元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

【⑭マグセント投与開始】

いよいよマグセントが投与されます。ネットで調べてみると、副作用は様々。動悸、吐き気、倦怠感、身体のほてり、血管痛、などなど…人によっては「生きた心地がしない」ほど強い副作用が現れる場合もあるようで、正直不安でした。


最初は流量10。その後は今までどおり張りを確かめて、1ずつ増やしてMAXは20。もし、20に到達しても張りが収まらない場合は…今度は飲み薬があるそうです。なんだか、落ちるところまで落ちていく感覚。


看護師さんが、「マグセントがあれば鬼に金棒ですから」と言って励ましてくれました。


投与が始まったのは、夜の20時頃でしょうか。長いモニターの結果、張りは少し落ち着いたのでそのまま就寝しました。


翌朝、目を開けると…なんか、景色が二重に見える!?窓の外を眺めると、公園があって、奥に医学部の洋館のような建物が見えるのですが…2棟ある!?というくらい、景色が二重になりました。何度目をこすっても、瞬きしても同じ。とりあえず、トイレに行こうと思って立ち上がると、なんだかフワフワ。雲の上を歩いているような感覚。景色は二重で、フワフワして。現実じゃないようでした。


次に吐き気。でもこれは薬の副作用なのか、単なるつわりなのか、よく分かりません。あと身体のほてり。とにかく、暑い!病室は24時間空調が効きっぱなしで常に同じ室温に保たれているはずなんですが、急に暑くなってズボンを脱いで生活してました笑 お腹が出できて締め付けが嫌になったのもあり。病衣はワンピースのようになっているのでパンツ丸出しではありませんよ(*´ェ`*)窓の外の景色は紅葉が始まっていても、窓を開けて空気の入れ替えもできない病室は日光が差し込んでまるで真夏です。11月頃まで、冷房をかけていました。ほんとに、3ヶ月間外の空気を吸えないというのは、かなりきつかったです。


そしてたまにやってくるのが、血管痛です。これは点滴の針を刺す場所によりました。手に近いところ、手首などに刺すと徐々に血管がビリビリしてちょっとでも動かすと激痛が走ります。最初はこの痛みの原因が分からなくて我慢していたら物凄く痛くなって看護師さんに訴えました。そしたら「血管痛ですね」といわれて針の場所を変えると、嘘のように治まりました。


私が感じた副作用はこれくらいでしょうか。結論は結構平気。薬に強いですね、と言われました。


ある夜のこと。お腹の中で赤ちゃんが暴れています。逆子であったため、子宮口のそぐそこで脚をバタバタしているのがわかります。子宮口が開いているので、例えばその隙間に「えいっ」っと蹴りでも入れるものなら破水してしまう危険性もありました。私はぐっと子宮口を締める気持ちで力を入れて「暴れないで!」と念じていました。すると、なんだかお腹の中で赤ちゃんがぐいーんと回る感覚。そしてさっきまで子宮口あたりでバタバタしていたのが、お腹の上部でバタバタしはじめました。「逆子が治った!」直感的に分かりました。次のエコーの時は本当に逆子が治ってました。やった!これで下から産める可能性が高まります。でも今度はパンチしないでね、と念押ししました。


結構明るく書いてますが、妊娠22週を超えるまでは生きた心地がしませんでした。やっとのことで22週を超えても、次は24週、次は28週、とどんどん目標は遠ざかります。でも25週を超えたあたりから気持ちはかなりの楽になりました。どんなに悩んでも、私にできるのはちゃんと薬を飲んでただひたすら安静にするだけ。週数を重ねるごとに赤ちゃんは順調に成長しましたが、子宮口もどんどん開きました。赤ちゃんの頭の直径が7cmに対して、子宮口は4cmまで開いてきました。単純に赤ちゃんの頭と同じ大きさまで開けば、出てきてしまいます。


