元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

【⑲ 先天性膝関節脱臼】

出産翌日の朝。目を覚ますとまず歩いて部屋の窓際へ行きました。今までベッドとトイレの間以外歩いたことがなかったので、外の景色をまともに見たことがありませんでした。久しぶりの外の景色。入院したばかりの頃は真夏だったのに、この日は霜が降りるほど寒い朝でした。


看護師さんがやって来て、「旦那さん、大丈夫かな?」と声をかけてきました。後から聞くと、車の窓が凍りつくほど寒かったようで、この夜初めて寝袋を使ったそうです。よくここまで車中泊を続けてくれました。


「じゃあ、今日から搾乳を始めるよ」。出産翌日から、朝も夜も関係なく3時間置きに搾乳開始です。未熟で産まれまだ口でおっぱいを飲めない息子の為、自動の搾乳器を使って母乳を絞り、鼻から通したチューブで直接胃に流し込みます。最初のうちはまだ出る量が少ないので看護師さんに絞ってもらいました。痛いのを我慢して、初めて採れたのはたった数滴。試験管のようなものに入れて、「届けてくるね」と言って看護師さんが持っていきました。


旦那も病室に来て、しばらくゆったりしていた時。「新生児科の先生からお話があります」とNICUに来るように呼ばれました。いよいよ、我が子との2回目の対面です。


お股の傷が痛むので、ドーナツクッションを敷いて車いすに座ります。それを看護師さんに押してもらいながら、旦那も一緒にNICUに行きました。


NICU産婦人科病棟と同じ階にありました。まず、廊下にあるロッカーに上着や荷物を置きます。時計や指輪などの装飾品もすべて外して。そしてインターホンを押して名前を告げ、扉を開けてもらいます。扉を通過すると手洗い場があり、手を肘まで念入りに洗い、アルコール消毒します。そしてさらにもう一枚扉をくぐります。そこはGCU。GCUとは、NICUで急性期を乗り越えある程度安定してきた赤ちゃんが保育器を出て家に帰るための準備をするところです。保育器ではなくコットと呼ばれるベッドに寝ています。そのGCUから更に扉一枚挟んでNICUがありました。


初めてNICUに入った時に感じたのは、まず匂い。濃密な、赤ちゃん特有の匂いがしました。「赤ちゃんはおっぱいの匂いがする」と言いますが、そこで嗅いだ匂いはそれとはまた違う、生後数週間の間しかしない匂い。今ではその匂いがすごく恋しいです。


話は戻りますが、初めてNICUに入ろうとした時。看護師さんがやって来て言いました。「今、整形外科の先生が赤ちゃんの脚を見てくれていますからね。ちょっと待っていてください。」私は不安に押しつぶされそうになりながら待ちました。


しばらくすると中に入るように言われました。NICUの中には10台近くの保育器が並んでいて、その中央に、先生や看護師さんが10人くらい集まっている保育器。そこに息子が入っているようでした。整形外科の先生が脚のレントゲンを撮って、検査が一段落した頃。


「お母さん、近くに来て、赤ちゃんに触れてあげてください。」


恐る恐る、保育器に近づいて、車いすから立ち上がり中を覗きました。


保育器の中で寝ている、昨日写真で見たまんまの我が子。鼻にはチューブ、口には呼吸器。胸には心拍を測る機械。左手には点滴。右手には採血をした跡。それらは目に入らず、私は息子の脚しか見ていませんでした。


出産直後に見たときと同じように、言い方は相応しくないかもしれませんが、異様な形をした右脚。息子の右脚のつま先は、顔のすぐ横にありました。私は酷くショックを受け、息子に触れることもできず気付けば声をあげて泣き崩れていました。


あんなふうに変な方向に曲がった脚、絶対に正常じゃない…!!やっぱりどう見てもおかしい。やっとつなぎとめた命なのに。今度は身体的なハンデを負うことに…?なぜ、うちの子ばっかり、こんな酷い目に遭わなければいけないのか…


整形外科の先生が泣き喚く私に近づいてきて、ゆっくり話してくれました。「今から、息子さんの脚の治療をしますからね。」


私は保育器から少し離れ、治療を見守りました。嗚咽が止まらず、人目もはばからず泣き続ける私の背中を、旦那はひたすらさすってくれていました。後から旦那から聞いたのですが、私の車いすを押していた看護師さんも一緒に涙を流してくれていたそうです。


