元ハイリスク妊婦&ミニマリストの日記

妊娠19週からの切迫流産、20週にして子宮口が開き始めるも奇跡的に助かった小さな命。産まれた赤ちゃんにまさかの先天的な問題。ハイリスク妊婦として過ごした妊娠~出産~NICU入院までの経緯を文字に残すためのブログです。その他、育児奮闘記やミニマリストを目指す日常についてもゆるりと書いていきます★

初めて息子を怒鳴ってしまった

RSウイルス、実に手強いです(TT)日中はそうでもないのですが、夜になると毎晩40度超えの高熱を出し、寝付きがものすごく悪いです。やっと寝ても直ぐに泣いて起きる、の繰り返しで、本当に寝付くのは午前2時ごろです。咳も辛そう。


寝不足と看病疲れ、おまけに生理前でかなりイライラしております。一昨日、やっと息子を寝かしつけて1階に降りると、旦那さんがお風呂上がりに動画を見ていました。


ストローマグも、干しかけの洗濯物も、そのまんま。人間余裕がなくなると、ワガママになります。


「これくらい、洗っておいてくれても」「これくらい、干しておいてくれても」
「なんで、私ばっかり!」


次の日、息子の食欲が減退し、ほとんど食べなくなりました。いろいろ工夫して食べさせても、べーっと吐き出します。しまいには皿をひっくり返して遊び始めました。ついにイライラが頂点に達して、「なんで、食べないの!食べたくないならいい!!」と怒鳴ってしまいました。息子はビクッと身体を震わせてびっくりしてましたが、直ぐにまた遊び始めました。


それでも、怒られていることが少し分かるのか、「あーぷ」とか「ぶー」とか言っています。(普段、イタズラをして怒るときは「アプだよ!」と言うと、上記のような反応をして、逆ギレ?してます)


怒っても仕方ないのですが、病気で辛いのも分かっているつもりなんですが。


私がイライラしてるのを感じ取って旦那さんがケーキを買ってきてくれました。甘いものは疲れにもイライラにもいいですね。やっぱり美味しいものが家庭内平和の一つの秘訣かと笑



息子はティッシュ一枚で夢中になって遊んでいます。小さくて細い指で細かくちょっとずつ千切って、私に渡してきたり、口に持ってきて食べさせようとしてきます。高いおもちゃより、こういう紙くずや糸くずでいつまでも遊んでいられるので本当に不思議です。


f:id:shunmama:20180202144644j:plain



最近、近所の同じ歳の子が、「ほっぺにちゅー」をマスターしているのを目の当たりにしました。息子にもどうしても覚えさせたくて、必死に教えているのですが…ほっぺを指さして「ちゅーして」と言うと、何を履き違えたのか頭突きしてきます。でも、私は絶対に諦めません!

【⑩涙の転院】

転院指示を受け、途方に暮れながら旦那さんを待ちました。


「面会希望の方がいらっしゃっています。」


カーテンの向こうから、旦那さんが両手に荷物を持って「誕生日おめでとう!」と言いながら現れました。止まった涙が再び溢れ出し、抱きついて思いっきり泣きました。肩越しに私の父も一緒に来ているのが見えました。部屋には入らず、廊下に立ちすくんで、悲しげな、複雑そうな顔をしています。私は構わず泣き続けました。



このとき事情をまだ知らない旦那さんと父は、私があんまりにも泣くので「赤ちゃんは流産してしまったんだ」と思ったそうです。そりゃそうですよね…(*_*)



少し落ち着いてから、「転院することになった」としゃくりあげながら言いました。「赤ちゃんは大丈夫なの?」と聞かれ、頷くと、2人は安堵した様子でした。



少しして先生が現れ、「お誕生日おめでとうございます」とお花のアレンジメントをプレゼントしてくれました。さすが個人の病院だなあと思いました。でも、お花を眺める余裕はその時の私には全くありませんでした。



先生は旦那さんと父にも同様の説明をしました。出発は明日の朝。移動手段は救急車。ヘリも考えたけど、救急車でも大丈夫かなと。時間にして1時間半くらい。明日は月曜なので旦那さんは仕事を休んで救急車の後を車で追いかけることに。救急車に一緒に乗ると帰りの足がないので…