産科の先生の中でかなり嫌な先生がいました。女の先生で、無愛想で内診が雑?なのかかなり痛いのです。グリグリして、「あ〜あらら。見て〜こんなに開いてる。」と看護師さんに言ったりしていて本当に嫌でした。患者が不安になることを、普通わざわざ言いますか?というかそんなにグリグリしたら余計拡がるって!この先生はどこかからの臨時の先生のようで、幸いにもたまにしか来ませんでした。私が28週頃の時でしょうか。久々にこの先生が来たのですが、内診が終わって病室を出たあと、「あの患者さん、まだいたの?」と驚いていたそうです。きっと、ここまで持つとは思わなかったのでしょうね。「なめんなよ!」と言ってやりたかった笑


マグセントも最大値に達し、それでも張りが収まらず遂に飲み薬も処方されました。ニフェジピンという薬で、朝晩1錠ずつ。高血圧の薬のようで、血圧が下がり過ぎないよう飲んだあとは30分ごとに3回血圧を測りました。この薬の副作用は殆どなく、効果もよく分かりませんでしたが。


なにはともあれ、1日1日を必死に過ごし、なんと32週目に入りました。8月末に入院して、11月下旬です。赤ちゃんの推定体重は1700グラムくらい。正産期まであと1ヶ月。ここまで子宮口は4cm開大。全開は10cmです。でも破水も出血も感染症もありません。あと1ヶ月頑張ろう!と思っていた矢先。32w3dのエコーで、初めて、切迫早産以外の異常が見つかってしまいました。

ストックストレスからの開放

久しぶりにミニマルの話です。私はモノをストックすることにストレスを感じます。ストックがある安心感、というよりは、「ストックしなければ」「アレが無くなりそうだから買い足さなければ」と考えるのが嫌なのです。


それが顕著に現れるのがやはり化粧品ですね。昔、しっかり化粧をしていた頃は、下地やファンデーション、化粧落としは必須でした。でもこれらは決して安くはないですよね。もし全て同じタイミングでなくなってしまったらかなりの出費です。


あと、細々したものでリップスティック。私は唇が乾燥しやすいので年中手放せません。しかしリップスティックはポケットに入れていると出し忘れて洗濯してしまったり、いつの間にか行方不明になってしまったり。かといって新たに買うとどこかから古いものがでてきたり。一つ一つは安いものですが、結局は沢山買って増えてしまって非常にストレスでした。


現在はリップスティックは買いません。でっかいワセリンを買って、小さな容器に詰め替えて使っています。少量で伸びがいいので全然減りません。


化粧品も、肌断食をするようになってストックするものが殆どなくなりました。洗顔料はフォームではなく純石鹸に。3個で400円くらいのものを使っていて、1個使い切るのに2ヶ月かかります。なので半年は買い足す必要なし。化粧落としは化粧をしないのでありません。化粧水もありません。馬油は一瓶で1年はもちそうです。下地もファンデーションも持ってません。日焼け止めは省けないのでストック必要ですね。


化粧品のミニマル化だけでかなり楽になりました。


あとは日用品のストック。シャンプーや歯磨き粉、洗濯洗剤なども共用なので、お義母さんが買い足すか、私が買い足す時は自分の財布からではなく家の共用の財布から出します。食洗機用洗剤や三角コーナーのネット、食器用スポンジ…あとは調味料とかって、地味に次々となくなってこれもまたストレスです。でもこれらは自分の財布から出るわけじゃないからいいか…と割り切ってます。


自分の財布から出る主なストックといえば、やっぱり息子のオムツ!我が家ではオムツメーカーの中でも格安な、マミーポコを愛用しております。


なんたって、安い!いつも近くのドラッグストアで買っているのですが、パンツのLサイズで1枚あたり18円。パンパースとかだとさらに10円近く高いです。息子はまだテープも併用していて、テープだと14円ほど。新生児の頃はNICUで使われていたムーニーを使っていましたが、サイズの割に小さくてグーンに移行。一時期メリーズにも浮気しましたが、トップバリュのオムツが安いことに気づいて乗り換え。その後マミーポコがさらに安いことを知って、それからずっとマミーポコです。


「安いオムツを履かされている子は可哀想」とか言う人もいるみたいですが、私はどんなオムツでもかぶれない強靭なおしりをもつ息子が誇らしいです。オムツ負けもせず、漏れないのなら安いものに越したことはないです。


