元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

【⑰出産当日】

11月24日、AM6:00過ぎ。建物が揺れる感じと、「ギーギー」と軋む音で目が覚めました。看護師さん達が声掛けをしながら病室の扉を開けて回っているのが分かりました。


今日はいよいよ点滴を抜く日。幸い地震は大したことなかったようでした。前日から付き添いで泊まっていた旦那も目を覚まし、トイレと洗面を済ませました。


7時頃。看護師さんがやってきて点滴が抜去されます。血管は穴だらけ、腕は刺したあとが痒くて掻きむしってしまい、傷跡だらけ。それでもやっと、管から解放されました。3ヶ月間お世話になったウテメリンとマグセント。両方とも流量は最大値でした。強い薬で抑えていた分、張り返しといって強い張りが起きてそのまま陣痛となり出産する…というのが今後の予定でした。


看護師さん「恐らくそんなに時間はかからず産まれてくると思うので、このまま陣痛室に移動しましょう。」


陣痛室とは、分娩台に登る一歩手前の部屋です。分娩室と廊下を挟んではす向かいにありました。陣痛室は病室と同じように、ベッド、テレビ、トイレ、そしてソファーもありました。旦那と一緒に貴重品だけ持って移動します。ここで担当してくださった看護師さんや助産師さんは、今まで見たことのない顔ぶればかりだったので少し不安になったのを覚えています。


朝食を摂りゆっくりしていましたが、特に陣痛らしきものは感じません。ただ、今まで感じていた張りが少し強くなって頻繁になったかな?という感じ。これが進めば陣痛になるのでしょう。


主治医のA先生がやってきて子宮口の開き具合を見るために内診をしました。


「ちょっと、旦那さんは部屋から出てて。」


そしてこの内診が痛い!子宮口を指でグリグリ。「今のところ、5cmってところですかね。」


その時、「ん?」と先生が首を傾げました。「子宮口に何か挟まってるな…手かな?へその緒だったらまずいな。」もしへその緒が挟まっている場合、出産時にへその緒が圧迫されると赤ちゃんが危険なため、その場合は帝王切開に切り替えるそうです。


(ええ!?ちょっと待って、ここで帝王切開!?)と焦りました。経膣エコーも使って確認したところ、どうやらへその緒ではなく赤ちゃんの手だったようでした。もう一度内診すると、「今、赤ちゃんと握手しました笑。」と先生が。先生が笑うなんて、超レアです。そっかー、我が子は生まれる前に握手を経験したか、と私も和みました。


「この方は気をつけなきゃいけないから、モニターはずっと付けてて」とA先生が支持し、モニターをお腹に巻きました。胎児心拍は大体130代〜140くらい。いつも通りです。


その後昼食を食べたあとも特に変化は見られません。でもモニターは大きな張りを検知しており、「陣痛、来てるよね?痛みに強い?」と助産師さんに言われました。うーん、全然痛くないんだけど…これが陣痛なはずないよね?陣痛って、泣き叫ぶほど痛いんでしょ?


旦那も私が全然痛がらずいつも通りなので、あくびをしたり昼寝をしたり超余裕でした。


私「ちょっとトイレに行きたいのですが…」

助産師さん「大きい方じゃないですよね!?」

私「あ、小さい方です…」

絶対いきまないでくださいね、と言われてモニターを外してトイレに行きました。というのも、陣痛は強い生理痛だったり、下痢便、いわゆるテロリストが出そうな時の痛みにも似ているそうです。よくネットでも、う○○が出るー!!と叫んで出産する人がいる、と読んだことがあります。


トイレを済ませてベッドに戻りモニターを付けた瞬間。さっきまで130代で正常値だった胎児心拍が、なんといきなり60代まで落ちていました。助産師さんが血相を変えて、でも冷静に先生に携帯で連絡しました。その間、心拍はすぐに戻り、再び正常値に。


「今、胎児心拍が60代まで下がりまして。今は戻っていますが…」何やら話をしたあと、「分娩台へ移動しましょう」。私もさっきの60代に下がったことが心配で、混乱しつつも分娩台に登りました。


時刻は午後の3時頃だったでしょうか。しばらくして先生が来ました。担当してくださる先生は主治医のA先生ではなく別の先生でした。でも何度か内診して貰ったことのある先生です。この時の子宮口は7cm開大。モニターでは大きな張り(陣痛と思われる)を感知しているのにも関わらず、私が全く痛みを感じていない。いつもの張り、という感じ。故にあまりお産が進んでいない…