息子の脚が強制的に通常の状態に戻されてギブスが巻かれ始めました。それを見て、痛そうで、より声を大きくして泣く私に「大丈夫、痛いことはしませんから。」と先生が声をかけました。旦那が「ほら、見て。ちゃんと下の方にも曲がるよ。」と声をかけてきて初めて、やっと直視することができました。通常の状態になった脚を見て、少し安心したのを覚えています。


一通りの治療を終え、先生から説明がありました。息子の脚の病名は、先天性膝関節脱臼。奇形ではなく、膝の脱臼でした。息子はお腹の中で何らかの原因により膝を脱臼し、膝が逆に曲がった状態(反張膝)で産まれてきました。治療法としてはギプス固定。これで様子を見て、数週間で治るかもしれないし、手術が必要になるかもしれない。もし、手術が必要なら小さい赤ちゃんの手術ができる病院を探さなければならない。今後のことは、もしかしたら歩くのに支障が出るかもしれないし、今のところは何とも言えない。でも、大丈夫。きっと治りますよ。「妊娠中のお母さんの姿勢が悪かったとか、そんなことは決してないので、ご自分を責めないでくださいね。」と先生ら付け加えてくれました。


説明を聞き終えて、「脱臼」という言葉に希望が見えました。まだ何とも言えない状況ですが、脱臼ならよく聞く言葉だしすぐ治りそうなイメージがあったからです。  


改めて保育器に近づいて、息子をまじまじと見つめました。いろいろな機械に繋がれて、脚にはギプス。目は閉じたままですが、しっかりと呼吸して生きようと頑張っている息子。可愛くて可愛くて仕方ありませんでした。


「赤ちゃんに触れるときはトントン、と触るのではなくて、両手で包んで軽く抑えるようにしてあげてください。子宮の中により近い状態にすると、安心しますよ。」


言われた通りにすると、温かくて柔らかくて、まるでひな鳥を触っているようでした。その頃には涙は完全に止まっていて、旦那と笑いながら息子に触れました。


「やっと、お母さんの笑顔が見れましたね。」と看護師さんが言って、記念撮影してくれました。不安なんて忘れて、幸せいっぱいでした。

フルタイム勤務と育児

仕事を始めて1週間経ちました。フルタイム勤務と育児、両立を始めて感じたことを書きます(・∀・)


仕事の方ですが、フルタイム正社員で雇ってもらい、朝8時過ぎから夕方17時過ぎまでの勤務。朝6時過ぎに起きて洗面など身支度を済ませて旦那と私のお弁当作り。7時前に息子を起こして着替え、朝ごはん、連絡ノートの記入など保育園の持ち物の準備…7時半に旦那が家を出る。私は7時50分頃にまだ歩けない息子を抱っこして歩いて保育園に送り、そのまま出社。


保育園の迎えは同居のばあばがしてくれるので私は仕事を終えてそのまま帰宅。17時半頃。


夜ご飯はほぼばあばが作ってくれています。私はすぐに保育園から持ち帰った汚れものなどを洗濯して、お風呂掃除。終わったら干していた洗濯物を畳む。洗濯機が止まったらまた干す。旦那が帰宅する19時まで、やんちゃな息子を相手しながら家事をこなします。


息子はだんだんワガママになってきていて、自分のやりたいことができないと床に寝っ転がって思いっきり駄々をこねます。暗くなってきて寒いのに、外に行きたがる。ストーブをいじる。食器棚を開けて皿を出そうとする。炊飯ジャーを開けてご飯を掴む。食洗機のスイッチをいじる。仏壇の線香の灰を掴もうとする。床に落ちているゴミを拾って食べる。「ダメー!」と取り上げるものなら、のけぞって大泣きします。あまりかまってばかりもいられないので放置したり。


夜も今まで一度も起きなかったのに、突然夜中に激しく泣き出すようになりました。抱っこをせがんでくるので抱っこすると今度はのけぞって嫌がる。仕方ないので1階に降りて明るいところで一回目を覚まさせてまた寝かしつける。やっとのことで寝かしつけると今度は私の目が覚めてしまい、眠れない。夜泣きを始めた息子を見て、「慣れない保育園でいろいろ我慢したりストレスを感じてるんだなあ」と私も泣きたくなります。


と、まあまあ大変な毎日ですが、それでも充実しています。私にとって仕事はひとつのストレス発散の場所。慣れない仕事なので体力的にはきついときもありますが、精神的にはストレスフリーな職場です。やっぱりずっと家にいて子供と一緒にいると、いろいろとストレスが溜まります。同居なのでなおさら。息子と離れるのは寂しいけど、夜には必ず私の元へ帰ってきます。子供が小さいうちは人手は多いほうが心強いです。家族みんなで育児をしています。