「鬼〜のパンツはいいパンツ♪強いぞ〜♪強いぞ〜♪」の代わりに、「○○(息子の名前)のパンツは安いパンツ♪安いぞ〜♪安いぞ〜♪」って替え歌にして手遊びしています笑


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それにしても最近ぐっと暖かくなりましたね!待ってたぞと言わんばかりに息子を連れて外へ飛び出して、アンパンマン号に乗って散歩しています。これからどんどんお弁当とか作って公園に出かけて、家族で「0円休日」を楽しみたいです(*‘ω‘ *)

【⑬一日のルーティーン】

県立病院での一日の過ごし方はこうでした。

朝 7:00起床
看護師さんが部屋にやってきてカーテンを開け、体調はどうか等簡単な会話をします。一人で点滴のガートル台を引きずって移動し、洗面やトイレを済ませます。


8:00 朝食
ベット脇のテーブルに運ばれてきます。上体を起こすとお腹が張るので、寝たまま胸の上に器をおいて食べます。食後は
カルシウム剤や便秘薬を飲みます。


9:00 内診
県立病院の産科の先生は、8人くらいいました。毎日ローテーションのように違う先生が来て、ベット上で内診です。「昨日は何回張ったか」「痛みや出血、流れる感じはないか」「胎動はあるか」を聞き、子宮口の開き具合を見て膣の洗浄、ミラクリッドが入れられます。これが毎日です。


9:30頃
お腹にモニターを付けて胎児の様子、張りを確認。


12:00 昼食


14:00
毎週水曜日はシャワー。この時だけ一時的に点滴が抜かれ、車椅子でシャワー室に移動します。シャワー室では介助なしで自分で洗います。シャワーのない日は蒸しタオルで清拭のみ。看護師さんによって対応が違い、蒸しタオルをぽんっと置くだけの人や、背中をゴシゴシ拭いてくれる人、ベット上で差し込み便器を使っておまたを水洗いしてくれる人もいました。


16:00頃
再度モニターで確認。毎週月曜日は分娩室に移動し、エコーで赤ちゃんの成長具合や異常の有無、推定体重等を教えてくれます。エコーは毎回主治医のA先生だったのですが、白黒の画面を見ながら「ここが右寝室でここが左心室で」「この丸いのが膀胱」など細かい説明を毎回してくれるので、少し詳しくなりました。


18:00 夕食


21:00 消灯、就寝



ざっとこんな感じです。楽しみなのは水曜日のシャワーと月曜日のエコー。あとは土日の旦那さんのお見舞いです。その他はずーっとテレビかスマホをいじって過ごします。


家からは片道3時間弱離れた県立病院。旦那さんはお見舞いに来てくれるのか…結果的には、出産までの3ヶ月間、毎週土日に泊まりで来てくれました。個室だったので簡易ベットで病室に泊まることはできるのですが、簡易ベットが超狭くて超固くて粗悪だったので、1回寝ただけで「もう簡易ベットは使わない」と言い、それからずっと車に泊まってました。車泊の方がずっと快適だったようです。毛布と寝袋で、万全状態でした。いつしか看護師さんの間では、「車中泊の旦那さん」と位置づけられていました笑


病食はもちろん美味しくなくて、旦那さんが持ってきてくれる果物や少しのお菓子が心の支えでした。点滴にはブドウ糖が含まれているようで余り糖分は摂らないように気は使いましたが。毎週月曜日に採血して検査するので…


あとはUSBに映画を入れて持ってきてくれたり、ゲームを持ってきてくれたりしてとかなり助かりました(*‘ω‘ *)


お腹の張りですが、1日に大体30回以上は張っていたと思います。その度に少しずつ子宮口は開き続けました。ウテメリンは2、3日であっと言う間に最大値に達し、それでも張りは落ち着きません。そして次に現れたのはマグセントです。


このマグセント、結構強い薬で副作用も強く現れることからネットでは別名「妊婦殺し」と呼ばれていました。恐ろしい名前…でも「妊婦殺し」だろうがなんだろうか、赤ちゃんの為なら耐えるしかないのです。

