元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

【⑯ 32週での出産に向けて】

出産の日取りがあっという間に決まってしまいました。看護師さんが「旦那さんに電話できる?」と聞きました。…そうだ、まずはこうなったことを報告しなければ。


時刻は旦那の仕事が終わるか終わらないかの頃。かけてみると、すぐ出てくれました。そして案の定…話し出す前に私は泣いてしまいました。泣けてきて何も話せません。旦那はこのとき、「やっとここまで来たのに、今度は何が!?」と焦ったそうです。


やっとのことで伝えました。臍帯静脈瘤のこと。8%の確率のこと。木曜日に点滴を抜去すること。きっとその日のうちに産まれること。そして、今のところ、赤ちゃんは元気なこと。


旦那は水曜の祝日に病院に行く、と言いました。そのまま泊まって、木曜日も付き添うと。


寝る時間になってようやく落ち着きましたが、とても不安だったのが先生の言った「8%の確率で血栓か飛んで赤ちゃんが亡くなってしまうこと」でした。今、この瞬間は大丈夫なのか?血栓なんてそんなすぐできるものではないのかもしれませんが、とにかく不安でした。頻繁にお腹を意識して、胎動の有無を確認していました。


臍帯静脈瘤がわかる前から、切迫以外に「子宮内胎児死亡」も怖かったです。原因は様々ですが、いつものように検診でエコーをするも、胎児の心拍が確認できない…私はエコーのときはいつもドキドキでした。例え胎動はきちんと感じていても。切迫になってこれほど頑張っているのに、もし、万一お腹の中で亡くなってしまったらこれ以上悔しいことはありません。そのことがより一層私をナーバスにさせていました。


よく聞くのが、臍帯過捻転。詳しい原因は不明ですが、赤ちゃんが動きすぎることなどによりへその緒が捻れて酸素や栄養の供給が滞り亡くなってしまう。これは事故のようなもので誰しも起こりうるし誰も悪くない。お腹の中で起こることなので予防もできない。


子宮内で亡くなってしまった場合、初期であれば自然に出てくることもありますが、赤ちゃんが大きくなっていれば普通の出産と同じ手順を踏むようです。薬で子宮口を無理矢理開かせて、お腹を痛めて産んであげます。


私は入院中妊娠に関するいろいろな病気を調べました。ブログも読み漁りました。これがもし自分に起こったら…と泣きながら読みました。どんな健康で順調な妊婦さんでも、100%安全なお産はない、とコウノドリでも言っていましたね。それほど赤ちゃんを産むということは、みんな簡単にやってのけているようで実は隠された苦労があったかもしれないし、奇跡の連続なんだと思います。


旦那は水曜日に病院に来て、珍しく車泊ではなく簡易ベッドを借り私の横で寝てくれました。緊張でなかなか眠れませんでした。帝王切開ならまだしも、自然分娩で生む日が決まっているなんてなかなかないのではと思います。明日の夜には、私のお腹はぺっちゃんこになっていて赤ちゃんに会える。お腹に赤ちゃんがいる最後の夜。胎動を感じて眠りにつくのも最後。


点滴を抜いて、いったいどのくらいで産まれるだろうか。看護師さんはもう子宮口が5cmくらい開いているので早いだろう、すんなり産まれてくれるんじゃないか、と言っていました。でも陣痛は痛いだろうな。義理のお姉さんは結構難産だったようで、最後の方は「もう腹を切ってくれ!」って思ったそうです。


いつの間にか眠ってしまい、木曜日の早朝6時ころ。なんと地震で目が覚めました。この病院は耐震のためにわざと揺れやすい構造になっているようで、4階の私の病室はかなり揺れました。看護師さんたちが急いで病室の扉を開けて回っています。幸い大したことはなかったようですが、揺れながら建物がきしむ音が聞こえてかなり怖かったです((((;゚Д゚))))なんという一日のスタート…でも泣いても笑っても今日が最後。最後であって始まりの日でもあります。

結婚記念日

昨日は2回目の結婚記念日でした。私達は付き合った記念日に籍を入れました。3月15日で“最高の日”です。


結婚記念日に何をするかは夫婦それぞれでしょうが、家ではちょっとしたご馳走を作ってます。去年はちらし寿司ケーキとティラミスを作ったのですが、今年はグレードを落として3色いなり寿司(о´∀`о)材料費は1000円!でも喜んで食べてくれました笑


午前中は天気がかなり良かったのでアンパンマン号に乗って近くの海へ\(^o^)/
すると偶然ママ友に会いました。自転車の前と後ろに長男くんと次女ちゃんを乗せてさっそうと現れました!このママさんは妊娠中で、一つの自転車に4人乗っているようなものです笑

因みにもう一人長女ちゃんも居て、このママさんはまだ30歳なのに4人目を妊娠中なんです。素晴らしい!地域の少子高齢化ボトムアップしてくれています!


