元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

【⑮異変〜胎児臍帯静脈瘤〜】

11月21日月曜日。妊娠32w3d。いつものように1日がスタートしました。朝ごはんを食べ内診し、お昼ごはんを食べて、身体を清拭。週に1回シャワーをするとはいえ、身体は垢のせいなのか(汚くてすみません)乾燥のせいなのか粉をふいていました。特に脚。寝たきりなのでいわゆるエコノミー症候群を防ぐために常に弾性ストッキングを履いていました。このストッキングを脱ぐ時に物凄く粉が舞います。旦那からは「鱗粉だ!」と言われました笑


旦那からは粉の吹いた脚を濡らしたタオルでこすってもらったりクリームを塗ったりしてもらいました。本当に介護です。妊娠の影響で体毛が濃くなり脚の毛はもちろん、お腹の毛なんて酷かったです。毛だけみれば、男性に引けを取りません。でも恥ずかしいなんて言ってられません。


3ヶ月間寝たきりの身体はすっかり筋肉が落ち、太ももはたるんたるんになっていました。ふくらはぎはまるで細い木の枝です。妊娠した時は「体重の増加は7キロ〜12キロの間で調整してください」と言われましたが、妊娠9ヶ月に入った頃で4キロしか増えていませんでした。病食のみで動かないので当然でしょう。体重の増加は赤ちゃん、胎盤、羊水、出産に備えて増える血液の重さなどが含まれます。


そういえば、マグセントの副作用で辛いのがもう一つありました。それは口の乾きです。喉が乾くのではなく、口の中がバリッバリに乾きました。唾液が出にくくなるのか鼻が詰まって口呼吸ばかりするものなら、舌やら唇やらがくっついて大変なことになりました。常に水で湿らせていました。


話は戻り。月曜日なのでエコーの日です。夕方頃に先生に呼び出され、車椅子で分娩室に移動します。分娩台の上に寝そべって先生を待ちます。


A先生がやってきました。お腹にジェルを塗ってエコー開始です。いつも通りに頭の直径や腹部、大腿骨の長さなどを測って推定体重を割り出します。「大体1700グラムくらいですね。」また大きくなってる!私はわくわくしながらエコー画面を見つめていました。


するとA先生は何処かの血管の太さを何度も何度も測っているようでした。何だか嫌な予感。「…やっぱり太いな」と先生がつぶやきました。


A先生「○○(私)さん。ここ見てください。これはへその緒の静脈なんですが、赤ちゃんのお腹に入ってすぐの所がいきなり太くなってるんですよ。約1.5倍の太さです。川に例えると、川幅が広いところは流れが緩やかになりますよね。それと同じで血管もいきなり太くなるとその箇所の血流が遅くなり、淀んでしまうんです。血液が淀むことで血栓ができ、それがもし赤ちゃんの心臓に飛んでしまったら、最悪の場合赤ちゃんは死んでしまいます。」


…。今まで、切迫の状態は深刻だったけど、赤ちゃんは元気で問題ないことが唯一の支えだった。それが、早産以外の理由で命が危険に晒されるなんて。


「…以前、同じ症状が見つかって、でも無事に予定日に元気な赤ちゃんを産んだ人もいます。」


先生が補足しました。でも、混乱していて何も言えません。


「もう、出してあげた方が良いかも知れないな。」


先生はそう言って、エコーは終わりました。車椅子に乗って病室へ帰る途中、いつもお世話をしてくれている看護師さんとすれ違いました。「赤ちゃん、大きくなってた?」と笑顔で聞かれ、「…はい」と苦笑いで返すのがやっとでした。


病室に戻り、すぐさまスマホで検索しました。どうやら、この病気は「臍帯静脈瘤」だということが判明しました。でも症例が少ないのかなんなのか、あまり情報が出てきません。そうこうしているうちに、A先生が病室にやってきました。


「文献によると、血栓が飛んで赤ちゃんが亡くなってしまう可能性は8%ぐらいでした。新生児科の先生とも相談したんですが、もう32週に入っていて未熟なことは未熟ですがきちんと外でも生きられる状態ではあるので、もう点滴を抜いて出産に臨もうと思います。」


