元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

【⑱初対面時に感じた違和感】

18:55、出産。点滴を抜去してちょうど12時間後のことでした。


「死ぬかと思った」というのはこういうことを言うんだ、と心の底から思いました。普通は陣痛が始まったら少しずつ間隔が狭くなり少しずつ痛くなって出産、だと思うのですが。私の場合突然痛くなって、ものの10分くらいで産まれました。赤ちゃんが産まれた直後、激痛は嘘のように消え、同時に大量の冷や汗と突然の激痛で身体がビックリしたのか、全身がガタガタ震え「寒い、寒い!」と叫びました。


看護師さんが布団を持ってきてかけてくれました。赤ちゃんは…産声は聞こえず、直ぐに新生児科の先生が受け取って処置しているようでした。気道の羊水を吸引しているのか、ジュルジュルと音が聞こえます。私は放心状態で「赤ちゃんは?赤ちゃんは?」と言っていました。


赤ちゃんを産んだあとは、胎盤を引っ張り出す後産があります。義理のお姉さんはこの後産が痛かった!と言っていましたが、私の胎盤はいともあっさりと出てきました。お股も少し裂けてしまったようで、先生は注射針で麻酔をして縫っています。「中の方も裂けてないか見ますね」と言って器具を入れられたのですが、これが痛かった。先生は「これで最後にしますね」と言いつつ何度も何度も入れてくるので心の中で(嘘つき〜!!)と叫んでいました。


やっとのことでこちらの処置が終わるかという頃、やっと赤ちゃんの泣き声が聞こえました。普通元気に産まれた赤ちゃんの産声は「おぎゃー!!」なのに、私の赤ちゃんは「ほわ〜ほわ〜」と何とも可愛らしい声でした。それでも、産声が聞こえたことでとても安心しました。(良かった、ちゃんと呼吸してる)


「男の子です!」と看護師さんが言った時は旦那と顔を合わせて「やっぱりね」と言い合いました。新生児科の先生が息子を両手に載せて私の顔の近くに持ってきました。


初めて見た感想は、本当に、赤ちゃんがお腹の中に入ってたんだ!という感動。いくら胎動を感じていても、エコーを見ていても、実際に見なければホントに入っていたなんて実感できませんでした。紫色をして、目をぎゅっと閉じて口は大きく開けて泣いている赤ちゃん。この子が私の赤ちゃん!少しほっぺたをつついてみると、柔らかい。早産だったので小さい姿を予想していましたが、思ったより小さくはありませんでした。「これから処置をしますので」先生はそう言い残して息子をNICUへ連れていきました。


そして。初めて息子を見た時に感じた違和感。それは息子の右脚でした。普通、赤ちゃんの脚ってくの字に曲がって下に下がっていると思うのですが。息子は左脚は普通なのに右脚は股関節からぐっと頭の方へ上げられ、さらにぴんと伸ばされていました。つま先がおでこに付きそうなくらい。まるでバレリーナが片足を頭の上まで上げている姿勢のようでした。


旦那も、「かわいかったね!」と話しながらも、「脚、なんか変なところにあったね」と違和感を感じているようでした。私は「きっと、赤ちゃんだから、まだフニャフニャで柔らかいんだよ」といいながら、もしかして…まさか奇形じゃないよね?と言い知れぬ不安を抱き始めていました。


出産後は2時間も分娩台の上で過ごさなければなりません。冷や汗でビショビショになった病衣を看護師さんが着替えさせてくれました。途中「母乳が出てるか見ますね」と少しつまむと、何やら液体が出てきました。「うん、ちゃんと出てきてるね」。赤ちゃんを産んだあと直ぐ母乳が出てくるなんて、本当に身体って不思議。普通の出産であれば、産まれたらきれいにしてお母さんが抱っこすると、赤ちゃんは本能でおっぱいを探して吸うそうです。「早産で産まれた場合、その子に合わせた栄養たっぷりの母乳がでるんですよ」と看護師さんが言いました。


しばらく旦那と話しながらゆっくりしていると、隣の分娩室でもお産が始まったようでした。隣の分娩室とは完全に仕切られているわけではなく、声は丸聞こえでした。ただ、私と全く違い、お母さんの叫び声が聞こえない。聞こえるのは呼吸音だけ。静かな状態のまま、「おぎゃー!!」といきなり産声が聞こえました。あまりの余裕な出産に、旦那と目を丸くしました。あとから聞くと、お隣さんは3人目の出産だそう。私の「ギャー!」とか「助けてー!」とかの叫び声を聞いて、どう思ったのかなと恥ずかしくなりました。