遠い病院に行くのは大変だけど、そこではちゃんと設備も整ってるから安心だね、と話しながらやっといつもの調子に戻りました。旦那さんと父からは、「不安になるからあんまり泣かないで」と言われてしまいました。いやでも無理!感情をコントロールできないほど、不安定でした。




その日の夜。今後の不安と、尿道が痛いのと、固いマットレスに1週間寝続けた身体は悲鳴を上げ、全く眠れず初めて看護師さんに泣きつきました。(また泣いてる…)その日の担当の看護師さんはとても優しい人で、「楽なように使って」と抱きまくらをたくさん持ってきてくれました。苦戦しながら、午前4時くらいにやっと眠れたと思います。




朝になりました。いよいよ転院です。旦那さんが到着し、荷物をまとめました。看護師さんがストレッチャーを持ってきて乗り移りますが、何しろ尿道が痛くてたまりません。早く抜いてほしい!


救急車が来るまでの間、処置室のような所で待たされました。するとその時、赤ちゃんの泣き声が聞こえました。産婦人科なので当たり前です。側にいた旦那さんが泣き声のする方を向いて、「かわいい」と言って笑いました。その時私は、「旦那さんに赤ちゃんを抱かせてあげられないかもしれない」と急にまた不安になり、気付かれないようにそっと泣きました。




救急車が到着し、乗り込みました。「じゃ、また後で!」旦那さんと別れ、看護師さんが同乗しました。先生も見送ってくれ、「お世話になりました」と伝えると、「頑張ってください」と言ってくれました。



救急車には初めて乗ります。何だかいろいろな機器があって、窓がないのでどこを走っているのか分かりません。サイレンを鳴らしながら走りました。


救急車とはいえ、急変したわけではないので車内は和やかムードでした。ただ一度、つわりと車の揺れで私が思いっきり吐きました。すみません…



県立病院へは割と直ぐに着きました。車を降り、緊急搬送口から中に入ります。私は横を向いて寝ていたので病院の中がどんな感じか、どこにいるのか、全く分かりませんでした。




暫くして、通された部屋、乗せられたベットは、明らかに分娩台でした。左右には手すりのようなものがあり、「きっと、赤ちゃんを産むときに掴まってりきむやつだな」と思いました。数々のお母さんが握ってきたからか、ところどころ皮が剥けていて、想像もできない出産の痛みを思って鳥肌が立ちました。




ここで私は、息子の命の恩人であるベテランで癖の強いA先生と出会います。

RSウイルス感染症

世間ではインフルエンザが爆発的に流行していますね。私の息子はRSウイルスにかかってしまいました…


RSウイルスは呼吸器の感染症で、特に乳幼児が発症し重症化すると肺炎や気管支炎になる危険性があります。2歳までにほぼ100%感染すると言われています。


息子のような早産児は特に重症化し易く、生後1ヶ月からシナジスという予防接種を受けていました。このシナジスは普通の予防接種と違って筋肉注射なので、針も太くかなり痛いそうです。


因みに私も切迫早産で入院中、胎児の肺の成長を促す為の筋肉注射をお尻に刺しました。左右に1発ずつを3日間。看護師さんから「これ痛いよ〜」と脅かされましたが、全然痛くありませんでした。うまい人だったのか…採血の方が全然痛いです(TT)



息子は昨日の朝方から咳をしだして熱を図ると38.3度ありました。子供の受診のタイミングが未だに分かりません(+_+)ネットで調べると、38.5以上ある、ぐったりしている、ご飯を食べない、水分を摂らない、呼吸が苦しそう…の場合は早めに受診。でも子供は平気で高熱を出し、40度近くても機嫌がいい、等は結構あります。また、ものを言えないのでどれくらい辛いのか分かりにくい…



やたらに病院に行くと、菌を撒き散らすしてしまったり、逆に悪い菌をもらってしまったり…それに、この寒い季節の受診は子供にも負担がかかります。



熱は高いけど機嫌はいいしご飯は食べるし…でも咳がでてゼロゼロいっている…いろいろ考えているうちに、外来の受付時間が過ぎてしまったので病院に電話して聞いてみました。「機嫌が良くご飯を食べるなら様子を見て明日の受診でもいいかも。インフルエンザを疑うなら、発熱して時間があまりたっていないので検査しても結果が出にくい。症状が悪化するようなら、外来が終わっているので救急で来てください」とのことでした。