保育園の迎えがばあばになり、もし超ばあばっ子になったら、私がいなくても平気になったら、と嫉妬と不安もありました。保育園に行く前は私よりもばあばに抱っこをせがむ、私の抱っこじゃ泣くのにばあばの抱っこならすやすや眠る。そんなことが度々あって、「母親は私なのに」と思うときも。ですが、子供にとってばあばから受ける愛情は貴重なものです。私もばあばっ子でした。息子は私の所有物じゃありません。たくさんの人に愛されている息子は本当に幸せだと思います。それでもやはり嫉妬はありますが、子供にとって母親はばあばとは別次元の特別な存在であることを信じています。


今では私が仕事から帰ってくると満面の笑みで寄ってきてくれます。母子分離の時間ができたからこそ、息子も私をより強く求めるようになり、私も心の余裕ができました。それに、仕事から帰ってきて家事を済ませる間、怪獣と化す息子を見ててくれるばあばを本当にありがたいと思うようになりました。仕事と育児の両立は始まったばかりですが、幸先は良いようです(о´∀`о)

馬油生活4ヶ月経過

馬油スキンケアを初めて4ヶ月経ちました。結論から言うと、すこぶる肌の調子がイイ!!思春期頃から今まで、記憶がある中で一番絶好調な状態かもしれない。


今のスキンケアをおさらいすると、

①純石鹸で泡洗顔

②馬油を塗る

③5分以上経ってから、石鹸で落ちる赤ちゃん用日焼け止めを塗る


①純石鹸で泡洗顔

②馬油を塗る



以上!書いているだけで「シンプルだなあ…」と実感。でも本当これだけで、これだけだからか、肌はイキイキしております。ノーファンデで、工程が少ないので肌に触れる回数も減り、負担が大幅に減少しているのでしょう。


実感している効果としては、

肌が明るくなった

つやが出てきた

ザラザラ、ゴワゴワ感が大分解消した

ニキビが大幅に減った

ですかね。これは本当に驚きました。特に、顔色が明るくなってゴワゴワ感が消えたこと。実際、やることがシンプル過ぎてここ2ヶ月くらい自分の肌をまともに見てすらいなかったのですが、最近やっと変化に気付きました。効果を期待していた毛穴の開きについてはあまり劇的な変化はないかも…また、馬油はシミの予防にも効果があるようで、シミが出来やすそうな頬骨のあたりは馬油をうすーく2度塗りしています。これからの季節に期待!


そんなことで、これからも続けていきます、馬油とノーファンデ。明日は入園式ですが、もちろんノーファンデ、日焼け止めオンリーで行くつもりです!そもそもファンデーション捨てちゃって持っていないので。


最近、仕事で履くためにスニーカーを買い足しました。と言っても、仕事で使うのは今までずっと履いていた履きなれたスニーカー。買い足したのはそれを補う普段履き用。ニューバランスです。これで私の持っている靴は全部で8足となりました。


①黒のニューバランス(普段履き)

②白いアディダスのスニーカー

③黒いプーマのスニーカー(仕事用へ)

④近所用のクロックス

⑤お出かけ用の赤いサンダル

⑥ボグスの防水スノーブーツ

⑦冠婚葬祭用白レースパンプス

⑧冠婚葬祭用プレーン黒パンプス


これで全部です。ミニマリストとして、最低限にしているつもりですが…良いものを、少しだけ、手入れして長く履く。今までは安いものを買って悪くなったらすぐ捨ててまた安いものを買う…という感じだったのですが。最近はエコの観点からもそういうのはやめにしました。ゴミを減らすこと、近頃はそれに情熱を燃やしています。

【⑱初対面時に感じた違和感】

18:55、出産。点滴を抜去してちょうど12時間後のことでした。


「死ぬかと思った」というのはこういうことを言うんだ、と心の底から思いました。普通は陣痛が始まったら少しずつ間隔が狭くなり少しずつ痛くなって出産、だと思うのですが。私の場合突然痛くなって、ものの10分くらいで産まれました。赤ちゃんが産まれた直後、激痛は嘘のように消え、同時に大量の冷や汗と突然の激痛で身体がビックリしたのか、全身がガタガタ震え「寒い、寒い!」と叫びました。


看護師さんが布団を持ってきてかけてくれました。赤ちゃんは…産声は聞こえず、直ぐに新生児科の先生が受け取って処置しているようでした。気道の羊水を吸引しているのか、ジュルジュルと音が聞こえます。私は放心状態で「赤ちゃんは?赤ちゃんは?」と言っていました。