あっという間に2時間が経ち、病室に戻りましょうと声がかかりました。お股の傷が気になってあまり上手く動けません。何とか車いすに載って、その日はとりあえず元のMFICUの部屋へ戻りました。


約12時間ぶりに戻った病室。見慣れた風景、寝慣れたベッドに横になりました。違うのは、点滴をしていないのとお腹がぺっちゃんこなこと。夕食が運ばれてきましたが、興奮からか食欲がなく旦那に食べてもらいました。「ちょうどお腹減ってたんだよね」とガツガツ食べ始めました。出産の時に私の胎盤を見て、ついでに看護師さんが運んでいた隣でお産した方の胎盤も見えてしまったようで、食欲なさそうにしていましたが。


赤ちゃんの処置が終わったら旦那だけ対面と説明に呼ばれるはずでしたが、3時間近く経っても一向に呼ばれません。私は(赤ちゃんは生きているのか?)と不安になりましたが、看護師さんに直接「生きていますよね?」と聞くのが何だか怖くて「体重は何グラムでしたか?身長は?」と聞きました。


推定体重の1700グラムを上回って実際は1929グラム。2000グラムには届かなかったものの、想像より大きめ。でも身長は40cmとおちびさんでした。看護師さんが「ちょっと切り取ってきました」と言って、木の箱に入ったへその緒を持ってきてくれました。半透明でみずみずしくて、螺旋状に巻かれたへその緒。中には細い血管が見えました。これが、私と赤ちゃんをつないでいた生命線。よく頑張ったね。


暫くしてやっと旦那が呼ばれました。「じゃ、行ってくるね」。「お願いね」。


私の方も産後3時間経ったのでお股に当てた大きな産褥パットを交換してもらい、トイレに行きました。恐る恐る用を足して、恐る恐るウォシュレットを使って、恐る恐るペーパーで拭きました。でも思ったほど傷は痛くありませんでした。それより出血がすごい。これから1ヶ月くらい、この悪露と呼ばれる出血が続きます。まあ、赤ちゃんを産んだのだからこのくらい当然か。


それから、期待と不安を抱えながらひたすら旦那を待ちました。でも待てども待てども帰って来ません。ものすごく不安になりました。看護師さんに聞くと、「NICUの説明って、長いのよね〜皆さんこんな感じですよ」と言っていました。


そして、3時間近く経ったでしょうか。時刻は、日付をまたいで0時すぎ。物凄く疲れ切った顔で旦那が帰ってきました。「まだ起きてたんだ?」そりゃ眠れるわけありません。


「どうだった?」と聞くと旦那は1枚の写真を渡してきました。その時の写真がこれです。

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息子と、2度目の対面でした。口には、呼吸器。やっぱりまだ呼吸器が必要だったんだ。一瞬かわいそうだ、と思いましたが、直ぐに可愛くてたまらなくなりました。よく頑張ったね、産まれて来てくれてありがとう。


NICUでは、赤ちゃんの病状やこれからの治療の他にもNICUの成り立ちとか、本当に細かいことまで話があったようです。話がすごく長くて、旦那も疲れ切って最後の方は記憶がないと言っていました。


そして、気になっていた右脚に話が及びました。


旦那「脚のことだけど。」


「やっぱり、あの脚、おかしいって。俺も見たけど、最初見た時と同じで変なところに曲がってた。なんか、膝が逆に曲がってる感じ。先生も見たことないから分からないって。ただ、正常な状態に戻そうとすると心拍が乱れたりしてストレスがかかるみたい。あの状態が本人にとって楽みたいだから、そのままにしてるって。明日、整形外科の先生に診てもらうって言ってた。」


私は愕然としました。やっぱり気のせいじゃなかった。息子の脚は異常だった。


旦那「すごく疲れたから、もう今日は休むわ。ネットで調べないようにね。」


旦那は念を押して、いつものように車で寝るために部屋を出ていきました。でも脚の異常なんて、なんて検索すればいいか分かりません。切迫流産になって3ヶ月踏ん張って、臍帯静脈瘤が見つかって。32週で早産して、息子は未熟児の上に今度は脚の異常だなんて。もし、一生歩けない身体だったらどうしよう。まだ何も分からないのに、分からないからこそいろいろと想像して、息子の未来を思って泣きました。泣いて、いつの間にか疲れ果てて眠ってしまいました。