先生は淡々と話します。A先生はこちらの意見を求めるようなことはしません。誰よりも経験豊富で母体と赤ちゃんの安全を第一に考えていることは前から良く分かっているので全面的に信頼していました。それでもいきなり命の危険を知らされ、長い長い入院生活がこんな理由で終わりを告げることになるなんて、あまりの展開の早さに思考が追いつかず気付けば泣いていました。先生はそれを慰めることもなく、「祝日があるので、点滴を抜くのは木曜日にしましょう」と言い残しさっさと病室を後にしました。


一人になった私はひたすらに泣き崩れました。夕食が運ばれてきましたが手をつけることができません。


担当の看護師さんが部屋に入ってきました。「突然でびっくりしたね。でも、A先生だから見つけてくれたんだよ。A先生じゃなかったら、見逃していたかも知れない。」…確かにそうだ。先生は毎週毎週隅々まで丹念にエコーしてくれた。長いときは30分も。ジェルでお腹が冷えてしまうくらいに。

 
「ここまで、よく頑張ったよ。3ヶ月間、よく頑張った。入院当初は400グラムだったのに、今は1700グラムだよ。もうきっと元気に生きていけるよ。」


看護師さんの言葉はとても嬉しかったのですが、私には37週の正産期にこだわる理由がありました。それは赤ちゃんと一緒に退院すること。正産期に産まれ、特に問題がなければNICUに入院することなく一緒に家に帰れます。でも未熟で産まれNICUに入院するということは、私だけ先に退院し赤ちゃんは病院に残し、離れ離れになるということ。遠く離れた病院。普通なら毎日絞った母乳を持って通うのだろう。でもそれはきっと無理。そして呼吸器や点滴、様々な機械に繋がれ保育器に入ることになる。採血で小さな小さな手に何度も何度も針を刺される。そんな目にあわせてしまうのが、可哀想でたまりませんでした。当初は「命だけでも」と思っていたのが、いつの間にか欲が出てそう思うようになっていました。私は子宮口が5cm開こうが6cm開こうが、あと1ヶ月頑張れる自信がありました。それなのに。
 

今日は月曜日。点滴を外す木曜日は3日後に迫っていました。

【⑭マグセント投与開始】

いよいよマグセントが投与されます。ネットで調べてみると、副作用は様々。動悸、吐き気、倦怠感、身体のほてり、血管痛、などなど…人によっては「生きた心地がしない」ほど強い副作用が現れる場合もあるようで、正直不安でした。


最初は流量10。その後は今までどおり張りを確かめて、1ずつ増やしてMAXは20。もし、20に到達しても張りが収まらない場合は…今度は飲み薬があるそうです。なんだか、落ちるところまで落ちていく感覚。


看護師さんが、「マグセントがあれば鬼に金棒ですから」と言って励ましてくれました。


投与が始まったのは、夜の20時頃でしょうか。長いモニターの結果、張りは少し落ち着いたのでそのまま就寝しました。


翌朝、目を開けると…なんか、景色が二重に見える!?窓の外を眺めると、公園があって、奥に医学部の洋館のような建物が見えるのですが…2棟ある!?というくらい、景色が二重になりました。何度目をこすっても、瞬きしても同じ。とりあえず、トイレに行こうと思って立ち上がると、なんだかフワフワ。雲の上を歩いているような感覚。景色は二重で、フワフワして。現実じゃないようでした。


次に吐き気。でもこれは薬の副作用なのか、単なるつわりなのか、よく分かりません。あと身体のほてり。とにかく、暑い!病室は24時間空調が効きっぱなしで常に同じ室温に保たれているはずなんですが、急に暑くなってズボンを脱いで生活してました笑 お腹が出できて締め付けが嫌になったのもあり。病衣はワンピースのようになっているのでパンツ丸出しではありませんよ(*´ェ`*)窓の外の景色は紅葉が始まっていても、窓を開けて空気の入れ替えもできない病室は日光が差し込んでまるで真夏です。11月頃まで、冷房をかけていました。ほんとに、3ヶ月間外の空気を吸えないというのは、かなりきつかったです。


そしてたまにやってくるのが、血管痛です。これは点滴の針を刺す場所によりました。手に近いところ、手首などに刺すと徐々に血管がビリビリしてちょっとでも動かすと激痛が走ります。最初はこの痛みの原因が分からなくて我慢していたら物凄く痛くなって看護師さんに訴えました。そしたら「血管痛ですね」といわれて針の場所を変えると、嘘のように治まりました。