赤ちゃんを産んだあとは、胎盤を引っ張り出す後産があります。義理のお姉さんはこの後産が痛かった!と言っていましたが、私の胎盤はいともあっさりと出てきました。お股も少し裂けてしまったようで、先生は注射針で麻酔をして縫っています。「中の方も裂けてないか見ますね」と言って器具を入れられたのですが、これが痛かった。先生は「これで最後にしますね」と言いつつ何度も何度も入れてくるので心の中で(嘘つき〜!!)と叫んでいました。


やっとのことでこちらの処置が終わるかという頃、やっと赤ちゃんの泣き声が聞こえました。普通元気に産まれた赤ちゃんの産声は「おぎゃー!!」なのに、私の赤ちゃんは「ほわ〜ほわ〜」と何とも可愛らしい声でした。それでも、産声が聞こえたことでとても安心しました。(良かった、ちゃんと呼吸してる)


「男の子です!」と看護師さんが言った時は旦那と顔を合わせて「やっぱりね」と言い合いました。新生児科の先生が息子を両手に載せて私の顔の近くに持ってきました。


初めて見た感想は、本当に、赤ちゃんがお腹の中に入ってたんだ!という感動。いくら胎動を感じていても、エコーを見ていても、実際に見なければホントに入っていたなんて実感できませんでした。紫色をして、目をぎゅっと閉じて口は大きく開けて泣いている赤ちゃん。この子が私の赤ちゃん!少しほっぺたをつついてみると、柔らかい。早産だったので小さい姿を予想していましたが、思ったより小さくはありませんでした。「これから処置をしますので」先生はそう言い残して息子をNICUへ連れていきました。


そして。初めて息子を見た時に感じた違和感。それは息子の右脚でした。普通、赤ちゃんの脚ってくの字に曲がって下に下がっていると思うのですが。息子は左脚は普通なのに右脚は股関節からぐっと頭の方へ上げられ、さらにぴんと伸ばされていました。つま先がおでこに付きそうなくらい。まるでバレリーナが片足を頭の上まで上げている姿勢のようでした。


旦那も、「かわいかったね!」と話しながらも、「脚、なんか変なところにあったね」と違和感を感じているようでした。私は「きっと、赤ちゃんだから、まだフニャフニャで柔らかいんだよ」といいながら、もしかして…まさか奇形じゃないよね?と言い知れぬ不安を抱き始めていました。


出産後は2時間も分娩台の上で過ごさなければなりません。冷や汗でビショビショになった病衣を看護師さんが着替えさせてくれました。途中「母乳が出てるか見ますね」と少しつまむと、何やら液体が出てきました。「うん、ちゃんと出てきてるね」。赤ちゃんを産んだあと直ぐ母乳が出てくるなんて、本当に身体って不思議。普通の出産であれば、産まれたらきれいにしてお母さんが抱っこすると、赤ちゃんは本能でおっぱいを探して吸うそうです。「早産で産まれた場合、その子に合わせた栄養たっぷりの母乳がでるんですよ」と看護師さんが言いました。


しばらく旦那と話しながらゆっくりしていると、隣の分娩室でもお産が始まったようでした。隣の分娩室とは完全に仕切られているわけではなく、声は丸聞こえでした。ただ、私と全く違い、お母さんの叫び声が聞こえない。聞こえるのは呼吸音だけ。静かな状態のまま、「おぎゃー!!」といきなり産声が聞こえました。あまりの余裕な出産に、旦那と目を丸くしました。あとから聞くと、お隣さんは3人目の出産だそう。私の「ギャー!」とか「助けてー!」とかの叫び声を聞いて、どう思ったのかなと恥ずかしくなりました。


あっという間に2時間が経ち、病室に戻りましょうと声がかかりました。お股の傷が気になってあまり上手く動けません。何とか車いすに載って、その日はとりあえず元のMFICUの部屋へ戻りました。


約12時間ぶりに戻った病室。見慣れた風景、寝慣れたベッドに横になりました。違うのは、点滴をしていないのとお腹がぺっちゃんこなこと。夕食が運ばれてきましたが、興奮からか食欲がなく旦那に食べてもらいました。「ちょうどお腹減ってたんだよね」とガツガツ食べ始めました。出産の時に私の胎盤を見て、ついでに看護師さんが運んでいた隣でお産した方の胎盤も見えてしまったようで、食欲なさそうにしていましたが。