仲直りしました

先日夫婦喧嘩をした話をしましたが、3日くらいで仲直りしました。


当初は「俺は謝んねぇぞ」なんて言うもんだからそっちがその気なら!って完全臨戦体制だったのですが。


翌日もママ友たちに話して、ある提案が。「だったら、毎日牛乳寒天作ってやればいいよ」恥ずかしながら、この夫婦喧嘩の原因は牛乳寒天なんです。私は見るのも食べるのも嫌になった牛乳寒天ですが、なら逆にそんなに好きならたくさん作ってやるよ、と思い立ちました。


私は毎日旦那のお弁当を作るのですが、お弁当の中身をすべて牛乳寒天にしようと思いました。でもさすがにキレられるかな…と思い、デザートにつけました。喧嘩しててもお弁当はちゃんと作る。自分に非はないようにします。


夜ご飯には旦那のお茶碗にご飯の代わりに牛乳寒天を盛り付けました。次の日のお弁当にも牛乳寒天を入れました。その日の夜は丼に牛乳寒天を作って出しました。


さすがに戸惑いを見せる旦那を見て、もうなんだかバカバカしくて、くだらなくて、思わず笑っちゃいました。


「牛乳寒天ばっかりでどう思った?」と聞いたら「嬉しい限りだった」と。やっぱりお互い頑固で譲れないところがあるんです。チクショー!と思って結婚指輪を外して生活してたのですが、旦那は気付いてませんでした。等の本人の私も、昨日まで外したことを忘れてました。買った当初は嬉しくてたまらなくて「薬指がくすぐったい」、なんてよく聞きますが、たった2年で日常の一部と化します。なくても気付かないくらいに。


そのくらい、モノなんて大したことないと思っています。欲しくて欲しくてたまらなかったものも、手にしたらただの日常です。だったらどうしても必要なもの以外欲しいと思いません。私が結婚した証は、結婚指輪でも婚約時計でもなく息子だと思ってます。


喧嘩中、余りにも腹が立って息子とお風呂に浸かったまま泣きました。そしたら息子がびっくりしたように大きな目をさらにまんまるにして立ち尽くし、手を右往左往しながら「どうしたんだろう、どうしよう」と戸惑っているようでした。もう可愛くて可愛くて、本当に「息子がいればなにもいらない!」状態でした笑


最近第一次反抗期に差し掛かっているのか、私が怒ると反抗してきますが、なんかそれも可愛いです。そんな小さな身体で文句言ってる姿が笑

現在1歳3ヶ月。修正1歳1ヶ月。まだ歩きませんが、ものすごくおしゃべりしてます。もちろん、何を言っているかは分かりません。でも一生懸命指差しして何かを伝えようとしていて、その成長を日々感じています。

入院して90万円得した話

今回は保険の話です。私は切迫流産、切迫早産のために92日間入院して入院費を差し引いても90万円得しました。


入院した当初は長期入院と聞いて「一体いくらお金がかかるんだろう…」と金銭面でも心配でした。入院したことがないので、入院費がいくらかかるかなんて想像もつきません。


入院して1週間が経ち、M病院から県立病院へ転院した日。ふと、加入していた生命保険を思い出しました。「入院しているのだから、保険の給付対象だよね?」


この生命保険は、3年前くらいに父が勝手に加入していたものでした。理由は、当時担当していた保険の販売員がシンママで余裕がないのに、新規の契約が取れなくてクビになりそうだ、と言われて入ったと(笑)私は当初なんで勝手に!というのと、その方がかわいそうだから、という理由が納得できませんでした。しかし父から「最初の1年の保険料は俺が払うから」と言われ、まあ何があるか分からないから生命保険も必要か、と思ってしぶしぶ了解しました。結局その方は辞めてしまったみたいですが(ノД`)


この勝手に加入された生命保険、今となっては本当に入ってて良かった!と思ってます。


病室で保険会社に連絡しました。今、入院しているのですが、どうしたらいいですか?切迫流産で入院していると伝えると、「入院の期間はどのくらいですか?」と聞かれました。「ええっと…産まれるまでです。」「出産予定日は?」「1月13日です。」この当時は9月に入ったばかりの頃でした。「1月ですか?来年の?…それは大変ですね」さすがに動揺しているようでした。書類を送りますので、病院の方で記入して貰ってください等と説明を受け、電話を切りました。