以前、生後半年のころ夜に40度の高熱を出し、救急外来を受けたことがあります。病院についたのは夜中の0時。結局、小児科の先生がいないので、解熱剤をもらって翌日再度受診しましまた。


実はこのとき、慌てたのと足元が見えなかったので、入り口に入る前の段差で息子を縦抱きに抱いたまま派手に転んでしまったのです!!旦那は車を停めに行っていたのでいませんでした。転んだ瞬間、なぜか「息子が死んでしまった!!」と咄嗟に思いました(TT)慌てて起き上がると、息子は3回くらい泣いたあとすぐ泣き止みました。頭も特に打ったような跡はありませんでした。わが子を守る本能が働いたのか、息子の頭を守った私の手の甲と手のひら、両膝がかなり出血していました。今でこそ笑って話せる出来事ですが、本当に自分のどん臭さに呆れました。



話は戻りますが、今日の朝受診するとRSにかかっていることが判明(TT)夕食後には40.3度を記録しました。座薬をさしてようやく就寝(-_-)zzzきっとまたグズグズ目を覚ましてしまうのでしょう。早く良くなるといいな。

【⑨転院指示】

20w2dの朝の内診で子宮口が1cm開いていることが分かりました。


「お話がありますのでお部屋に戻っていてください」


部屋に戻って先生を待つ間、先生に言われたことについて考えていました。


子宮口が開き始めたということは、もう赤ちゃんが産まれようとしているのか?それに、覗くと赤ちゃんを包む卵膜が見えると言っていた…入院して1週間、言いつけを守って安静にしていた。しかし確かに張りはおさまらなかった。入院時1.6cmあった子宮頸管は、子宮口が開いた今、0cmになってしまったんだろう。子宮頸管長がなくなってしまったら、産まれてしまうと思っていたのだが…今はまだ20週に入ったばかり。22週はまだまだ先だ。まさか…ここでこの子の命は終わってしまうのか?


まだ説明も受けていないのに、とめどなく涙が流れていました。もう何度目の涙か分かりません。



しばらくすると先生がやってきて説明してくれました。



「懸命に治療してきて、○○さんも頑張っていますが、今の病状は良くありません。既に子宮口が開いていてこのまま徐々に開いたり、破水したり、感染症にかかるリスクが高いです。今は20週に入ったばかりですが、このM病院ではNICU(新生児集中治療管理室)がないので37週からの赤ちゃんしか診れません。ここから近い市立の総合病院にはNICUはありますが、28週からしか診れません。ですが県立の総合病院なら、22週で産まれた赤ちゃんも、診れます。市立の総合病院に問い合わせてみましたが、○○さんの病状を考えると県立病院で見てもらった方がいい、と言われました。突然で申し訳ないのですが、明日、県立病院へ転院して頂きます。」



ショックだったのは、市立病院に受け入れ拒否されたこと。それではまるで、現状では、28週までもつ見込みがないということか。さらに、県立病院はかなり遠いのです。自宅からだと、2時間半〜3時間くらい。このM病院や市立病院なら、平日でも仕事終わりに旦那さんがお見舞いに来れたが、県立病院は無理だ。もしかしたら、週末も来れないかもしれない。どこだか分からない所で、旦那さんにも会えず、孤独に戦わなければいけない。



赤ちゃんのことはもちろん、これからの入院生活を思うと、不安で不安でたまりませんでした。そして先生から、さらにとどめの一言。



「これからは、トイレも禁止です。ボーダブルトイレへの移乗も刺激になるかもしれないので。後でおしっこの管を入れます。便は、看護師の介助でベット上でしてもらいます。」



今までポータブルトイレへの移動だけが許された行動範囲だったのに、これで完全にベットから1歩も動けなくなりました。しかもおしっこの管って…



亡くなったおばあちゃんが入院していたとき、この尿道カテーテルをしていました。その時は特に何も言っていませんでしたが、尿道に管を入れるなんて、想像しただけで震えました。





看護師さんがカテーテルを持ってやってきました。ベテランそうな方。どうか、うまくやってくれ…

カチャカチャと準備をして、
「ちょっと、痛いですよー」













…ぢぐっっっっ!!!!!!




