元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

【⑮異変〜胎児臍帯静脈瘤〜】

11月21日月曜日。妊娠32w3d。いつものように1日がスタートしました。朝ごはんを食べ内診し、お昼ごはんを食べて、身体を清拭。週に1回シャワーをするとはいえ、身体は垢のせいなのか(汚くてすみません)乾燥のせいなのか粉をふいていました。特に脚。寝たきりなのでいわゆるエコノミー症候群を防ぐために常に弾性ストッキングを履いていました。このストッキングを脱ぐ時に物凄く粉が舞います。旦那からは「鱗粉だ!」と言われました笑


旦那からは粉の吹いた脚を濡らしたタオルでこすってもらったりクリームを塗ったりしてもらいました。本当に介護です。妊娠の影響で体毛が濃くなり脚の毛はもちろん、お腹の毛なんて酷かったです。毛だけみれば、男性に引けを取りません。でも恥ずかしいなんて言ってられません。


3ヶ月間寝たきりの身体はすっかり筋肉が落ち、太ももはたるんたるんになっていました。ふくらはぎはまるで細い木の枝です。妊娠した時は「体重の増加は7キロ〜12キロの間で調整してください」と言われましたが、妊娠9ヶ月に入った頃で4キロしか増えていませんでした。病食のみで動かないので当然でしょう。体重の増加は赤ちゃん、胎盤、羊水、出産に備えて増える血液の重さなどが含まれます。


そういえば、マグセントの副作用で辛いのがもう一つありました。それは口の乾きです。喉が乾くのではなく、口の中がバリッバリに乾きました。唾液が出にくくなるのか鼻が詰まって口呼吸ばかりするものなら、舌やら唇やらがくっついて大変なことになりました。常に水で湿らせていました。


話は戻り。月曜日なのでエコーの日です。夕方頃に先生に呼び出され、車椅子で分娩室に移動します。分娩台の上に寝そべって先生を待ちます。


A先生がやってきました。お腹にジェルを塗ってエコー開始です。いつも通りに頭の直径や腹部、大腿骨の長さなどを測って推定体重を割り出します。「大体1700グラムくらいですね。」また大きくなってる!私はわくわくしながらエコー画面を見つめていました。


するとA先生は何処かの血管の太さを何度も何度も測っているようでした。何だか嫌な予感。「…やっぱり太いな」と先生がつぶやきました。


A先生「○○(私)さん。ここ見てください。これはへその緒の静脈なんですが、赤ちゃんのお腹に入ってすぐの所がいきなり太くなってるんですよ。約1.5倍の太さです。川に例えると、川幅が広いところは流れが緩やかになりますよね。それと同じで血管もいきなり太くなるとその箇所の血流が遅くなり、淀んでしまうんです。血液が淀むことで血栓ができ、それがもし赤ちゃんの心臓に飛んでしまったら、最悪の場合赤ちゃんは死んでしまいます。」


…。今まで、切迫の状態は深刻だったけど、赤ちゃんは元気で問題ないことが唯一の支えだった。それが、早産以外の理由で命が危険に晒されるなんて。


「…以前、同じ症状が見つかって、でも無事に予定日に元気な赤ちゃんを産んだ人もいます。」


先生が補足しました。でも、混乱していて何も言えません。


「もう、出してあげた方が良いかも知れないな。」


先生はそう言って、エコーは終わりました。車椅子に乗って病室へ帰る途中、いつもお世話をしてくれている看護師さんとすれ違いました。「赤ちゃん、大きくなってた?」と笑顔で聞かれ、「…はい」と苦笑いで返すのがやっとでした。


病室に戻り、すぐさまスマホで検索しました。どうやら、この病気は「臍帯静脈瘤」だということが判明しました。でも症例が少ないのかなんなのか、あまり情報が出てきません。そうこうしているうちに、A先生が病室にやってきました。


「文献によると、血栓が飛んで赤ちゃんが亡くなってしまう可能性は8%ぐらいでした。新生児科の先生とも相談したんですが、もう32週に入っていて未熟なことは未熟ですがきちんと外でも生きられる状態ではあるので、もう点滴を抜いて出産に臨もうと思います。」


先生は淡々と話します。A先生はこちらの意見を求めるようなことはしません。誰よりも経験豊富で母体と赤ちゃんの安全を第一に考えていることは前から良く分かっているので全面的に信頼していました。それでもいきなり命の危険を知らされ、長い長い入院生活がこんな理由で終わりを告げることになるなんて、あまりの展開の早さに思考が追いつかず気付けば泣いていました。先生はそれを慰めることもなく、「祝日があるので、点滴を抜くのは木曜日にしましょう」と言い残しさっさと病室を後にしました。


一人になった私はひたすらに泣き崩れました。夕食が運ばれてきましたが手をつけることができません。


担当の看護師さんが部屋に入ってきました。「突然でびっくりしたね。でも、A先生だから見つけてくれたんだよ。A先生じゃなかったら、見逃していたかも知れない。」…確かにそうだ。先生は毎週毎週隅々まで丹念にエコーしてくれた。長いときは30分も。ジェルでお腹が冷えてしまうくらいに。

 
「ここまで、よく頑張ったよ。3ヶ月間、よく頑張った。入院当初は400グラムだったのに、今は1700グラムだよ。もうきっと元気に生きていけるよ。」


看護師さんの言葉はとても嬉しかったのですが、私には37週の正産期にこだわる理由がありました。それは赤ちゃんと一緒に退院すること。正産期に産まれ、特に問題がなければNICUに入院することなく一緒に家に帰れます。でも未熟で産まれNICUに入院するということは、私だけ先に退院し赤ちゃんは病院に残し、離れ離れになるということ。遠く離れた病院。普通なら毎日絞った母乳を持って通うのだろう。でもそれはきっと無理。そして呼吸器や点滴、様々な機械に繋がれ保育器に入ることになる。採血で小さな小さな手に何度も何度も針を刺される。そんな目にあわせてしまうのが、可哀想でたまりませんでした。当初は「命だけでも」と思っていたのが、いつの間にか欲が出てそう思うようになっていました。私は子宮口が5cm開こうが6cm開こうが、あと1ヶ月頑張れる自信がありました。それなのに。
 

今日は月曜日。点滴を外す木曜日は3日後に迫っていました。