尊敬すべき点は子沢山なことだけではなく、性格が本当に太陽のようなのです。いつもニコニコしていて、大変さを表に出さない。私が初めて支援センターに行ったときも一番最初に話しかけてくれてママさんたちの輪に入れてくれました。私が今まで会った人の中で一番“太陽”とか”ひまわり“という言葉が似合う方です。


Mさんとしますね。Mさんは私と同じく同居です。家の義両親とは違い、Mさんの義両親は育児によく干渉してくるようです。ベビーフードはなるべく食べさせない、3歳までは保育園に入れない、保育園グッズなどは買わずに作れるものは手作りする。そんなことは親の自由でしょ、と思いますがMさんはちゃんとこなしています。


もちろんMさんも文句はあるでしょうが、義両親の協力を得ながらうまくやっているようです。尊敬します。

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記念にパチリ(о´∀`о)Mさんの長男(3人目)と家の息子は同級生です。予定日もほぼ同じでした。アンパンマン号に乗ってる方が息子です。将来どんな友になっているでしょうか。楽しみです(о´∀`о)

育児の中心は母親

かなり暖かくなってきました。日中は上着が要らないほどです。昨日はいつも通り支援センターから帰ってくると息子は寝てしまい、しばらく寝ていました。起きたらお昼ごはんを食べさせて時刻は14時ころ。


「散歩に行こうか」とお義母さんが息子を連れ出しました。ああ…暖かくなるということはまたこの季節か…息子は1歳3ヶ月になりましたがまだ歩けないのでベビーカーででかけたようでした。


以前、嫌な経験をしたので本当はあんまりいい気持ちはしません。それは息子がまだ生後5ヶ月のころ。「お墓参りに行く」と言ってお義母さんが息子を連れて車で出掛けました。お墓は車で10分位の場所。「せいぜい1時間くらいで帰って来るだろう」と思っていたのですが。待てども待てども帰ってきません。15時半ころに出かけて、19時を過ぎても帰ってきません。おむつも持っていってないし、息子はまだ完母です。流石に旦那も待てなくなり、電話したところ、「今帰っている途中」と。結局帰ってきたのは19時半。どうやら親戚の家に遊びに行っていたようです。本当にありえないと思いました。でもそのときは何も言わずに我慢。今思えば、はっきり言うべきだったと思います。せめて、電話の1本くらいください、心配だから、と。



昨日も案の定…3時間経っても帰ってきません。いくら暖かい日とはいえ、夕方17時を過ぎれば次第に肌寒くなってきます。一体どこまで行ったのか…いつ帰ってくるのか。


ヤキモキしていると家の外の道路で遊んでいるのが見えました。なんだ、帰って来ているのにまだ家に入らない…息子はその時軽い風邪が治り始めたばかりというのもあり、3時間以上も外に居させるのが嫌でした。飲み物もおむつも持っていってません。


我慢できなくなり、外にでて息子を抱き上げて家に入りました。「流石にずっと外にいるのも」と言ったら「違うよねー○○の家で遊んでたんだよね」と。私は腹が立ってお義母さんに冷たい態度をとりました。


その後どうもモヤモヤして、私の心が狭いのか?と悩みました。そして、モヤモヤしているのも嫌なのでお義母さんに素直に謝りました。「さっきは変な態度をとってごめんなさい」。「いいよ、全然」と言っていました。


旦那が帰ってきて、その話をしました。「前も同じようなことがあったのに、また?」少し怒っているようでした。旦那はお義母さんの愚痴を話すと必ず同意してくれます。もし「そんなことで怒るの?」なんて言われたら私はすごく悲しくなるでしょう。