「いったい!!!」




思わず叫びました。




「あら、ごめんね(+_+)もっとジェルつければよかったかしら」




(TT)(TT)(TT)(TT)





でも、痛いのはここからでした。




寝返りをうつ度にカテーテルが動いて痛い…(TT)角度によっては、逆流してくるような感覚…空気も逆流してくるようで、膀胱の中がポコポコいう…常におしっこしたい感覚があるのにできない…残尿感…



なるべく寝返りをうたないようにじっと動かずにいました。このまま尿路感染症になってしまう、とまで思っていました。寝返りもまともにできないなんて、いったいいつまでこんな生活なのか…



この日は私の誕生日。こんなに悲しくて不安で、痛い誕生日は26年生きてきて初めてでした。



日曜日だったので旦那さんが来る予定でした。転院については来てから話そうと、旦那さんのラインに「着いたら話がある」とだけ入れました。




痛みに耐え、計り知れない不安に苛まれながら旦那さんを待ちました。

保育園受かりました

昨日、無事に第一希望の保育園の入園決定通知書が届きました!


といっても、私の住む地域は田舎でもともと子供の数が少ないので落ちることはほぼないだろうと思っていましたが(^-^;きっと、近所のママ友たちの家も、皆受かったでしょう。


4月から、いよいよ息子は保育園に通うようになり、私は働きます。約1年半、子育てに専念させてくれた旦那に感謝です。今は早く働きたいです。同居で、ずっと家にいるのが苦痛なので笑



保育園は自宅から徒歩5分の場所で、私の職場は保育園の隣にあります。なので朝は歩いて息子を送り、そのまま職場に行きます。フルタイムなので、帰りはばあばが迎えに行ってくれます。



私の働く会社は、決して給料は良くありません。でも、息子と私が一番負担が少ないように、と選んだ会社です。


まず、自宅、保育園から近いこと。何かあったら直ぐに駆けつけられます。そしてその職場は殆ど女性ばかりで、子育てしている人が多い。子供の病気や行事でも休みやすい、とのことでした。さらに仕事内容がストレスの少ないこと。まだこれから経験していくことですが、子育てと仕事の両立はかなりキツいものとなるでしょう。仕事から疲れて帰っても、家では休む暇もありません。子供を21時に寝かすために、逆算して行動しなければなりません。世の中の子育て世代のご家族、本当にお疲れ様です…>_<



私は1人目の時、重度の切迫早産でハイリスク妊婦となりました。きっと2人目も同じことになる確率は高いと思います。もしかして子宮頚管無力症なのでは、と思いましたが、先生ははっきりと何が原因かは言いませんでした。次妊娠した時は最初から総合病院に行って子宮頚管を縛る手術も受けたいと思います。



きっと、職場でずっと立ちっぱなしの過酷な労働とストレスも大きな要因になったと思っています。なので2人目を考えている今は、なるべく負担少ないように働きたいのです。



田舎なだけあって、私が職を探していると聞いて「うちの会社に来ないか」と話をしてくる方も何人かいました。子供を抱えている身に、こうやって会社の方から声をかけてくれるなんて有り難いことだと分かっています。でも、上記の理由で私は決めました。子供が小さいうちは、子供第一で考えたいです。



入園が決まったら入園準備ですね!一番お金がかかると思われるお昼寝布団。この前布団を見に行きましたが、まともに揃えると軽く2~3万はしました(ノД`)5年間、昼寝の時に使用するだけ。5年間「しか」、なのか5年間「も」、なのか…2人目が無事産まれて保育園期がかぶればもう1組…(T^T)



入園したらどこのママ友グループに所属するか、も大事ですね。やっぱりどこにでも懐かしのモンスターペアレントはいるようなので…幸いなことに、いつも行っている子育て支援センターで数人のママ友はゲットしているので安心です。ここでつながっていた人は、小学校に入ってもずーっとつながっていけるよ、とセンターのベテラン先生が言っていました。



支援センターでは月4回くらいイベントを企画してくれます。私は6月から行き始めましたが、ベビーマッサージ、スキンケア講座、離乳食講座、給食体験、イチゴ狩り、ブドウ狩り、焼き芋パーティー、プール、すいか割り、等々…息子の「初めて」はほぼここで経験してきました。本当に楽しかったです。3月には入園してセンターに行けなくなるので「お別れ会」もあるそうです。いままでの日常が終わると思うと、泣いてしまうかもしれません…(T^T)