私が感じた副作用はこれくらいでしょうか。結論は結構平気。薬に強いですね、と言われました。


ある夜のこと。お腹の中で赤ちゃんが暴れています。逆子であったため、子宮口のそぐそこで脚をバタバタしているのがわかります。子宮口が開いているので、例えばその隙間に「えいっ」っと蹴りでも入れるものなら破水してしまう危険性もありました。私はぐっと子宮口を締める気持ちで力を入れて「暴れないで!」と念じていました。すると、なんだかお腹の中で赤ちゃんがぐいーんと回る感覚。そしてさっきまで子宮口あたりでバタバタしていたのが、お腹の上部でバタバタしはじめました。「逆子が治った!」直感的に分かりました。次のエコーの時は本当に逆子が治ってました。やった!これで下から産める可能性が高まります。でも今度はパンチしないでね、と念押ししました。


結構明るく書いてますが、妊娠22週を超えるまでは生きた心地がしませんでした。やっとのことで22週を超えても、次は24週、次は28週、とどんどん目標は遠ざかります。でも25週を超えたあたりから気持ちはかなりの楽になりました。どんなに悩んでも、私にできるのはちゃんと薬を飲んでただひたすら安静にするだけ。週数を重ねるごとに赤ちゃんは順調に成長しましたが、子宮口もどんどん開きました。赤ちゃんの頭の直径が7cmに対して、子宮口は4cmまで開いてきました。単純に赤ちゃんの頭と同じ大きさまで開けば、出てきてしまいます。


産科の先生の中でかなり嫌な先生がいました。女の先生で、無愛想で内診が雑?なのかかなり痛いのです。グリグリして、「あ〜あらら。見て〜こんなに開いてる。」と看護師さんに言ったりしていて本当に嫌でした。患者が不安になることを、普通わざわざ言いますか?というかそんなにグリグリしたら余計拡がるって!この先生はどこかからの臨時の先生のようで、幸いにもたまにしか来ませんでした。私が28週頃の時でしょうか。久々にこの先生が来たのですが、内診が終わって病室を出たあと、「あの患者さん、まだいたの?」と驚いていたそうです。きっと、ここまで持つとは思わなかったのでしょうね。「なめんなよ!」と言ってやりたかった笑


マグセントも最大値に達し、それでも張りが収まらず遂に飲み薬も処方されました。ニフェジピンという薬で、朝晩1錠ずつ。高血圧の薬のようで、血圧が下がり過ぎないよう飲んだあとは30分ごとに3回血圧を測りました。この薬の副作用は殆どなく、効果もよく分かりませんでしたが。


なにはともあれ、1日1日を必死に過ごし、なんと32週目に入りました。8月末に入院して、11月下旬です。赤ちゃんの推定体重は1700グラムくらい。正産期まであと1ヶ月。ここまで子宮口は4cm開大。全開は10cmです。でも破水も出血も感染症もありません。あと1ヶ月頑張ろう!と思っていた矢先。32w3dのエコーで、初めて、切迫早産以外の異常が見つかってしまいました。

ストックストレスからの開放

久しぶりにミニマルの話です。私はモノをストックすることにストレスを感じます。ストックがある安心感、というよりは、「ストックしなければ」「アレが無くなりそうだから買い足さなければ」と考えるのが嫌なのです。


それが顕著に現れるのがやはり化粧品ですね。昔、しっかり化粧をしていた頃は、下地やファンデーション、化粧落としは必須でした。でもこれらは決して安くはないですよね。もし全て同じタイミングでなくなってしまったらかなりの出費です。


あと、細々したものでリップスティック。私は唇が乾燥しやすいので年中手放せません。しかしリップスティックはポケットに入れていると出し忘れて洗濯してしまったり、いつの間にか行方不明になってしまったり。かといって新たに買うとどこかから古いものがでてきたり。一つ一つは安いものですが、結局は沢山買って増えてしまって非常にストレスでした。