今日、また支援センターに行くと、保健師さんが来ていました。この方は息子が退院して1ヶ月経ったときに保健師訪問で自宅に来てくれた方でした。「なにか、悩んでいることはない?」。私は昨日の出来事を話しました。そして、保健師さんからの言葉にとてもとても心が救われました。


まず、私が怒るのは普通の感情。お義母さんの行動は配慮が足りない。生後5ヶ月で長時間お母さんから離すのはもちろんのこと、昨日のように散歩が長時間に及ぶなら、出掛ける前に言うか、途中で電話をするべき。そして帰ってきたら、「遅くなってごめんね」といってすぐに家に入る。

私のほうも、出掛ける前に「ちょっと風邪ぎみだから早めに帰ってきてね」と一言あったら良かったかも。


そして、「お義母さんのとった行動で、何が一番嫌なのか、よく考えて見ましょう」と言われました。普段、お義母さんへの不満はあまり思いつかない。でもなぜか、散歩に連れて行かれるときだけ物凄く抵抗がある。「おむつもお茶も持たずに出掛けた」のが嫌だったんじゃない。「目の届かないところに行くこと」か?いや、一番の根っこは、「いつ帰ってくるか分からなくて不安なこと」だった。


「もしかしたらお母さん(私)が幼少期に、【いつ帰ってくるか分からないこと】で深く不安になり、トラウマのようになってしまったのかもしれない。それでそのことで母子が離れることに過敏に反応して嫌悪感を抱いているのかも。」


ここでは書きませんが、思い当たる節がいくつかありました。私は幼少期、自分の母親との関係で大きなトラウマを抱えています。


「子育てをしていると、自分がどう育てられてきたかを振り返る場面が沢山ある。でも、それは別物だよ。お母さんが生きてきた幼少期と、いま息子さんが生きている幼少期は全然違う。」


心に刺さるものがありました。



お義母さんのことについては、関係を築きながらうまく嫌なことは嫌だと伝えること。ある程度我慢するのも一つの手。でも「子育ての中心は母親」ということを解ってもらうこと。あくまで私が「こういう育児がしたい」と思ったら、それに協力してもらうこと。強制ではなく、納得してもらった上で。旦那は、愚痴を話して同意してくれる立場でいい。間に挟まって間を取り持ってくれることは望んでいない。たぶん、取り持てないから笑 自分の母親に、上手にニュアンスを崩さずに伝えるのはきっと難しいでしょう。それなら、当事者である私が、うまく整理して自分の言葉で伝えるべきだと思います。


うまくできるでしょうか…でも、保健師さんと話したことでかなり楽になりました。自分の気持ちは異常じゃないって分かりました。他にも同じような感覚をもつお母さん方がいることを知りました。それだけで自信が持てました(*^_^*)

【⑮異変〜胎児臍帯静脈瘤〜】

11月21日月曜日。妊娠32w3d。いつものように1日がスタートしました。朝ごはんを食べ内診し、お昼ごはんを食べて、身体を清拭。週に1回シャワーをするとはいえ、身体は垢のせいなのか(汚くてすみません)乾燥のせいなのか粉をふいていました。特に脚。寝たきりなのでいわゆるエコノミー症候群を防ぐために常に弾性ストッキングを履いていました。このストッキングを脱ぐ時に物凄く粉が舞います。旦那からは「鱗粉だ!」と言われました笑


旦那からは粉の吹いた脚を濡らしたタオルでこすってもらったりクリームを塗ったりしてもらいました。本当に介護です。妊娠の影響で体毛が濃くなり脚の毛はもちろん、お腹の毛なんて酷かったです。毛だけみれば、男性に引けを取りません。でも恥ずかしいなんて言ってられません。


3ヶ月間寝たきりの身体はすっかり筋肉が落ち、太ももはたるんたるんになっていました。ふくらはぎはまるで細い木の枝です。妊娠した時は「体重の増加は7キロ〜12キロの間で調整してください」と言われましたが、妊娠9ヶ月に入った頃で4キロしか増えていませんでした。病食のみで動かないので当然でしょう。体重の増加は赤ちゃん、胎盤、羊水、出産に備えて増える血液の重さなどが含まれます。