出産予定日まで入院となると、5ヶ月間入院することになります。でも実際は、37週からが正産期といって赤ちゃんも十分成長し外の世界に出でも問題なく生きられるようになります。私にとっての37週は、ちょうどクリスマスあたりでした。先生からも、「37週になればもう頑張る必要はないから、そうなったら点滴外すよ」と言われました。張り止めの点滴を外す=今まで抑えていた張りが反動から一気に強くなり、陣痛へと変わり出産に至る、ということです。

 
ということは最長で4ヶ月の入院となります。4ヶ月ももてば、の話ですが。


大事な給付金ですが、加入していた保険は入院1日につき5000円。ただし女性特定疾病に当てはまれば倍の1万円が給付される、というものでした。切迫はそれに当てはまるのか?これは男性は絶対かからない病気だし…と思って聞いてみたら見事!当てはまりました。これで生命保険からは

入院日数×1万円+入院お見舞金

がおりることとなりました。


次に手に入ったのは入院直前まで勤めていた会社の健康保険からおりたお金です。会社には入院して2週間したくらいにはっきりと退職する旨を伝えました。「退職日はいつにするか」と聞かれ、旦那の扶養に入る手続きがあることからもキリがいい方がいいと思い、9月いっぱいは席をおいてもらうことにしました。


おりたお金はまず傷病手当。病気やケガで連続4日以上休んだ場合、給料の3分の2が支給されます。

次に高額医療費。1ヶ月の医療費が定められた「自己負担限度額」を超えた場合に健康保険から払い戻される。

あともう一つありましたが、なんだったか忘れました(笑)


そして次は支払うお金です。入院費っていくらかかるのか…((((;゚Д゚))))
ここで申請したのが先程も書いた高額医療費です。会社で加入している健康保険に申請します。医療費が高額になりそうな場合は、事前に加入先の健康保険に「限度額適応認定証」の申請をして、認定証をもらっておきます。この認定証を提示しておくと、支払い時に自己負担限度額を超えている場合には、自己負担限度額のみを窓口で払えばいいのです。


この自己負担限度額は所得に応じて違うのですが、平均は97000円ほどだそうです。私もそのくらいでした。


最初に入院していたM病院では手続きをしていなかった為、7日間の入院で9万円払いました。お高め‥(¯―¯٥)

でもその後きちんと申請したので県立病院では1ヶ月で9万ちょっとでした。


内訳はこう。

8月29日〜9月5日…9万強(M病院)
9月5〜9月31日…8万弱(県立病院)
10月1日〜10月30日…9万強(県立病院)
11月1日〜11月31日…42万弱(県立病院)

最後方がちょっと謎なんですが。私は11月24日に息子を出産しました。出産したら他の方と同じように1週間で退院です。なので11月31日に退院しました。妊娠、出産は病気ではないので保険対象外です。なので出産にかかる費用は実費ですよね。病院によって値段は違いますが平均で40万円前後かかります。ただし、加入している健康保険から出産育児一時金が支払われるので、結果としては自己負担はそれほどないようです。私の場合、出産育児一時金で42万円頂き、5000円余りました。


出産と産後の入院だけで40万以上かかるのに、11月の請求は41万5000円でした。それに私は入院してから産後もずーっと個室でした。安すぎない?と思いましたが損している訳ではないので特に聞きませんでした。


こうして、3ヶ月の入院をした結果、かえって懐があたたかくなりました。


ちなみに、息子は出生時未熟児だったのでNICUに入院したのですが、そこで提示された退院までにかかるであろう予定医療費はなんと600万円(✽ ゚д゚ ✽)目を疑いました。でも大丈夫、未熟児の医療費を助成する制度もちゃんとあります。後でまた書きますが、結果的に息子の医療費は1円も払わずに済みました。