現在はリップスティックは買いません。でっかいワセリンを買って、小さな容器に詰め替えて使っています。少量で伸びがいいので全然減りません。


化粧品も、肌断食をするようになってストックするものが殆どなくなりました。洗顔料はフォームではなく純石鹸に。3個で400円くらいのものを使っていて、1個使い切るのに2ヶ月かかります。なので半年は買い足す必要なし。化粧落としは化粧をしないのでありません。化粧水もありません。馬油は一瓶で1年はもちそうです。下地もファンデーションも持ってません。日焼け止めは省けないのでストック必要ですね。


化粧品のミニマル化だけでかなり楽になりました。


あとは日用品のストック。シャンプーや歯磨き粉、洗濯洗剤なども共用なので、お義母さんが買い足すか、私が買い足す時は自分の財布からではなく家の共用の財布から出します。食洗機用洗剤や三角コーナーのネット、食器用スポンジ…あとは調味料とかって、地味に次々となくなってこれもまたストレスです。でもこれらは自分の財布から出るわけじゃないからいいか…と割り切ってます。


自分の財布から出る主なストックといえば、やっぱり息子のオムツ!我が家ではオムツメーカーの中でも格安な、マミーポコを愛用しております。


なんたって、安い!いつも近くのドラッグストアで買っているのですが、パンツのLサイズで1枚あたり18円。パンパースとかだとさらに10円近く高いです。息子はまだテープも併用していて、テープだと14円ほど。新生児の頃はNICUで使われていたムーニーを使っていましたが、サイズの割に小さくてグーンに移行。一時期メリーズにも浮気しましたが、トップバリュのオムツが安いことに気づいて乗り換え。その後マミーポコがさらに安いことを知って、それからずっとマミーポコです。


「安いオムツを履かされている子は可哀想」とか言う人もいるみたいですが、私はどんなオムツでもかぶれない強靭なおしりをもつ息子が誇らしいです。オムツ負けもせず、漏れないのなら安いものに越したことはないです。


「鬼〜のパンツはいいパンツ♪強いぞ〜♪強いぞ〜♪」の代わりに、「○○(息子の名前)のパンツは安いパンツ♪安いぞ〜♪安いぞ〜♪」って替え歌にして手遊びしています笑


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それにしても最近ぐっと暖かくなりましたね!待ってたぞと言わんばかりに息子を連れて外へ飛び出して、アンパンマン号に乗って散歩しています。これからどんどんお弁当とか作って公園に出かけて、家族で「0円休日」を楽しみたいです(*‘ω‘ *)

【⑬一日のルーティーン】

県立病院での一日の過ごし方はこうでした。

朝 7:00起床
看護師さんが部屋にやってきてカーテンを開け、体調はどうか等簡単な会話をします。一人で点滴のガートル台を引きずって移動し、洗面やトイレを済ませます。


8:00 朝食
ベット脇のテーブルに運ばれてきます。上体を起こすとお腹が張るので、寝たまま胸の上に器をおいて食べます。食後は
カルシウム剤や便秘薬を飲みます。


9:00 内診
県立病院の産科の先生は、8人くらいいました。毎日ローテーションのように違う先生が来て、ベット上で内診です。「昨日は何回張ったか」「痛みや出血、流れる感じはないか」「胎動はあるか」を聞き、子宮口の開き具合を見て膣の洗浄、ミラクリッドが入れられます。これが毎日です。


9:30頃
お腹にモニターを付けて胎児の様子、張りを確認。


12:00 昼食


14:00
毎週水曜日はシャワー。この時だけ一時的に点滴が抜かれ、車椅子でシャワー室に移動します。シャワー室では介助なしで自分で洗います。シャワーのない日は蒸しタオルで清拭のみ。看護師さんによって対応が違い、蒸しタオルをぽんっと置くだけの人や、背中をゴシゴシ拭いてくれる人、ベット上で差し込み便器を使っておまたを水洗いしてくれる人もいました。


16:00頃
再度モニターで確認。毎週月曜日は分娩室に移動し、エコーで赤ちゃんの成長具合や異常の有無、推定体重等を教えてくれます。エコーは毎回主治医のA先生だったのですが、白黒の画面を見ながら「ここが右寝室でここが左心室で」「この丸いのが膀胱」など細かい説明を毎回してくれるので、少し詳しくなりました。