そういえば、マグセントの副作用で辛いのがもう一つありました。それは口の乾きです。喉が乾くのではなく、口の中がバリッバリに乾きました。唾液が出にくくなるのか鼻が詰まって口呼吸ばかりするものなら、舌やら唇やらがくっついて大変なことになりました。常に水で湿らせていました。


話は戻り。月曜日なのでエコーの日です。夕方頃に先生に呼び出され、車椅子で分娩室に移動します。分娩台の上に寝そべって先生を待ちます。


A先生がやってきました。お腹にジェルを塗ってエコー開始です。いつも通りに頭の直径や腹部、大腿骨の長さなどを測って推定体重を割り出します。「大体1700グラムくらいですね。」また大きくなってる!私はわくわくしながらエコー画面を見つめていました。


するとA先生は何処かの血管の太さを何度も何度も測っているようでした。何だか嫌な予感。「…やっぱり太いな」と先生がつぶやきました。


A先生「○○(私)さん。ここ見てください。これはへその緒の静脈なんですが、赤ちゃんのお腹に入ってすぐの所がいきなり太くなってるんですよ。約1.5倍の太さです。川に例えると、川幅が広いところは流れが緩やかになりますよね。それと同じで血管もいきなり太くなるとその箇所の血流が遅くなり、淀んでしまうんです。血液が淀むことで血栓ができ、それがもし赤ちゃんの心臓に飛んでしまったら、最悪の場合赤ちゃんは死んでしまいます。」


…。今まで、切迫の状態は深刻だったけど、赤ちゃんは元気で問題ないことが唯一の支えだった。それが、早産以外の理由で命が危険に晒されるなんて。


「…以前、同じ症状が見つかって、でも無事に予定日に元気な赤ちゃんを産んだ人もいます。」


先生が補足しました。でも、混乱していて何も言えません。


「もう、出してあげた方が良いかも知れないな。」


先生はそう言って、エコーは終わりました。車椅子に乗って病室へ帰る途中、いつもお世話をしてくれている看護師さんとすれ違いました。「赤ちゃん、大きくなってた?」と笑顔で聞かれ、「…はい」と苦笑いで返すのがやっとでした。


病室に戻り、すぐさまスマホで検索しました。どうやら、この病気は「臍帯静脈瘤」だということが判明しました。でも症例が少ないのかなんなのか、あまり情報が出てきません。そうこうしているうちに、A先生が病室にやってきました。


「文献によると、血栓が飛んで赤ちゃんが亡くなってしまう可能性は8%ぐらいでした。新生児科の先生とも相談したんですが、もう32週に入っていて未熟なことは未熟ですがきちんと外でも生きられる状態ではあるので、もう点滴を抜いて出産に臨もうと思います。」


先生は淡々と話します。A先生はこちらの意見を求めるようなことはしません。誰よりも経験豊富で母体と赤ちゃんの安全を第一に考えていることは前から良く分かっているので全面的に信頼していました。それでもいきなり命の危険を知らされ、長い長い入院生活がこんな理由で終わりを告げることになるなんて、あまりの展開の早さに思考が追いつかず気付けば泣いていました。先生はそれを慰めることもなく、「祝日があるので、点滴を抜くのは木曜日にしましょう」と言い残しさっさと病室を後にしました。


一人になった私はひたすらに泣き崩れました。夕食が運ばれてきましたが手をつけることができません。


担当の看護師さんが部屋に入ってきました。「突然でびっくりしたね。でも、A先生だから見つけてくれたんだよ。A先生じゃなかったら、見逃していたかも知れない。」…確かにそうだ。先生は毎週毎週隅々まで丹念にエコーしてくれた。長いときは30分も。ジェルでお腹が冷えてしまうくらいに。

 
「ここまで、よく頑張ったよ。3ヶ月間、よく頑張った。入院当初は400グラムだったのに、今は1700グラムだよ。もうきっと元気に生きていけるよ。」


看護師さんの言葉はとても嬉しかったのですが、私には37週の正産期にこだわる理由がありました。それは赤ちゃんと一緒に退院すること。正産期に産まれ、特に問題がなければNICUに入院することなく一緒に家に帰れます。でも未熟で産まれNICUに入院するということは、私だけ先に退院し赤ちゃんは病院に残し、離れ離れになるということ。遠く離れた病院。普通なら毎日絞った母乳を持って通うのだろう。でもそれはきっと無理。そして呼吸器や点滴、様々な機械に繋がれ保育器に入ることになる。採血で小さな小さな手に何度も何度も針を刺される。そんな目にあわせてしまうのが、可哀想でたまりませんでした。当初は「命だけでも」と思っていたのが、いつの間にか欲が出てそう思うようになっていました。私は子宮口が5cm開こうが6cm開こうが、あと1ヶ月頑張れる自信がありました。それなのに。
 