赤ちゃんの処置が終わったら旦那だけ対面と説明に呼ばれるはずでしたが、3時間近く経っても一向に呼ばれません。私は(赤ちゃんは生きているのか?)と不安になりましたが、看護師さんに直接「生きていますよね?」と聞くのが何だか怖くて「体重は何グラムでしたか?身長は?」と聞きました。


推定体重の1700グラムを上回って実際は1929グラム。2000グラムには届かなかったものの、想像より大きめ。でも身長は40cmとおちびさんでした。看護師さんが「ちょっと切り取ってきました」と言って、木の箱に入ったへその緒を持ってきてくれました。半透明でみずみずしくて、螺旋状に巻かれたへその緒。中には細い血管が見えました。これが、私と赤ちゃんをつないでいた生命線。よく頑張ったね。


暫くしてやっと旦那が呼ばれました。「じゃ、行ってくるね」。「お願いね」。


私の方も産後3時間経ったのでお股に当てた大きな産褥パットを交換してもらい、トイレに行きました。恐る恐る用を足して、恐る恐るウォシュレットを使って、恐る恐るペーパーで拭きました。でも思ったほど傷は痛くありませんでした。それより出血がすごい。これから1ヶ月くらい、この悪露と呼ばれる出血が続きます。まあ、赤ちゃんを産んだのだからこのくらい当然か。


それから、期待と不安を抱えながらひたすら旦那を待ちました。でも待てども待てども帰って来ません。ものすごく不安になりました。看護師さんに聞くと、「NICUの説明って、長いのよね〜皆さんこんな感じですよ」と言っていました。


そして、3時間近く経ったでしょうか。時刻は、日付をまたいで0時すぎ。物凄く疲れ切った顔で旦那が帰ってきました。「まだ起きてたんだ?」そりゃ眠れるわけありません。


「どうだった?」と聞くと旦那は1枚の写真を渡してきました。その時の写真がこれです。

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息子と、2度目の対面でした。口には、呼吸器。やっぱりまだ呼吸器が必要だったんだ。一瞬かわいそうだ、と思いましたが、直ぐに可愛くてたまらなくなりました。よく頑張ったね、産まれて来てくれてありがとう。


NICUでは、赤ちゃんの病状やこれからの治療の他にもNICUの成り立ちとか、本当に細かいことまで話があったようです。話がすごく長くて、旦那も疲れ切って最後の方は記憶がないと言っていました。


そして、気になっていた右脚に話が及びました。


旦那「脚のことだけど。」


「やっぱり、あの脚、おかしいって。俺も見たけど、最初見た時と同じで変なところに曲がってた。なんか、膝が逆に曲がってる感じ。先生も見たことないから分からないって。ただ、正常な状態に戻そうとすると心拍が乱れたりしてストレスがかかるみたい。あの状態が本人にとって楽みたいだから、そのままにしてるって。明日、整形外科の先生に診てもらうって言ってた。」


私は愕然としました。やっぱり気のせいじゃなかった。息子の脚は異常だった。


旦那「すごく疲れたから、もう今日は休むわ。ネットで調べないようにね。」


旦那は念を押して、いつものように車で寝るために部屋を出ていきました。でも脚の異常なんて、なんて検索すればいいか分かりません。切迫流産になって3ヶ月踏ん張って、臍帯静脈瘤が見つかって。32週で早産して、息子は未熟児の上に今度は脚の異常だなんて。もし、一生歩けない身体だったらどうしよう。まだ何も分からないのに、分からないからこそいろいろと想像して、息子の未来を思って泣きました。泣いて、いつの間にか疲れ果てて眠ってしまいました。

私が唯一捨てなかった本

私が私物として持っている本はたった一冊です。それはフィクションの児童書。小学生の時に読んだ記憶があり、社会人になった頃ふとその本がまた読みたくなったのです。


でも本のタイトルがどうしても思い出せませんでした。覚えているのは、小学生くらいの女の子が老婆の姿をした悪い魔女に騙されて、身体を無理矢理入れ替えられる。老婆の姿となった女の子は元の身体を取り戻すために奮闘する、というものでした。私は曖昧な記憶を頼りにネットで検索し、やっとお目当ての本を購入することができました。それが「13ヶ月と13週と13日と満月の夜」という本です。


なぜこの本が記憶に残っているかというと、描写の仕方が絶妙だったからです。特に覚えていたのがこれ。



「白髪を整え、やぼったい古い服にはアイロンをかけた。その下にはぶかぶかで古くなってはいるけど清潔なブルマーをはき、血行をよくするのに効果のある医療用靴下をはいた。ぶかっこうだけど実用的な靴をはく。足には魚の目があり、巻爪が食いこみ、足が変形して痛いんだから、その靴が必要だった。足の爪は黄色くねじれ、でこぼこで、木の根に生えるキノコのようだと思った。入れ歯をきちんとはめる。眼鏡をタオルで拭いてから、階下にむかった。」