私が全く痛がらないので旦那は余裕な態度をとっていたのですが、ここで先生から喝が。「旦那さん!奥さん痛がってるでしょ!ちゃんと励ましてあげて!陣痛も、何分間隔か測ってあげて!」旦那は先生の喝に驚き、それから「今張ってる?」とか「痛みは?」とか聞いてくるようになりました。…ごめんよ、旦那。私全然痛くないのよ…無駄に怒られてしまったね…


それからというもの、内診は凄く痛いのですが、それ以外に痛みは感じず…お産が進まないことと先程の胎児心拍が下がったことも踏まえて、「帝王切開をした方がいいのでは?」と先生から話がありました。


帝王切開か…お腹を切るのか…どうせお腹を切るなら、今までの陣痛は何だったのか?(本当は全然痛くない)と考えていると、助産師さんはそれを察したのか「今までの陣痛は全然無駄じゃないですよ。陣痛があることで、赤ちゃんは「ああ、外に出る時が来たんだー」って感じ取って、ちゃんとそのための準備をしているんですよ」と教えてくださいました。


夕方18時ころでしょか。日勤の看護師さん達が帰り始めたのか、明らかに周りにいる人が減り始めました。「ちゃんと近くにいますからね」と言われても、何だか取り残されるような、言いようのない不安が襲ってきて泣いてしまいました。


その時、先生がやってきて、私が泣いているのを見て「お母さんになるんだから!しっかりして!」と今度は私が喝を入れられました。


私は旦那と相談して、「このまま進まないのも辛いから、お腹を切ってもいい」と覚悟を決めました。お腹を切るなんて経験したこともないですし、当然怖かったです。ですが、また心拍が下がったらどうしよう…という不安が勝りました。とにかく、無事に産みたい。旦那は「分かった」と了承して、助産師さんに先生を呼んできてください、と頼みました。


旦那と話しながら先生を待っている時。ふと、お腹の中で赤ちゃんが「ゴロンっ」と動く感覚がした途端。今まで生きてきた中で感じたことのない、強烈な痛みが下腹部を襲いました。





「いったーーーーーい!!!!」






私は身をよじらせてそう叫んだと思います。そして股から生暖かいものがダバダバダバー!!と流れ出る感じがしました。左隣にいた旦那が光の速さで私の右手側にあるナースコールを押しているのが分かりました。


ナースコールを聞いて、担当の助産師さん、今までずっとお世話をしてくれた師長さんが駆けつけました。私は股から流れ出たのはきっと羊水で、破水したんだと思い、「破水した!破水した!」と痛みの中狂ったように叫びました。


私の右隣に駆けつけた師長さんはバスタオルをめくって下半身を確認したあと、「あらあら」と言ってまた直ぐに隠しました。この時、実はまだ破水しておらず、出てきたのは大量の血液だったようです。旦那が近くにいたのですぐ隠したのでしょう。


気絶しそうなほどの痛みの中、先生や看護師さん達が続々と集まってくるのが分かりました。左手は旦那の手を握り、右手は代わる代わる現れる看護師さんの手や服を引っ張りまくりました。いきむためのバーなんて、全然使いませんでした笑


「助けてー!助けてー!」と私は叫んでいました。この出産に赤ちゃんが耐えられるか心配で、赤ちゃんを助けて!というのと、自分も痛すぎるから助けて!という意味で。いつの間にか分娩室には15人ほどの人が集まっていて(NICUの先生やスタッフも駆けつけていた)、慣れ親しんだ看護師さんの顔もちらほら見えました。お世話になった看護師さんから、「今が一番の頑張りどころだから!」と言われたのが強烈に記憶に残っています。それを聞いて、「そうだ!お母さんになるんだから!」と決意して、ギャーギャー騒ぐのを止めました。


痛みで息を止めてしまうと、へその緒を通じて呼吸している赤ちゃんに酸素が届かず苦しくなってしまうので、息は止めないでください、と念を押されていました。でも強烈な痛みの中、それは容易ではありません。


先生から「はい、いきんで!」と許可がでました。子宮口が全開する前にいきんでしまうと産道が切れてしまいます。いきむときに目をぎゅっと瞑っていきんだら、「目を開けて、赤ちゃんの方を見て!」と指示されました。いやいや、ムリムリ〜!!と思いながら必死の形相で目をひん剥いて下を見ました。相当ヒドイ顔だったと思います。いきむときに吐息が漏れてしまうのですが、それも「はいダメ!もう一度!」と言われてしまってスパルタ先生でした。4度目くらいにいきんだ時。「ズルンっ!」と出てくる感覚と同時に、今までの激痛が嘘だったかのようにふっと消え去りました。赤ちゃんの産声は聞こえませんでした。