今日は月曜日。点滴を外す木曜日は3日後に迫っていました。

【⑭マグセント投与開始】

いよいよマグセントが投与されます。ネットで調べてみると、副作用は様々。動悸、吐き気、倦怠感、身体のほてり、血管痛、などなど…人によっては「生きた心地がしない」ほど強い副作用が現れる場合もあるようで、正直不安でした。


最初は流量10。その後は今までどおり張りを確かめて、1ずつ増やしてMAXは20。もし、20に到達しても張りが収まらない場合は…今度は飲み薬があるそうです。なんだか、落ちるところまで落ちていく感覚。


看護師さんが、「マグセントがあれば鬼に金棒ですから」と言って励ましてくれました。


投与が始まったのは、夜の20時頃でしょうか。長いモニターの結果、張りは少し落ち着いたのでそのまま就寝しました。


翌朝、目を開けると…なんか、景色が二重に見える!?窓の外を眺めると、公園があって、奥に医学部の洋館のような建物が見えるのですが…2棟ある!?というくらい、景色が二重になりました。何度目をこすっても、瞬きしても同じ。とりあえず、トイレに行こうと思って立ち上がると、なんだかフワフワ。雲の上を歩いているような感覚。景色は二重で、フワフワして。現実じゃないようでした。


次に吐き気。でもこれは薬の副作用なのか、単なるつわりなのか、よく分かりません。あと身体のほてり。とにかく、暑い!病室は24時間空調が効きっぱなしで常に同じ室温に保たれているはずなんですが、急に暑くなってズボンを脱いで生活してました笑 お腹が出できて締め付けが嫌になったのもあり。病衣はワンピースのようになっているのでパンツ丸出しではありませんよ(*´ェ`*)窓の外の景色は紅葉が始まっていても、窓を開けて空気の入れ替えもできない病室は日光が差し込んでまるで真夏です。11月頃まで、冷房をかけていました。ほんとに、3ヶ月間外の空気を吸えないというのは、かなりきつかったです。


そしてたまにやってくるのが、血管痛です。これは点滴の針を刺す場所によりました。手に近いところ、手首などに刺すと徐々に血管がビリビリしてちょっとでも動かすと激痛が走ります。最初はこの痛みの原因が分からなくて我慢していたら物凄く痛くなって看護師さんに訴えました。そしたら「血管痛ですね」といわれて針の場所を変えると、嘘のように治まりました。


私が感じた副作用はこれくらいでしょうか。結論は結構平気。薬に強いですね、と言われました。


ある夜のこと。お腹の中で赤ちゃんが暴れています。逆子であったため、子宮口のそぐそこで脚をバタバタしているのがわかります。子宮口が開いているので、例えばその隙間に「えいっ」っと蹴りでも入れるものなら破水してしまう危険性もありました。私はぐっと子宮口を締める気持ちで力を入れて「暴れないで!」と念じていました。すると、なんだかお腹の中で赤ちゃんがぐいーんと回る感覚。そしてさっきまで子宮口あたりでバタバタしていたのが、お腹の上部でバタバタしはじめました。「逆子が治った!」直感的に分かりました。次のエコーの時は本当に逆子が治ってました。やった!これで下から産める可能性が高まります。でも今度はパンチしないでね、と念押ししました。


結構明るく書いてますが、妊娠22週を超えるまでは生きた心地がしませんでした。やっとのことで22週を超えても、次は24週、次は28週、とどんどん目標は遠ざかります。でも25週を超えたあたりから気持ちはかなりの楽になりました。どんなに悩んでも、私にできるのはちゃんと薬を飲んでただひたすら安静にするだけ。週数を重ねるごとに赤ちゃんは順調に成長しましたが、子宮口もどんどん開きました。赤ちゃんの頭の直径が7cmに対して、子宮口は4cmまで開いてきました。単純に赤ちゃんの頭と同じ大きさまで開けば、出てきてしまいます。