男の子のシンボル

私は赤ちゃんができたら絶対女の子がいい!と思っていました。


何故なら、女の子なら大きくなっても話し相手になってくれるから。一緒にランチに行ったりショッピングをしたりしたいです。男の子はつれなくて、母親をうざがる。そんなイメージでした。


そして、私も旦那も男家系なこと。私は兄弟・従兄弟合わせて7人いますが、女は私だけです。旦那さんも、兄弟・従兄弟4人のうち、3人は男です。お義兄さんの子供も、男。私の兄の子供も、男。ここまで男ばっかりだと、女の子が産まれたらじいじ・ばあばにも特別にかわいがってもらえるんじゃないか、という期待もありました。



胎児の性別は、早ければ20週前後には判りますよね。しかし、私の場合、出産まで判りませんでした。というより、教えてくれませんでした(T^T)


私の主治医は、ハイリスク妊婦だっただけあって、超ベテランの怖いおじいちゃん先生(←失礼)でした。この先生は絶対に性別を教えてくれないよ、と看護師さんから聞きました。以前どうしても性別を知りたかった妊婦さんが何度も「性別教えてください」とすがりついたところ、「うるさい!」と一蹴されたことがあったそうです(;´Д`)



性別の判断は、エコーで股の間に男の子のシンボルがあるかないか、で判断されます。私の主治医はそんな股の間を見るよりも、心臓に異常がないか、胎盤や血流に異常はないか、を丹念に見る先生でした。その入念なエコーのおかげで、先生は私のある病気を見つけ、手遅れになる前に出産に移った、という経緯もあります。(これもまた後で書きます。)つまり先生にとって、上記の異常を発見するのが最優先であって、股の間にシンボルがあるかどうかなんて優先順位で一番下の項目だったのです。



そんな訳で私は出産まで性別は判りませんでした。でもきっと男の子だろうな…という確信がありました。それは男家系だということと、最初に通院していたM病院で行った4Dエコー。


f:id:shunmama:20180123215842j:plain


これは入院する2日前のもの。19週目です。分かりにくいですが、横向きで頭を手で抱えるように丸まっている赤ちゃん。S字にうねっているのが胎盤から伸びるへその緒。右足は曲げ、左足は真上に伸ばしています。 その脚の付け根の間にある突起物は…もしや…!?



当時、どうしても女の子希望だった私はこの現実に目を背けていました。きっと、何かの影に違いない!そもそも、この週数でこんなに立派なわけがない!


でも心のどこかで諦めていた私は、男の子の名前ばかり考えていました。旦那とも、「きっと男の子だろう」と次第に意見は合致していました。





そして、現在。あれだけ女の子を希望あいていた私は、「男の子で良かったー!!」と心の底から叫んでいます。(女の子であっても、「女の子で良かった!」と思うとおもいますが(^-^;)



なんたって、めちゃくちゃかわいい!シンボルもかわいい!私の周りの赤ちゃんは男の子ばかりです。なので、おむつ替えの時に「見せてー♪」とお互いの息子のシンボルを見せ合い、ここがこうだ、あそこがああだ、なんて言い合っていました。19週で立派だった息子のシンボルは今も立派な方です( ´艸`)



おむつ替えもかなり楽です。実際女の子のおむつ替えを見ていると、おしりふきをするとき汚れが付着しないように気を遣いながら丁寧にしなければなりません。ですが男の子はシンボルの下はおしりの穴以外何もありません。少ない枚数で豪快にふいても大丈夫です。ただ、新生児のころはめちゃくちゃおしっこ飛ばされました。1日に10回ほどのおむつ交換うち、8回はおしっこ飛ばされましたね(ノД`)きっと、おむつが外れた爽快感なのでしょう(T^T)




そして、一番驚いたのが0歳児でも××すること。生後10ヵ月ぐらいまでは旦那がお風呂に入れていたのですが、ある時息子のシンボルを洗っていると、「タケノコみたいになった!」と言うのです。嘘だ~と思いながら見ると、本当にタケノコになっとる!赤ちゃんでもちゃんと男なんだなあと何だか寂しい気持ちに。



「シンボルをちゃんと洗ってあげないと中に垢がたまって炎症を起こすことがある」と保育園で聞き、早速洗うことに。でも、どこまでしたらいいのか。私は女なので男の痛みは分かりません。なんとも難しいです。