ちゃんといろいろな制度はありますので絶対使った方がいいですし、保険料も税金も、真面目に払っていればいざというときいいことあるんだなあと実感しました。

夫婦喧嘩

昨日旦那と喧嘩?しました。旦那からすれば「急にムッとして意味わからん」ぐらいの気持ちなんでしょうが。


ネットでもよくそういうのを見かけますね。普通に話していただけなのに、「急に嫁が怒り出した」。それは夫が鈍感なだけで確実に嫁の怒りの地雷を踏んでしまってます。


喧嘩の経緯は書きませんが、「自分の親の家に住んで料理も作らないのにこの気持ちは分からないだろうな〜」っていう感じです。嫁だって大変なんです。毎日ご飯のメニュー考えて。旦那と子供だけならまだしも、同居してるんです。失敗しても、「失敗しちゃった〜」なんてたまにならまだしも頻繁にはやってられないんです。味付けも濃くならないように気をつけてます。でも本当は濃い味が好きなんです。炒め物はにんにくたっぷりがいいんです。ご飯だって本当は固めに炊いたのが好きなんです。菜っぱのおひたしだって、茹ですぎてクタクタより、シャキシャキが好みなんです。美味しいのか不味いのか、反応がほしいんです。食べたくなかったら食べなくていいです。そんでもって、「おふくろの味」とか言われるのが一番腹立つんです。


私は瞬間湯沸かし器タイプではなく火山タイプです。後から態度や言葉を思い起こしてフツフツと怒りが湧いてくるタイプなんです。そして怒ったら不機嫌になってムッとして何に対して怒っているか言いません。旦那は「なんで怒ってるのか分からない」から旦那も不機嫌になり、二人で無口になります。これが私たち夫婦の喧嘩パターン。どちらも悶々として悪いパターンです。


イライラしていたのでママ友たちに愚痴りました。こうこうこうで、こんなことがあった!と話すと皆一斉に「ありえない!」「ここに連れてこい!」と笑。溜まっていたものを吐き出して、共感してもらえるのが一番スッキリします。本当にママ友たちの存在は大きいです(*^_^*)


ママ友の中で瞬間湯沸かし器タイプの人は、「こうでこうでこうだから怒っている」っとイチから十まで説明しないと気が済まない、と言います。やりすぎるといつまでもネチネチ言って旦那が逃げると、「ふーん逃げるんだ。」って追い打ちをかけるみたいです笑


私はそれが羨ましいです。「自分はこういう気持ちなんだ、こういう考えなんだ」と伝えられることが。「なんで怒っているのか言わないと分からない」と旦那によく言われます。私としては「言わなくても分かってよ」という気持ちと、なかなか自分の気持ちを言えない、というのがあって無口になっちゃうんですね。自分でも悪いところだと分かっていて、気をつけようと思ってるんですが…ここに書いてるばっかりじゃなくて、言わなきゃだめですね。


ちょっと今日から改革してみます。ネチネチ言い過ぎるのはあれですが、言いたいことを言うというのは大事なことです。

【⑫県立病院での指示】

県立病院での新しい入院生活が始まりました。週数は20w3d。赤ちゃんの大きさは500グラム弱。繰り返しますが、22w未満で産まれてしまった場合は流産となります。あと最低でも11日は、意地でもお腹にいてもらわなければ。


私はスマホで「22週 生存率」「22週 障がい」などと検索しまくりました。


22週未満 流産

22週 生存率30%〜40%
   後遺症なく育つ確率10%

23週 生存率50%
   後遺症なく育つ確率30%

24週 生存率80%

25週 生存率85%

26週 生存率90%

27週 生存率90%以上

28週 生存率95%以上


28週を過ぎて体重が1000グラムを超えれば、内蔵機能がほぼ完成しているので後遺症の心配はぐっと少なくなる。目と肺の完成が遅く、一番最後に完成するのは肺で、34週頃になれば出生時自発呼吸をして産声をあげられる可能性が高い。逆にそれ未満だと呼吸器系が未熟で、呼吸に関する後遺症が残ったり呼吸器が必要になることが多い。


