出す後産があります。義理のお姉さんはこの後産が痛かった!と言っていましたが、私の胎盤はいともあっさりと出てきました。お股も少し裂けてしまったようで、先生は注射針で麻酔をして縫っています。「中の方も裂けてないか見ますね」と言って器具を入れられたのですが、これが痛かった。先生は「これで最後にしますね」と言いつつ何度も何度も入れてくるので心の中で(嘘つき〜!!)と叫んでいました。


やっとのことでこちらの処置が終わるかという頃、やっと赤ちゃんの泣き声が聞こえました。普通元気に産まれた赤ちゃんの産声は「おぎゃー!!」なのに、私の赤ちゃんは「ほわ〜ほわ〜」と何とも可愛らしい声でした。それでも、産声が聞こえたことでとても安心しました。(良かった、ちゃんと呼吸してる)


「男の子です!」と看護師さんが言った時は旦那と顔を合わせて「やっぱりね」と言い合いました。新生児科の先生が息子を両手に載せて私の顔の近くに持ってきました。


初めて見た感想は、本当に、赤ちゃんがお腹の中に入ってたんだ!という感動。いくら胎動を感じていても、エコーを見ていても、実際に見なければホントに入っていたなんて実感できませんでした。紫色をして、目をぎゅっと閉じて口は大きく開けて泣いている赤ちゃん。この子が私の赤ちゃん!少しほっぺたをつついてみると、柔らかい。早産だったので小さい姿を予想していましたが、思ったより小さくはありませんでした。「これから処置をしますので」先生はそう言い残して息子をNICUへ連れていきました。


そして。初めて息子を見た時に感じた違和感。それは息子の右脚でした。普通、赤ちゃんの脚ってくの字に曲がって下に下がっていると思うのですが。息子は左脚は普通なのに右脚は股関節からぐっと頭の方へ上げられ、さらにぴんと伸ばされていました。つま先がおでこに付きそうなくらい。まるでバレリーナが片足を頭の上まで上げている姿勢のようでした。


旦那も、「かわいかったね!」と話しながらも、「脚、なんか変なところにあったね」と違和感を感じているようでした。私は「きっと、赤ちゃんだから、まだフニャフニャで柔らかいんだよ」といいながら、もしかして…まさか奇形じゃないよね?と言い知れぬ不安を抱き始めていました。


出産後は2時間も分娩台の上で過ごさなければなりません。冷や汗でビショビショになった病衣を看護師さんが着替えさせてくれました。途中「母乳が出てるか見ますね」と少しつまむと、何やら液体が出てきました。「うん、ちゃんと出てきてるね」。赤ちゃんを産んだあと直ぐ母乳が出てくるなんて、本当に身体って不思議。普通の出産であれば、産まれたらきれいにしてお母さんが抱っこすると、赤ちゃんは本能でおっぱいを探して吸うそうです。「早産で産まれた場合、その子に合わせた栄養たっぷりの母乳がでるんですよ」と看護師さんが言いました。


しばらく旦那と話しながらゆっくりしていると、隣の分娩室でもお産が始まったようでした。隣の分娩室とは完全に仕切られているわけではなく、声は丸聞こえでした。ただ、私と全く違い、お母さんの叫び声が聞こえない。聞こえるのは呼吸音だけ。静かな状態のまま、「おぎゃー!!」といきなり産声が聞こえました。あまりの余裕な出産に、旦那と目を丸くしました。あとから聞くと、お隣さんは3人目の出産だそう。私の「ギャー!」とか「助けてー!」とかの叫び声を聞いて、どう思ったのかなと恥ずかしくなりました。


あっという間に2時間が経ち、病室に戻りましょうと声がかかりました。お股の傷が気になってあまり上手く動けません。何とか車いすに載って、その日はとりあえず元のMFICUの部屋へ戻りました。


