元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

【⑦入院初日~21wと 22wの壁~】

「とにかく、今から病院行くから。

着替えと、あと何がいる?」





旦那さんは仕事を切り上げて



病院に来てもらうことになりました。






私は出勤する格好のまま、ベッドに横になります。




病室は2人部屋でしたが、


私1人しかいないのでほぼ個室でした。



ベッドとテレビと冷蔵庫とテーブル。




少し廊下に出ればすぐ洗面所とトイレがあるのですが、



そこに行くのは叶いません。




一通り部屋の説明を受けた後、


ベッド脇にはポータブルトイレが置かれました。







腕には点滴のルートがとられ、



すぐにウテメリンの投与が開始されます。



子宮の収縮を抑える薬です。



この点滴は出産まで、24時間外せないことになります。






看護師「これで、張りがおさまるか様子を見ましょう。

収まらなければ、薬の量を増やしていきます。

副作用も出ると思いますので、

辛くなったら言ってください。」





切迫流産の治療といえば、


ただひたすらに安静にする事です。




人間は二足歩行ですので立っていると


必然的に重力で子宮頚管に重みがかかります。


横になることでその負担を減らし、


子宮収縮がなるべく起きないように薬で抑えるのです。





ただ横になって寝ている…




こんなに楽そうに聞こえることが



物凄く苦痛だということに


あとあと思い知らされることになります。






旦那さんが病院に到着し、


M先生から再び詳しく説明があります。





先生は水風船を例えにしました。





M先生「子宮を水風船に例えて、

中に入っている水が赤ちゃんや羊水だとします。

子宮頚管は結び目です。


○○さんは子宮頚管が短くなっており、

結び目が緩くなっている状態です。


張りと呼ばれる子宮収縮は、

水風船を左右から手で押しているような状態です。


風船は圧力がかかりパンパンになります。

結び目が徐々に緩み、

中の水が流れ出てしまうと破水、

赤ちゃんも出てきてしまう恐れがあります。」






赤ちゃんについての説明は、こうでした。





21w6dまでに赤ちゃんが出てきてしまった場合は、流産。




22w0dを越えた場合は、早産。



なので22週未満は切迫流産、



22週以降は切迫早産に病名が変わります。



22週未満の赤ちゃんは身体の機能がとても未熟で



今の医療では子宮外での生存が期待できない。




なので22週未満で赤ちゃんが産まれた場合、



助けるための処置はしない。




22週以降であれば処置をすることは出来るが



週数が早ければ早いほど、



脳性まひなどの障害が残る可能性が高い。




22週からというのは、医療の進歩により



かなり早くなったほう。




以前は28週未満でも流産だったそうだ。




因みに中絶手術ができるリミットも




21w6dまで、と母体保護法で決まっている。




22週以降では、どんな理由があろうとも




親の意志で諦める、という選択肢はない。





命の選別だと賛否両論がある羊水検査の場合も、そう。





21週と22週の壁。




たった1日の違いでも、助からない命と



助かるかもしれない命がある。










入院したての私には、




22週の壁さえも遠く遠く感じました。





入院時の私は19w3d。




私の赤ちゃんは、



まだ助けてもらえるスタートラインにすら立っていない。













M先生「破水や陣痛はいつ起きるか分かりません。


37週の正産期まで持つかも知れないし、


今日起きるかもしれない。」







そんな瞬間が今か今かとやってくるかもしれない恐怖に、




ずっと怯えていなければならないのです。











張りの感覚は、入院して安静にするようになってから




すぐ分かるようになりました。




足がつるときに予感がする時のように、




「今から、張る!」というのが分かるのです。





カチカチカチカチ…と



音さえもするような感覚のあと、




キューっと子宮全体が硬直します。




そのたびに私は身を固くして





「お願い、耐えて私の子宮!赤ちゃん、頑張って!」




と祈りました。




張りは大体30秒くらいでスッとおさまります。





こんな精神が削られるような瞬間が、




1日に30回程やってきます。





寝返りをうったとき、




食事のために身体を起こしたとき、




トイレに行くのに起き上がったとき、




じっと横になっている時でさえ。





ありとあらゆる場面で私の子宮は頻繁に収縮しました。










旦那さんの後に、同居している



お義母さんとおばあさんも来てくれました。




入院したと聞いて、とにかく心配で顔を見にきた、と。





「赤ちゃんは、元気なんだよね?」




そう、赤ちゃんは元気ということだけが、



私の救いでした。



今の段階では、ですが。




私はお義母さんとおばあさんにも



申し訳ない気持ちでいっぱいでした。




もし、もし赤ちゃんがダメだったら、


かわいい孫を亡くしてしまったら、


こんな不出来な嫁ですみません。






お義母さんとおばあさんが帰った後、



旦那さんに気晴らしに、と本を買ってきてもらいました。




気が紛れるように、何でもいいから小説を、と。




SFチックなラノベとグルメ本と



「赤ちゃんができたらかかるお金の本」


みたいなものを買ってきてくれました。



こんな時にお金の話か…(^-^;



と思いましたが実に旦那さんらしいチョイスです。





職場にも連絡し、しばらく入院する、と伝えました。




本当はすぐ辞めると伝えたかったですが…








夜になり、旦那さんも帰り



ひとりで夕食をとりました。




大きな個人の病院で



ごはんがおいしいと聞いていましたが



確かに美味しかったです。







21時になり消灯の時間です。




化粧をしたままの私は、看護師さんに頼んで



特別に洗面所で顔を洗わせて貰いました。





何か気持ち悪いなーと思った瞬間、




洗面所で思いっきり吐きました。





一旦つわりが収まっていた私には久しぶりの感覚です。




まだ看護というものに慣れていない私は、



その処理を看護師さんに頼むのが恥ずかしくて




(汚い話で申し訳ないですが…(ノД`))




とっさに洗面器へ素手ですくって




ベッド脇のポータブルトイレに捨てました。




看護師さんには



「ポータブルトイレへ吐いてしまって…」



と伝え(T^T)




この日から私のつわり?は再開しました。









そして夜中には点滴の副作用で寝ることができませんでした。




その副作用とは、動悸です。




動悸で眠れないなんて、想像もつきませんでした。





続きます。