18:00 夕食


21:00 消灯、就寝



ざっとこんな感じです。楽しみなのは水曜日のシャワーと月曜日のエコー。あとは土日の旦那さんのお見舞いです。その他はずーっとテレビかスマホをいじって過ごします。


家からは片道3時間弱離れた県立病院。旦那さんはお見舞いに来てくれるのか…結果的には、出産までの3ヶ月間、毎週土日に泊まりで来てくれました。個室だったので簡易ベットで病室に泊まることはできるのですが、簡易ベットが超狭くて超固くて粗悪だったので、1回寝ただけで「もう簡易ベットは使わない」と言い、それからずっと車に泊まってました。車泊の方がずっと快適だったようです。毛布と寝袋で、万全状態でした。いつしか看護師さんの間では、「車中泊の旦那さん」と位置づけられていました笑


病食はもちろん美味しくなくて、旦那さんが持ってきてくれる果物や少しのお菓子が心の支えでした。点滴にはブドウ糖が含まれているようで余り糖分は摂らないように気は使いましたが。毎週月曜日に採血して検査するので…


あとはUSBに映画を入れて持ってきてくれたり、ゲームを持ってきてくれたりしてとかなり助かりました(*‘ω‘ *)


お腹の張りですが、1日に大体30回以上は張っていたと思います。その度に少しずつ子宮口は開き続けました。ウテメリンは2、3日であっと言う間に最大値に達し、それでも張りは落ち着きません。そして次に現れたのはマグセントです。


このマグセント、結構強い薬で副作用も強く現れることからネットでは別名「妊婦殺し」と呼ばれていました。恐ろしい名前…でも「妊婦殺し」だろうがなんだろうか、赤ちゃんの為なら耐えるしかないのです。

仲直りしました

先日夫婦喧嘩をした話をしましたが、3日くらいで仲直りしました。


当初は「俺は謝んねぇぞ」なんて言うもんだからそっちがその気なら!って完全臨戦体制だったのですが。


翌日もママ友たちに話して、ある提案が。「だったら、毎日牛乳寒天作ってやればいいよ」恥ずかしながら、この夫婦喧嘩の原因は牛乳寒天なんです。私は見るのも食べるのも嫌になった牛乳寒天ですが、なら逆にそんなに好きならたくさん作ってやるよ、と思い立ちました。


私は毎日旦那のお弁当を作るのですが、お弁当の中身をすべて牛乳寒天にしようと思いました。でもさすがにキレられるかな…と思い、デザートにつけました。喧嘩しててもお弁当はちゃんと作る。自分に非はないようにします。


夜ご飯には旦那のお茶碗にご飯の代わりに牛乳寒天を盛り付けました。次の日のお弁当にも牛乳寒天を入れました。その日の夜は丼に牛乳寒天を作って出しました。


さすがに戸惑いを見せる旦那を見て、もうなんだかバカバカしくて、くだらなくて、思わず笑っちゃいました。


「牛乳寒天ばっかりでどう思った?」と聞いたら「嬉しい限りだった」と。やっぱりお互い頑固で譲れないところがあるんです。チクショー!と思って結婚指輪を外して生活してたのですが、旦那は気付いてませんでした。等の本人の私も、昨日まで外したことを忘れてました。買った当初は嬉しくてたまらなくて「薬指がくすぐったい」、なんてよく聞きますが、たった2年で日常の一部と化します。なくても気付かないくらいに。


そのくらい、モノなんて大したことないと思っています。欲しくて欲しくてたまらなかったものも、手にしたらただの日常です。だったらどうしても必要なもの以外欲しいと思いません。私が結婚した証は、結婚指輪でも婚約時計でもなく息子だと思ってます。


喧嘩中、余りにも腹が立って息子とお風呂に浸かったまま泣きました。そしたら息子がびっくりしたように大きな目をさらにまんまるにして立ち尽くし、手を右往左往しながら「どうしたんだろう、どうしよう」と戸惑っているようでした。もう可愛くて可愛くて、本当に「息子がいればなにもいらない!」状態でした笑


最近第一次反抗期に差し掛かっているのか、私が怒ると反抗してきますが、なんかそれも可愛いです。そんな小さな身体で文句言ってる姿が笑

現在1歳3ヶ月。修正1歳1ヶ月。まだ歩きませんが、ものすごくおしゃべりしてます。もちろん、何を言っているかは分かりません。でも一生懸命指差しして何かを伝えようとしていて、その成長を日々感じています。