産科の先生の中でかなり嫌な先生がいました。女の先生で、無愛想で内診が雑?なのかかなり痛いのです。グリグリして、「あ〜あらら。見て〜こんなに開いてる。」と看護師さんに言ったりしていて本当に嫌でした。患者が不安になることを、普通わざわざ言いますか?というかそんなにグリグリしたら余計拡がるって!この先生はどこかからの臨時の先生のようで、幸いにもたまにしか来ませんでした。私が28週頃の時でしょうか。久々にこの先生が来たのですが、内診が終わって病室を出たあと、「あの患者さん、まだいたの?」と驚いていたそうです。きっと、ここまで持つとは思わなかったのでしょうね。「なめんなよ!」と言ってやりたかった笑


マグセントも最大値に達し、それでも張りが収まらず遂に飲み薬も処方されました。ニフェジピンという薬で、朝晩1錠ずつ。高血圧の薬のようで、血圧が下がり過ぎないよう飲んだあとは30分ごとに3回血圧を測りました。この薬の副作用は殆どなく、効果もよく分かりませんでしたが。


なにはともあれ、1日1日を必死に過ごし、なんと32週目に入りました。8月末に入院して、11月下旬です。赤ちゃんの推定体重は1700グラムくらい。正産期まであと1ヶ月。ここまで子宮口は4cm開大。全開は10cmです。でも破水も出血も感染症もありません。あと1ヶ月頑張ろう!と思っていた矢先。32w3dのエコーで、初めて、切迫早産以外の異常が見つかってしまいました。

ストックストレスからの開放

久しぶりにミニマルの話です。私はモノをストックすることにストレスを感じます。ストックがある安心感、というよりは、「ストックしなければ」「アレが無くなりそうだから買い足さなければ」と考えるのが嫌なのです。


それが顕著に現れるのがやはり化粧品ですね。昔、しっかり化粧をしていた頃は、下地やファンデーション、化粧落としは必須でした。でもこれらは決して安くはないですよね。もし全て同じタイミングでなくなってしまったらかなりの出費です。


あと、細々したものでリップスティック。私は唇が乾燥しやすいので年中手放せません。しかしリップスティックはポケットに入れていると出し忘れて洗濯してしまったり、いつの間にか行方不明になってしまったり。かといって新たに買うとどこかから古いものがでてきたり。一つ一つは安いものですが、結局は沢山買って増えてしまって非常にストレスでした。


現在はリップスティックは買いません。でっかいワセリンを買って、小さな容器に詰め替えて使っています。少量で伸びがいいので全然減りません。


化粧品も、肌断食をするようになってストックするものが殆どなくなりました。洗顔料はフォームではなく純石鹸に。3個で400円くらいのものを使っていて、1個使い切るのに2ヶ月かかります。なので半年は買い足す必要なし。化粧落としは化粧をしないのでありません。化粧水もありません。馬油は一瓶で1年はもちそうです。下地もファンデーションも持ってません。日焼け止めは省けないのでストック必要ですね。


化粧品のミニマル化だけでかなり楽になりました。


あとは日用品のストック。シャンプーや歯磨き粉、洗濯洗剤なども共用なので、お義母さんが買い足すか、私が買い足す時は自分の財布からではなく家の共用の財布から出します。食洗機用洗剤や三角コーナーのネット、食器用スポンジ…あとは調味料とかって、地味に次々となくなってこれもまたストレスです。でもこれらは自分の財布から出るわけじゃないからいいか…と割り切ってます。


自分の財布から出る主なストックといえば、やっぱり息子のオムツ!我が家ではオムツメーカーの中でも格安な、マミーポコを愛用しております。


なんたって、安い!いつも近くのドラッグストアで買っているのですが、パンツのLサイズで1枚あたり18円。パンパースとかだとさらに10円近く高いです。息子はまだテープも併用していて、テープだと14円ほど。新生児の頃はNICUで使われていたムーニーを使っていましたが、サイズの割に小さくてグーンに移行。一時期メリーズにも浮気しましたが、トップバリュのオムツが安いことに気づいて乗り換え。その後マミーポコがさらに安いことを知って、それからずっとマミーポコです。