私は入院時、28週でさえもハイレベルな目標でとにかく22週、命だけでも、と思っていました。でも、やはり障がいが残るかも知れない、というのはとても心配なことでした。


スマホで実際に切迫流産の経験をした方のブログを読み漁りました。とても衝撃的だったブログがあります。


細かくはあまり覚えていないのですが、その方は22週目前で破水してしまったそうです。破水は破水でも高位破水といって、普通の破水のようにバシャ!と出るのではなく、子宮口から遠いところで破水しチョロチョロと少しずつ漏れてくる、というものです。尿もれと勘違いされる方もいます。ただ尿と違って自分の意思とは関係なく漏れ、羊水特有のニオイがするそうです。


早い時期での高位破水の場合、羊水の減少はもちろん、破水による子宮収縮で早産の危険性が高まります。また赤ちゃんを包む卵膜が破れる訳ですから感染症も起こりやすくなります。


羊水は赤ちゃんのおしっこです。赤ちゃんはお腹にいるころから羊水を飲んでおしっことして排出し、呼吸の練習をしているそうです。そして羊水は赤ちゃんを守る役目があります。


その方は破水が収まらず羊水が殆どなくなってしまい、いつ産まれてもおかしくない状態になりました。医師から迫られたのは残酷な選択でした。赤ちゃんはもう長くはお腹の中にはいられない。22週未満なら流産、なんとか22週を超えて産まれても後遺症が残る確率が高い。赤ちゃんを諦めるなら(中絶ができるのは)22週未満まで。明日までに、諦めるか、後遺症が残ることを覚悟して妊娠を継続するか、選択してください。


たった一日でこんな選択をしろと言われても、できるでしょうか。ここまでお腹の中で育ててきた我が子。愛しくてたまらないはずです。でも、後遺症が残ってしまったらその子を一生育てられるだろうか?長くは生きられないかも知れないし、そうじゃないかも知れない。でも自分が歳をとって死んだあとは?


この方は旦那さんと泣きながら一晩悩んだ挙げ句、諦めることを選択したそうです。正しい答えはありません。でも医師や家族からは「賢明な選択」と言われたそうです。「次頑張ればいいよ」と。その言葉にもいろいろな葛藤があると思います。さっきまでお腹の中で元気に動いていたのに、もしかしたら奇跡的に助かって別の未来があったかもしれない、と想像するとその気持ちは耐え難いものでしょう。



私は子宮口こそ開いてきましたが、破水や出血はしませんでした。先生がもう暫くは大丈夫、と判断したからなのか、そのような選択を迫られることはありませんでした。ただ週数を追うごとに生存率が高まり後遺症の可能性も低くなることから、「とにかく安静にして、1日でも長くお腹の中に居させる」ことだけを言われました。赤ちゃんにとってお腹の中の1日が、外の世界の3日以上だと言われました。私はその言葉を守って、「私は赤ちゃんの保育器」と思って入院生活を過ごしました。



転院前のM病院では、食事、洗面はベット上。トイレ禁止で尿道カテーテル。シャワー禁止。清拭のみでした。県立病院でも同じか、さらに厳しくなるのでは‥と危惧していましたがあっさりと尿道カテーテルが外されました。しかもポータブルトイレではなく個室内のトイレへの歩行可。ベットからは10歩位離れています。シャワーは週1回可。洗面も歯磨きも、洗面台に行ってすることが許可されました。


驚きつつもかなり嬉しかったです。もう1週間以上シャワーを浴びていません。M病院ではがんじがらめだったのに、こんなに自由に動いていいのか?拍子抜けでした。


腕にはM病院と同じくウテメリンの点滴が開始されました。流量はお腹の張りを見て徐々に上げていくと。1日2回、朝と夕方にモニターを付けて張りを確かめ、30分に1回以上張るようなら流量を1増やし、またモニターを付けて確認。モニターは大体30分くらいつけるのですが、その間一切身体を動かせないので苦痛です。たまらず寝返りを打つとセンサーがずれてしまったりするので、その度に看護師さんが直しにきます。でも、赤ちゃんの心音を聞くことができ、「今日も赤ちゃんは元気」と確かめられるので楽しみでもありました。