入院して90万円得した話

今回は保険の話です。私は切迫流産、切迫早産のために92日間入院して入院費を差し引いても90万円得しました。


入院した当初は長期入院と聞いて「一体いくらお金がかかるんだろう…」と金銭面でも心配でした。入院したことがないので、入院費がいくらかかるかなんて想像もつきません。


入院して1週間が経ち、M病院から県立病院へ転院した日。ふと、加入していた生命保険を思い出しました。「入院しているのだから、保険の給付対象だよね?」


この生命保険は、3年前くらいに父が勝手に加入していたものでした。理由は、当時担当していた保険の販売員がシンママで余裕がないのに、新規の契約が取れなくてクビになりそうだ、と言われて入ったと(笑)私は当初なんで勝手に!というのと、その方がかわいそうだから、という理由が納得できませんでした。しかし父から「最初の1年の保険料は俺が払うから」と言われ、まあ何があるか分からないから生命保険も必要か、と思ってしぶしぶ了解しました。結局その方は辞めてしまったみたいですが(ノД`)


この勝手に加入された生命保険、今となっては本当に入ってて良かった!と思ってます。


病室で保険会社に連絡しました。今、入院しているのですが、どうしたらいいですか?切迫流産で入院していると伝えると、「入院の期間はどのくらいですか?」と聞かれました。「ええっと…産まれるまでです。」「出産予定日は?」「1月13日です。」この当時は9月に入ったばかりの頃でした。「1月ですか?来年の?…それは大変ですね」さすがに動揺しているようでした。書類を送りますので、病院の方で記入して貰ってください等と説明を受け、電話を切りました。


出産予定日まで入院となると、5ヶ月間入院することになります。でも実際は、37週からが正産期といって赤ちゃんも十分成長し外の世界に出でも問題なく生きられるようになります。私にとっての37週は、ちょうどクリスマスあたりでした。先生からも、「37週になればもう頑張る必要はないから、そうなったら点滴外すよ」と言われました。張り止めの点滴を外す=今まで抑えていた張りが反動から一気に強くなり、陣痛へと変わり出産に至る、ということです。

 
ということは最長で4ヶ月の入院となります。4ヶ月ももてば、の話ですが。


大事な給付金ですが、加入していた保険は入院1日につき5000円。ただし女性特定疾病に当てはまれば倍の1万円が給付される、というものでした。切迫はそれに当てはまるのか?これは男性は絶対かからない病気だし…と思って聞いてみたら見事!当てはまりました。これで生命保険からは

入院日数×1万円+入院お見舞金

がおりることとなりました。


次に手に入ったのは入院直前まで勤めていた会社の健康保険からおりたお金です。会社には入院して2週間したくらいにはっきりと退職する旨を伝えました。「退職日はいつにするか」と聞かれ、旦那の扶養に入る手続きがあることからもキリがいい方がいいと思い、9月いっぱいは席をおいてもらうことにしました。


おりたお金はまず傷病手当。病気やケガで連続4日以上休んだ場合、給料の3分の2が支給されます。

次に高額医療費。1ヶ月の医療費が定められた「自己負担限度額」を超えた場合に健康保険から払い戻される。

あともう一つありましたが、なんだったか忘れました(笑)


そして次は支払うお金です。入院費っていくらかかるのか…((((;゚Д゚))))
ここで申請したのが先程も書いた高額医療費です。会社で加入している健康保険に申請します。医療費が高額になりそうな場合は、事前に加入先の健康保険に「限度額適応認定証」の申請をして、認定証をもらっておきます。この認定証を提示しておくと、支払い時に自己負担限度額を超えている場合には、自己負担限度額のみを窓口で払えばいいのです。


この自己負担限度額は所得に応じて違うのですが、平均は97000円ほどだそうです。私もそのくらいでした。


最初に入院していたM病院では手続きをしていなかった為、7日間の入院で9万円払いました。お高め‥(¯―¯٥)

でもその後きちんと申請したので県立病院では1ヶ月で9万ちょっとでした。


内訳はこう。

8月29日〜9月5日…9万強(M病院)
9月5〜9月31日…8万弱(県立病院)
10月1日〜10月30日…9万強(県立病院)
11月1日〜11月31日…42万弱(県立病院)