これは老婆の姿になってしまった女の子が、魔女に絶望している姿を見せまいと少しでもましな姿をしようと努力している場面です。ブルマって小学生が履くイメージしかなかったのに、お婆ちゃんも履くんだ?と子供ながらに不思議に思ったのを覚えています。自分もおばあちゃんになったら関節という関節が痛くなって、たくさんの薬を飲まなきゃいけなくて、階段を登るのも大変になるんだ。


この本が一番言いたかったことは、「今を大事に生きること」だと思います。魔女によって若い身体を奪われた女の子は、恋をしたり、家族を築いたり、好きなことをしたり、いろんなことを経験するはずだった。それを全部すっ飛ばして年老いてしまった。


本の中で、「この世で一番悪い盗みは人の時間を盗むことだ」とあります。お金を盗まれてもまた稼げるかもしれないし、名誉を盗まれてもまた回復できるかもしれない。でも時間は特別。


私が以前働いていた職場で、性格はくせがあるけど正論を言う人がいました。その人が、「この世で唯一平等なのは時間だけだからね。」と言っていたのがとても記憶に残っています。お金も平等じゃない、男女も平等じゃない、容姿も平等じゃない。だけど、時間だけはみーんなおんなじ。タイムマシーンが開発されない限り。


100歳まで生きる人と若くして亡くなってしまう人は時間的に平等といえるのか?と思いましたが、それはその人その人の寿命であって、その人が生きた1分1秒は結局同じ。大泣きした1分も、お腹を抱えて笑った1分も同じ。時間だけはこの世で唯一平等に流れている。


だからこそ、今を大事にしなきゃなと思います。私は今、「早くお金を貯めて家を買って家族で好きなように暮らしたい」とばかり考えています。そのことばかりに気を取られて、「ああ、早く、早く。」と今を疎かにしている気がします。でもそんなことで時間を大切にしないのはとても勿体無いですね。


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今日は散歩で青々とした植物が力強く育っているのを見つけて、その姿が何故かとても魅力的に見えて写真を撮りました。本当はいつもそこにあるのにただ通り過ぎていただけでした。こういうのに何気なく気付けるようになったら、時間を大事にしているような気がします。

【⑰出産当日】

11月24日、AM6:00過ぎ。建物が揺れる感じと、「ギーギー」と軋む音で目が覚めました。看護師さん達が声掛けをしながら病室の扉を開けて回っているのが分かりました。


今日はいよいよ点滴を抜く日。幸い地震は大したことなかったようでした。前日から付き添いで泊まっていた旦那も目を覚まし、トイレと洗面を済ませました。


7時頃。看護師さんがやってきて点滴が抜去されます。血管は穴だらけ、腕は刺したあとが痒くて掻きむしってしまい、傷跡だらけ。それでもやっと、管から解放されました。3ヶ月間お世話になったウテメリンとマグセント。両方とも流量は最大値でした。強い薬で抑えていた分、張り返しといって強い張りが起きてそのまま陣痛となり出産する…というのが今後の予定でした。


看護師さん「恐らくそんなに時間はかからず産まれてくると思うので、このまま陣痛室に移動しましょう。」


陣痛室とは、分娩台に登る一歩手前の部屋です。分娩室と廊下を挟んではす向かいにありました。陣痛室は病室と同じように、ベッド、テレビ、トイレ、そしてソファーもありました。旦那と一緒に貴重品だけ持って移動します。ここで担当してくださった看護師さんや助産師さんは、今まで見たことのない顔ぶればかりだったので少し不安になったのを覚えています。


朝食を摂りゆっくりしていましたが、特に陣痛らしきものは感じません。ただ、今まで感じていた張りが少し強くなって頻繁になったかな?という感じ。これが進めば陣痛になるのでしょう。


主治医のA先生がやってきて子宮口の開き具合を見るために内診をしました。


「ちょっと、旦那さんは部屋から出てて。」


そしてこの内診が痛い!子宮口を指でグリグリ。「今のところ、5cmってところですかね。」


その時、「ん?」と先生が首を傾げました。「子宮口に何か挟まってるな…手かな?へその緒だったらまずいな。」もしへその緒が挟まっている場合、出産時にへその緒が圧迫されると赤ちゃんが危険なため、その場合は帝王切開に切り替えるそうです。