約12時間ぶりに戻った病室。見慣れた風景、寝慣れたベッドに横になりました。違うのは、点滴をしていないのとお腹がぺっちゃんこなこと。夕食が運ばれてきましたが、興奮からか食欲がなく旦那に食べてもらいました。「ちょうどお腹減ってたんだよね」とガツガツ食べ始めました。出産の時に私の胎盤を見て、ついでに看護師さんが運んでいた隣でお産した方の胎盤も見えてしまったようで、食欲なさそうにしていましたが。


赤ちゃんの処置が終わったら旦那だけ対面と説明に呼ばれるはずでしたが、3時間近く経っても一向に呼ばれません。私は(赤ちゃんは生きているのか?)と不安になりましたが、看護師さんに直接「生きていますよね?」と聞くのが何だか怖くて「体重は何グラムでしたか?身長は?」と聞きました。


推定体重の1700グラムを上回って実際は1929グラム。2000グラムには届かなかったものの、想像より大きめ。でも身長は40cmとおちびさんでした。看護師さんが「ちょっと切り取ってきました」と言って、木の箱に入ったへその緒を持ってきてくれました。半透明でみずみずしくて、螺旋状に巻かれたへその緒。中には細い血管が見えました。これが、私と赤ちゃんをつないでいた生命線。よく頑張ったね。


暫くしてやっと旦那が呼ばれました。「じゃ、行ってくるね」。「お願いね」。


私の方も産後3時間経ったのでお股に当てた大きな産褥パットを交換してもらい、トイレに行きました。恐る恐る用を足して、恐る恐るウォシュレットを使って、恐る恐るペーパーで拭きました。でも思ったほど傷は痛くありませんでした。それより出血がすごい。これから1ヶ月くらい、この悪露と呼ばれる出血が続きます。まあ、赤ちゃんを産んだのだからこのくらい当然か。


それから、期待と不安を抱えながらひたすら旦那を待ちました。でも待てども待てども帰って来ません。ものすごく不安になりました。看護師さんに聞くと、「NICUの説明って、長いのよね〜皆さんこんな感じですよ」と言っていました。


そして、3時間近く経ったでしょうか。時刻は、日付をまたいで0時すぎ。物凄く疲れ切った顔で旦那が帰ってきました。「まだ起きてたんだ?」そりゃ眠れるわけありません。


「どうだった?」と聞くと旦那は1枚の写真を渡してきました。その時の写真がこれです。

f:id:shunmama:20180330075030j:plain

息子と、2度目の対面でした。口には、呼吸器。やっぱりまだ呼吸器が必要だったんだ。一瞬かわいそうだ、と思いましたが、直ぐに可愛くてたまらなくなりました。よく頑張ったね、産まれて来てくれてありがとう。


NICUでは、赤ちゃんの病状やこれからの治療の他にもNICUの成り立ちとか、本当に細かいことまで話があったようです。話がすごく長くて、旦那も疲れ切って最後の方は記憶がないと言っていました。


そして、気になっていた右脚に話が及びました。


旦那「脚のことだけど。」


「やっぱり、あの脚、おかしいって。俺も見たけど、最初見た時と同じで変なところに曲がってた。なんか、膝が逆に曲がってる感じ。先生も見たことないから分からないって。ただ、正常な状態に戻そうとすると心拍が乱れたりしてストレスがかかるみたい。あの状態が本人にとって楽みたいだから、そのままにしてるって。明日、整形外科の先生に診てもらうって言ってた。」


私は愕然としました。やっぱり気のせいじゃなかった。息子の脚は異常だった。


旦那「すごく疲れたから、もう今日は休むわ。ネットで調べないようにね。」


旦那は念を押して、いつものように車で寝るために部屋を出ていきました。でも脚の異常なんて、なんて検索すればいいか分かりません。切迫流産になって3ヶ月踏ん張って、臍帯静脈瘤が見つかって。32週で早産して、息子は未熟児の上に今度は脚の異常だなんて。もし、一生歩けない身体だったらどうしよう。まだ何も分からないのに、分からないからこそいろいろと想像して、息子の未来を思って泣きました。泣いて、いつの間にか疲れ果てて眠ってしまいました。