「安いオムツを履かされている子は可哀想」とか言う人もいるみたいですが、私はどんなオムツでもかぶれない強靭なおしりをもつ息子が誇らしいです。オムツ負けもせず、漏れないのなら安いものに越したことはないです。


「鬼〜のパンツはいいパンツ♪強いぞ〜♪強いぞ〜♪」の代わりに、「○○(息子の名前)のパンツは安いパンツ♪安いぞ〜♪安いぞ〜♪」って替え歌にして手遊びしています笑


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それにしても最近ぐっと暖かくなりましたね!待ってたぞと言わんばかりに息子を連れて外へ飛び出して、アンパンマン号に乗って散歩しています。これからどんどんお弁当とか作って公園に出かけて、家族で「0円休日」を楽しみたいです(*‘ω‘ *)

【⑬一日のルーティーン】

県立病院での一日の過ごし方はこうでした。

朝 7:00起床
看護師さんが部屋にやってきてカーテンを開け、体調はどうか等簡単な会話をします。一人で点滴のガートル台を引きずって移動し、洗面やトイレを済ませます。


8:00 朝食
ベット脇のテーブルに運ばれてきます。上体を起こすとお腹が張るので、寝たまま胸の上に器をおいて食べます。食後は
カルシウム剤や便秘薬を飲みます。


9:00 内診
県立病院の産科の先生は、8人くらいいました。毎日ローテーションのように違う先生が来て、ベット上で内診です。「昨日は何回張ったか」「痛みや出血、流れる感じはないか」「胎動はあるか」を聞き、子宮口の開き具合を見て膣の洗浄、ミラクリッドが入れられます。これが毎日です。


9:30頃
お腹にモニターを付けて胎児の様子、張りを確認。


12:00 昼食


14:00
毎週水曜日はシャワー。この時だけ一時的に点滴が抜かれ、車椅子でシャワー室に移動します。シャワー室では介助なしで自分で洗います。シャワーのない日は蒸しタオルで清拭のみ。看護師さんによって対応が違い、蒸しタオルをぽんっと置くだけの人や、背中をゴシゴシ拭いてくれる人、ベット上で差し込み便器を使っておまたを水洗いしてくれる人もいました。


16:00頃
再度モニターで確認。毎週月曜日は分娩室に移動し、エコーで赤ちゃんの成長具合や異常の有無、推定体重等を教えてくれます。エコーは毎回主治医のA先生だったのですが、白黒の画面を見ながら「ここが右寝室でここが左心室で」「この丸いのが膀胱」など細かい説明を毎回してくれるので、少し詳しくなりました。


18:00 夕食


21:00 消灯、就寝



ざっとこんな感じです。楽しみなのは水曜日のシャワーと月曜日のエコー。あとは土日の旦那さんのお見舞いです。その他はずーっとテレビかスマホをいじって過ごします。


家からは片道3時間弱離れた県立病院。旦那さんはお見舞いに来てくれるのか…結果的には、出産までの3ヶ月間、毎週土日に泊まりで来てくれました。個室だったので簡易ベットで病室に泊まることはできるのですが、簡易ベットが超狭くて超固くて粗悪だったので、1回寝ただけで「もう簡易ベットは使わない」と言い、それからずっと車に泊まってました。車泊の方がずっと快適だったようです。毛布と寝袋で、万全状態でした。いつしか看護師さんの間では、「車中泊の旦那さん」と位置づけられていました笑


病食はもちろん美味しくなくて、旦那さんが持ってきてくれる果物や少しのお菓子が心の支えでした。点滴にはブドウ糖が含まれているようで余り糖分は摂らないように気は使いましたが。毎週月曜日に採血して検査するので…


あとはUSBに映画を入れて持ってきてくれたり、ゲームを持ってきてくれたりしてとかなり助かりました(*‘ω‘ *)


お腹の張りですが、1日に大体30回以上は張っていたと思います。その度に少しずつ子宮口は開き続けました。ウテメリンは2、3日であっと言う間に最大値に達し、それでも張りは落ち着きません。そして次に現れたのはマグセントです。


このマグセント、結構強い薬で副作用も強く現れることからネットでは別名「妊婦殺し」と呼ばれていました。恐ろしい名前…でも「妊婦殺し」だろうがなんだろうか、赤ちゃんの為なら耐えるしかないのです。