(ええ!?ちょっと待って、ここで帝王切開!?)と焦りました。経膣エコーも使って確認したところ、どうやらへその緒ではなく赤ちゃんの手だったようでした。もう一度内診すると、「今、赤ちゃんと握手しました笑。」と先生が。先生が笑うなんて、超レアです。そっかー、我が子は生まれる前に握手を経験したか、と私も和みました。


「この方は気をつけなきゃいけないから、モニターはずっと付けてて」とA先生が支持し、モニターをお腹に巻きました。胎児心拍は大体130代〜140くらい。いつも通りです。


その後昼食を食べたあとも特に変化は見られません。でもモニターは大きな張りを検知しており、「陣痛、来てるよね?痛みに強い?」と助産師さんに言われました。うーん、全然痛くないんだけど…これが陣痛なはずないよね?陣痛って、泣き叫ぶほど痛いんでしょ?


旦那も私が全然痛がらずいつも通りなので、あくびをしたり昼寝をしたり超余裕でした。


私「ちょっとトイレに行きたいのですが…」

助産師さん「大きい方じゃないですよね!?」

私「あ、小さい方です…」

絶対いきまないでくださいね、と言われてモニターを外してトイレに行きました。というのも、陣痛は強い生理痛だったり、下痢便、いわゆるテロリストが出そうな時の痛みにも似ているそうです。よくネットでも、う○○が出るー!!と叫んで出産する人がいる、と読んだことがあります。


トイレを済ませてベッドに戻りモニターを付けた瞬間。さっきまで130代で正常値だった胎児心拍が、なんといきなり60代まで落ちていました。助産師さんが血相を変えて、でも冷静に先生に携帯で連絡しました。その間、心拍はすぐに戻り、再び正常値に。


「今、胎児心拍が60代まで下がりまして。今は戻っていますが…」何やら話をしたあと、「分娩台へ移動しましょう」。私もさっきの60代に下がったことが心配で、混乱しつつも分娩台に登りました。


時刻は午後の3時頃だったでしょうか。しばらくして先生が来ました。担当してくださる先生は主治医のA先生ではなく別の先生でした。でも何度か内診して貰ったことのある先生です。この時の子宮口は7cm開大。モニターでは大きな張り(陣痛と思われる)を感知しているのにも関わらず、私が全く痛みを感じていない。いつもの張り、という感じ。故にあまりお産が進んでいない…


私が全く痛がらないので旦那は余裕な態度をとっていたのですが、ここで先生から喝が。「旦那さん!奥さん痛がってるでしょ!ちゃんと励ましてあげて!陣痛も、何分間隔か測ってあげて!」旦那は先生の喝に驚き、それから「今張ってる?」とか「痛みは?」とか聞いてくるようになりました。…ごめんよ、旦那。私全然痛くないのよ…無駄に怒られてしまったね…


それからというもの、内診は凄く痛いのですが、それ以外に痛みは感じず…お産が進まないことと先程の胎児心拍が下がったことも踏まえて、「帝王切開をした方がいいのでは?」と先生から話がありました。


帝王切開か…お腹を切るのか…どうせお腹を切るなら、今までの陣痛は何だったのか?(本当は全然痛くない)と考えていると、助産師さんはそれを察したのか「今までの陣痛は全然無駄じゃないですよ。陣痛があることで、赤ちゃんは「ああ、外に出る時が来たんだー」って感じ取って、ちゃんとそのための準備をしているんですよ」と教えてくださいました。


夕方18時ころでしょか。日勤の看護師さん達が帰り始めたのか、明らかに周りにいる人が減り始めました。「ちゃんと近くにいますからね」と言われても、何だか取り残されるような、言いようのない不安が襲ってきて泣いてしまいました。


その時、先生がやってきて、私が泣いているのを見て「お母さんになるんだから!しっかりして!」と今度は私が喝を入れられました。


私は旦那と相談して、「このまま進まないのも辛いから、お腹を切ってもいい」と覚悟を決めました。お腹を切るなんて経験したこともないですし、当然怖かったです。ですが、また心拍が下がったらどうしよう…という不安が勝りました。とにかく、無事に産みたい。旦那は「分かった」と了承して、助産師さんに先生を呼んできてください、と頼みました。


旦那と話しながら先生を待っている時。ふと、お腹の中で赤ちゃんが「ゴロンっ」と動く感覚がした途端。今まで生きてきた中で感じたことのない、強烈な痛みが下腹部を襲いました。





「いったーーーーーい!!!!」






私は身をよじらせてそう叫んだと思います。そして股から生暖かいものがダバダバダバー!!と流れ出る感じがしました。左隣にいた旦那が光の速さで私の右手側にあるナースコールを押しているのが分かりました。