最後方がちょっと謎なんですが。私は11月24日に息子を出産しました。出産したら他の方と同じように1週間で退院です。なので11月31日に退院しました。妊娠、出産は病気ではないので保険対象外です。なので出産にかかる費用は実費ですよね。病院によって値段は違いますが平均で40万円前後かかります。ただし、加入している健康保険から出産育児一時金が支払われるので、結果としては自己負担はそれほどないようです。私の場合、出産育児一時金で42万円頂き、5000円余りました。


出産と産後の入院だけで40万以上かかるのに、11月の請求は41万5000円でした。それに私は入院してから産後もずーっと個室でした。安すぎない?と思いましたが損している訳ではないので特に聞きませんでした。


こうして、3ヶ月の入院をした結果、かえって懐があたたかくなりました。


ちなみに、息子は出生時未熟児だったのでNICUに入院したのですが、そこで提示された退院までにかかるであろう予定医療費はなんと600万円(✽ ゚д゚ ✽)目を疑いました。でも大丈夫、未熟児の医療費を助成する制度もちゃんとあります。後でまた書きますが、結果的に息子の医療費は1円も払わずに済みました。


ちゃんといろいろな制度はありますので絶対使った方がいいですし、保険料も税金も、真面目に払っていればいざというときいいことあるんだなあと実感しました。

夫婦喧嘩

昨日旦那と喧嘩?しました。旦那からすれば「急にムッとして意味わからん」ぐらいの気持ちなんでしょうが。


ネットでもよくそういうのを見かけますね。普通に話していただけなのに、「急に嫁が怒り出した」。それは夫が鈍感なだけで確実に嫁の怒りの地雷を踏んでしまってます。


喧嘩の経緯は書きませんが、「自分の親の家に住んで料理も作らないのにこの気持ちは分からないだろうな〜」っていう感じです。嫁だって大変なんです。毎日ご飯のメニュー考えて。旦那と子供だけならまだしも、同居してるんです。失敗しても、「失敗しちゃった〜」なんてたまにならまだしも頻繁にはやってられないんです。味付けも濃くならないように気をつけてます。でも本当は濃い味が好きなんです。炒め物はにんにくたっぷりがいいんです。ご飯だって本当は固めに炊いたのが好きなんです。菜っぱのおひたしだって、茹ですぎてクタクタより、シャキシャキが好みなんです。美味しいのか不味いのか、反応がほしいんです。食べたくなかったら食べなくていいです。そんでもって、「おふくろの味」とか言われるのが一番腹立つんです。


私は瞬間湯沸かし器タイプではなく火山タイプです。後から態度や言葉を思い起こしてフツフツと怒りが湧いてくるタイプなんです。そして怒ったら不機嫌になってムッとして何に対して怒っているか言いません。旦那は「なんで怒ってるのか分からない」から旦那も不機嫌になり、二人で無口になります。これが私たち夫婦の喧嘩パターン。どちらも悶々として悪いパターンです。


イライラしていたのでママ友たちに愚痴りました。こうこうこうで、こんなことがあった!と話すと皆一斉に「ありえない!」「ここに連れてこい!」と笑。溜まっていたものを吐き出して、共感してもらえるのが一番スッキリします。本当にママ友たちの存在は大きいです(*^_^*)


ママ友の中で瞬間湯沸かし器タイプの人は、「こうでこうでこうだから怒っている」っとイチから十まで説明しないと気が済まない、と言います。やりすぎるといつまでもネチネチ言って旦那が逃げると、「ふーん逃げるんだ。」って追い打ちをかけるみたいです笑


私はそれが羨ましいです。「自分はこういう気持ちなんだ、こういう考えなんだ」と伝えられることが。「なんで怒っているのか言わないと分からない」と旦那によく言われます。私としては「言わなくても分かってよ」という気持ちと、なかなか自分の気持ちを言えない、というのがあって無口になっちゃうんですね。自分でも悪いところだと分かっていて、気をつけようと思ってるんですが…ここに書いてるばっかりじゃなくて、言わなきゃだめですね。


ちょっと今日から改革してみます。ネチネチ言い過ぎるのはあれですが、言いたいことを言うというのは大事なことです。