たまに「次は女の子だったらいいね」と言われますが、そんなことはありません。絶対男の子がいい!という訳でもありませんが、無事に産まれてきてくれれば本当にどっちでもいいです(*^-^*)



でも息子は大きくなったら嫁に取られるんだよなあ…自分だって、人のこと言えない訳ですが(´▽`)小さいうちにいっぱいイチャつきます。

SIDS~乳幼児突然死症候群

SIDSとは、それまで元気で何の問題も無かった赤ちゃんが、睡眠中に突然亡くなってしまうという病気です。しかもこの病気、0歳児の死亡原因の第3位に入っています。



私は息子が退院して自宅に連れてきたとき、このSIDSが一番恐ろしかったです。なんでも、早産児や低出生体重児の赤ちゃんが発症するリスクが高い。


その次に恐ろしかったのは、窒息。初めて抱っこする新生児は本当に弱々しくて、直ぐに 死んでしまうのではないかという不安感が押し寄せます。布を被って窒息、というのは一番に想像できましたが、母乳やミルクを吐き戻し窒息というのは睡眠中に起こったら防ぎようがないんじゃないか、と思いました。



うちの息子も一度怖い思いをしたことがあります。まだ新生児の頃。3時間置きの授乳をしていましたが、夜中の授乳はとにかく眠い。しかし添い乳でも窒息の危険性があるので、必ず起きて授乳していました。授乳が終わるとゲップですが、すやすや寝ているのを起こすとまた泣くかも…というのと、自分の睡魔に負けてちゃんとゲップさせずに寝かしてしまうことがありました。




あるとき。夜中に、突然息子の苦しそうな、叫び声ともとれる泣き声で目が覚めました。その異常な声に旦那は飛び起きてつまづいて転びそうになりながらベビーベッドに駆け寄りました。


すぐさま息子を抱き上げると、口や鼻から母乳が溢れた状態で苦しそうに泣いていました。急いで縦抱きにして残りを吐き出させ、呼吸が楽になるようにしました。しばらくすると落ち着きましたが、もし、声をあげられずに窒息していたら、当然私たちは気づけませんでした。


恐ろしくて、息子をベビーベッドではなく私の直ぐ横に寝かせ、寝ずに監視しました。


その日から、どんなに眠くてもしっかりとゲップをさせ、頭を上方に少し傾斜をつけて寝かせるようにしました。でも暫くは怖くて眠れなかったです。




SIDSは窒息とは関係ありません。本当に突然に、予兆なく眠りながら亡くなってしまうのです。原因は判っていないのですが、しないよりはしたほうがいいという予防法が3つ。


①うつ伏せ寝にさせない。
受動喫煙させない。
③母乳で育てる。



家には喫煙者はおらず、完母で育てていたので②③はクリア。問題は①のうつ伏せ寝。息子は新生児のころは絶対にうつ伏せ寝はさせませんでした。中にはあえてうつ伏せ寝にする場合もあります。眠りが深くなったり、吐くのを防ぐこともあります。胃の入り口が背中側を向いているからです。


でも、寝返りが出来るようになると要注意です。息子はしばらく寝返りをしてうつ伏せになっても、さらに寝返って仰向けになることができませんでした。うつ伏せになって苦しくて泣く…の繰り返しです。寝返り防止にクッションをかませたり、横向きにさせたり、固めの敷き布団にしたりと気を遣いました。



そして、1歳現在。息子は寝るとき必ずうつ伏せになります。


f:id:shunmama:20180122223512j:plain


このお尻がなんともキュート(*´▽`*)


同じ年齢のママさん達に聞くと、やっぱりうつ伏せ寝をする子は多かったです。しかしもう当然寝返りも自由にできるので、窒息の心配はなさそうです。SIDSの心配も薄れてきました。



新生児の時はちゃんと呼吸しているかよく確認していました。生後4ヵ月くらいから、夜に1度も起きない時期があったのですが、朝になると飛び起きて生きてるかの確認。ほっぺたを突っついて、モゾモゾ動くと「良かった、生きてる」と安堵する毎日でした。


今となっては私の方が息子に頭突きされたりビンタされたり、髪を引っ張られて起こされる毎日です(;´Д`)