ナースコールを聞いて、担当の助産師さん、今までずっとお世話をしてくれた師長さんが駆けつけました。私は股から流れ出たのはきっと羊水で、破水したんだと思い、「破水した!破水した!」と痛みの中狂ったように叫びました。


私の右隣に駆けつけた師長さんはバスタオルをめくって下半身を確認したあと、「あらあら」と言ってまた直ぐに隠しました。この時、実はまだ破水しておらず、出てきたのは大量の血液だったようです。旦那が近くにいたのですぐ隠したのでしょう。


気絶しそうなほどの痛みの中、先生や看護師さん達が続々と集まってくるのが分かりました。左手は旦那の手を握り、右手は代わる代わる現れる看護師さんの手や服を引っ張りまくりました。いきむためのバーなんて、全然使いませんでした笑


「助けてー!助けてー!」と私は叫んでいました。この出産に赤ちゃんが耐えられるか心配で、赤ちゃんを助けて!というのと、自分も痛すぎるから助けて!という意味で。いつの間にか分娩室には15人ほどの人が集まっていて(NICUの先生やスタッフも駆けつけていた)、慣れ親しんだ看護師さんの顔もちらほら見えました。お世話になった看護師さんから、「今が一番の頑張りどころだから!」と言われたのが強烈に記憶に残っています。それを聞いて、「そうだ!お母さんになるんだから!」と決意して、ギャーギャー騒ぐのを止めました。


痛みで息を止めてしまうと、へその緒を通じて呼吸している赤ちゃんに酸素が届かず苦しくなってしまうので、息は止めないでください、と念を押されていました。でも強烈な痛みの中、それは容易ではありません。


先生から「はい、いきんで!」と許可がでました。子宮口が全開する前にいきんでしまうと産道が切れてしまいます。いきむときに目をぎゅっと瞑っていきんだら、「目を開けて、赤ちゃんの方を見て!」と指示されました。いやいや、ムリムリ〜!!と思いながら必死の形相で目をひん剥いて下を見ました。相当ヒドイ顔だったと思います。いきむときに吐息が漏れてしまうのですが、それも「はいダメ!もう一度!」と言われてしまってスパルタ先生でした。4度目くらいにいきんだ時。「ズルンっ!」と出てくる感覚と同時に、今までの激痛が嘘だったかのようにふっと消え去りました。赤ちゃんの産声は聞こえませんでした。

入園準備

入園がどんどん迫ってきました。入園準備も大方整っています。服は甥っ子のものを頂いて、靴はまだ歩けないので様子見です。歩けるようになってからでもお下がりが6足もあるし…これからは服も靴もサイズアウトの嵐でしょう。


お食事セットや歯磨きセットを入れる巾着袋、さらに着替えを入れるナップサックは手作りしました。ミシンを持っていないので手縫いで笑 流石に布団カバーは手縫いは厳しいので縫製の仕事をやっている叔母に頼みました。表がクジラ柄で裏が青のストライプ。まだ届いてませんが楽しみ!巾着袋は一目惚れした柄の布地で作りました。黄色地にシマウマ柄。息子が混乱するといけないのでお食事セットと歯磨きセットの柄は分けました。


息子の入園式の服は前にじいじが買ってくれたジャケット。なかなか着る場面がなく全く袖を通していませんでした。せっかくなのでここで登場。ジャケットだけだと寂しいので蝶ネクタイを手作りしました!最初は旦那が結婚式の時に付けた蝶ネクタイをそのまま付けさせてみたのですが嫌がって嫌がって笑 スタイはいつも付けているのに、蝶ネクタイの厚みが嫌なのか…?それならばと同じ柄のハンカチで蝶ネクタイを手作りし、ジャケットにくっつけました。全然嫌がらず、成功(о´∀`о)当日はこれに緑のタータンチェックのパンツを合わせて行く予定です。


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あとは水通しをして持ち物にひたすら名前を書いたら完璧です。


今日の夜中、息子が寝言で「ママ…ママ…」と言っていました。起きているときは普通に「ママ」と呼ぶようになったのですが、寝言で言われると愛おしさ100倍(о´∀`о)逆に、寂しいとか、そういう意味で言っているのか?とも不安に。息子は保育園に入るなんて分かっているはずもないのですが、一番寂しい思いをするのは息子なんだろうな…今まで、一時も離れず一緒にいたので新生活がどうなるのか想像もつきません。でも新たな生活のため、やるしかないですね。